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「作るプロセスが好きみたいです」

このお母さん、いいなぁ。とっても好きだなぁ。と話す度に思う人がいる。

ノリが良く、見た目はちょっとサーファーっぽくて、会話もざっくりたのしい感じ。
でもよーく話を聴いていると、全然ざっくりしていなくて(そういう話し方なだけで)実は細かく聴いて受けとめて自分の言葉にされている。
また、俯瞰して見ていて、その場のバランスをとっているようにも見える。
そのお母さんはその場のお客さんなんだけど、実はお店同士の良い関係性をその方がつくってるんじゃないかと思えるほど。

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「図工が好き」といっても、好きの理由はいろいろ

お子さんが、絵を描いたり物を作ったりする教室に通われている。
絵の学校を受験するための絵画教室ではなく、観察して描く力をつけたり、手先を意識的に使うような工作をしたり、サイエンス教室のように素材で遊んでものを作り出したりするような、教室。

お子さんは恥ずかしがり屋で人見知りなんだけど、この教室ではとてもたのしそう。わたしはざっくり「図工が好きな子」と思っていた。

なので、お母さんに「こんなにたくさん作っていたら、作品たくさんですよね。おうちでどうされてるんですか?」と訊いたところ、返ってきたのがこの言葉だった。

「実は、大半はもうないんですよー、こどもが執着がなくて。」「作るプロセスが好きみたいです。」と。

「この作品飾るよ」と言っても、「これどうするの?!どこ置く?!」と言っても、ほとんどは「捨てていいよー」と返ってくる。
(「ここに飾って!」「これはとっておいて」という場合も、もちろんある。たまに。)

それが初めは「せっかく作ったのに?!」と思っていたけど、よくよくこどもの話を注意して聞いていると、
「この素材をこの素材にくっつけるには、どうしたらいいか」
「あれを作るには、何の材料が必要か」
とか、そういうことに興味と達成感があり、完成後の作品をどう保存するかにはあまり興味がないことがわかったのだとか。

一緒にその話を聴いていたひとは、「そっか、アーティスト系ではなく、メーカーの開発系ですかね?!」って言ってて、みんなで笑った。

その作品になった理由がある

ちょうどその話を聞いた後に、今日の作品を持ってお子さんが出てきた。
そこにはシンプルな立体作品があった。飾りのない、作品。
一緒に教室にいた生徒さんがつくったものは、シールや飾りが多くて、見てすぐに「かわいいーー」と言っちゃうような作品。

わたしは図工に苦手意識があって、自分が「図工=飾りを多くする、いい見た目のものをつくる」くらいにしか思ってなかったので、図工が好きな子がつくるのも「見た目がかわいいもの」だろうくらいに思ってた。
何も知らなければ、「あれっこの子図工好きなはずなのに、あんま上手ではないんだな」「手先が器用じゃないのかな」とか考えていたかもしれない。
そもそも「上手」とか評価する目線でこどもを見ていることが浅ましいし、飾りが多いのが上手と思い込んでいたことも恥ずかしい。

どちらも、個性が出ていて、とてもいい。
いいものを見せてもらったと心底感じた。

作品づくりの過程、なぜこういうかたちになったのか説明を始めるお子さん、それを聴くお母さん。
やはり機能性重視だったようだ。

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「うちの子、図工が好きなわりに上手ではなくって」
「作るだけ作って、作品を大事にしないんですよー。じゃあ作らなきゃいいじゃんってなります。」
って言うお母さん方。

今一度、お子さんの話に耳を傾けてみるのも良いのではないでしょうか。
「何が好きなのか」をまっすぐこどもが語るのは難しいけれど、そのカケラはたぶんすごく発しているのでしょう。


会社にもいろんな人がいるよね、解像度あげていかないとねという結論

と偉そうに言っているけれども、仕事でも同じ。
自分はまだそれがあまい。

結果の数字にこだわれる人、みんなで達成するプロセスをたのしみたい人、慎重にいく人、実験が好きな人、資料を作りこみたい人、シンプルにシンプルに行きたい人。いろいろ。

会社なので目標があって、必ず一定の数とクオリティは出さなければならないけれども、その人の性格や志向を尊重して、目標を達成できるようにしたいとは思っていて。
前の会社でも、それを実践してきた。つもり。

金融のバックオフィスはマニュアルがちがちなところが多く(どこでも、規程/外部向けマニュアル/部内向けマニュアル/内規/手順書くらいあるはず)、その通りにできる人材が良しとされていたりする。
数字1桁間違える、1つの処理を漏らす、といったことが、お客様と会社に莫大な経済的・機械的損失をもたらすことがある。
また、少しでもぶれた判断をすると「前はこうだった」と延々と言われるので、基本的には1つの事象に対し全員が同じ回答になるような基準が必要なのだ。

自由度は低く見えるかもしれない。
でも、だからこそ、その人の特性を知っていれば苦手なところが手当できるし、得意なところをまかせると物凄い高品質で効率が高い作業になる。
誰がやっても同じ結果にしなければいけない事務だからこそ、均一な人間を生み出すのではなく(*)、デコボコの人間で部全体で品質を保つやりがい・たのしさというものがある。ひとりでは絶対にできないオペレーションも、複数人組み合わせたら、できる。

まだ「事務作業が好きっぽいなぁ」「人に教えるときはいきいきしてるなぁ」くらいにしか見られていないチーム員を、もっと解像度高く見ることからはじめる。
まずはその人の特性にあった「たのしい」仕事を増やし、自信をつけてもらうために。皆で目標達成する喜びを知ってもらうために。
それがあれば、別のことにもチャレンジできるだろうから。

あ、結局話がそれて仕事の話になってしまった。
とても好ましく思っているお母さんから、昨日も学びを得た話でした。

*効率化のために「均一な人間」を多数作り出そうとして、息苦しい組織ができてしまった地獄のお話はまた書きたい。人間を人間としてみれず、「1」にしか見えなくなることのこわさ。
金融バックオフィス含め、けっこう鎌田 慧さんの『自動車絶望工場』的になっている会社(部門)が多いと聞く。
「ITが作業をしてくれて、人間はクリエイティブな仕事を…」と真逆の、「システム開発が高すぎて、一部あきらめた部分を、ITより安くてすむ人間が補完してる」現状。辛すぎる。
AIとRPAは導入されても、人を相手にしている商売である限りは、システムで処理しきれないので、人がいる。そこで生きていけるようなスキルを皆でつけたい。