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銀の鯨 第四話

夢の少年と舟そして・・

 
 誠は夢を見ていた。
 
 雨に打たれたせいだろう、悪寒がして立っていられなくなり叔父によって近くの民宿に運ばれた。なんとか風呂に浸かりすぐに横になる。
 体温は39度と熱が出ていた。
 通夜はまだ続いているし、今夜は叔父や母と交代で寝ずの番をすることになっていたのにそれもままならない。
 熱のせいで朦朧としている頭に浮かんでくるのはあの少年と「神隠し」という言葉。
 誠は正直ホッとしていた。混乱した頭のままあそこにいるのは無理がある。
 更に熱が上がってきたようだ。気を失うように誠は眠りに落ちていったのだ。
 
 夢の中で誰かが誠に話している。
「父ちゃんの話しを聞いているオレは、大きくため息をついたんだ。
 同じ話をしていることに父ちゃんは気付いてないのか、不自由な口で切れ切れの言葉がまた初めに戻ってんだ。
 何が何でも話したいことがあったんだろうけど、それが何なのかオレにはまるっきり分からなかった。 
 オレにちゃんと届いているのか気になって同じ話になっているのかもしれない。繰り返し繰り返し同じ口調になってた。
「だ、か、ら、な、シュ、ウ、」
 もつれる口がもどかしいんだろう。口元から垂れるよだれをぬぐいもしない。何とか聞き取れたのは、河口のどこら辺で舟を停めるかとか、今はボラでも釣るかとか、海にはまだ出られないからな、とかだ。
 でももうそれは父ちゃんの夢、幻、せめてもの希望というやつだ。
 父ちゃんが倒れてからオレたちの暮らしは一変した。
 あんなにケンカばっかりしてた母ちゃんは、ビックリするくらい優しくなったよ。時どきいなくなることもなくなって父ちゃんに付きっ切りだ。
 冬の寒い日だった。朝、仕事に出たまま父ちゃんは帰ってこなかったんだ。こんなことは今までなかった。いくら仕事で遅くなっても必ず帰って来たのに。
 母ちゃんは夜通し親戚じゅうに電話をしまくって探し回った。
 いつものことだけど、あの日の朝も、父ちゃんは出掛けに近所の酒屋に寄ってたんだ。一杯ひっかけて、ポケットにもワンカップ一個突っ込んで仕事場に向かってた。オレは学校へ行く途中それを見てたよ。
 「おい、シュウ、あれ、お前んちのオヤジじゃねえの」って友だちにいわれたけど、気が付かないふりをした。   
 こころの中で「くそったれ」とつぶやいてた。
 父ちゃんが帰ってこなかったのはあの日だ。見つかったは次の日さ。
 裏山の獣道に倒れているのを近所の人が見つけてくれたんだ。
 脳いっ血っていう病気だった。
 仕事は昼で早退してた。気分が悪くなって帰ろうとしたらしい。
 早く帰ろうとあせっていつもと違う道を入ったみたいだ。近道だと思い込んでね。
 あともう少し発見が遅かったら死んでいたと医者はいったよ。
「父ちゃんなんか、死んじまえばよかったんだよ」 
 オレはそんなことを口にして母ちゃんを凍り付かせた。
「シュウ、あんたって子は・・・」
 オレの言葉にぼう然としてたな。
 いつもなら頭から湯気が出るくらい怒るはずの母ちゃんだったけど。
 なんなら箒でぶっ叩かれていたはずだよ。でも、
 母ちゃんはただただ悲しい顔をオレに向けただけだった。
 それから父ちゃんは、43歳という若さで、
 不自由な半身を抱えて生きることになった。
 冬のボーナスで、念願の釣舟を手に入れたばかりだったというのに」
 
 誠が目を覚ましたのは昼に近い時間だった。頭が躰が重かった。
 夢の中の少年のやり切れなさが誠の胸に重く残っていた。 
 この少年は昨夜追いかけた少年ではない。顔つき年頃がまるで違う。名前がそもそも違っていた。ほんの少し横顔が似ていたような気もするが。
 自分の寄って立つものが崩れていく衝撃に成すすべもない少年の心の疼きを感じた。それが、胸の奥底に押しやっていた誠の子ども時代の解消されないものを呼び覚ました。
 無性に今、空白の20年前を取り戻したいと思った。
 誠の胸も疼き始めていた。
 誠は結局、葬儀の何もかもが終わるまで民宿で休んでいなくてはならなかった。 
「ねえ、訊きたいことがあるんだけど、」
 二日後ようやく回復した誠は、度々様子を見にきていた母にそう言った。
 母はそれを予期していたのだろう。驚きもせず躊躇わず、
「わかった。ちょっと待ってて」30分後叔父の車を借りてきた。
 古い白のカローラだった。ドアを開けると軋む。そして「乗って」と言うと他には何の説明もなしに走り出した。
「どこ行くの?」「ん?思い出の場所」それだけだった。
 思い出の場所とは誰にとってのだろう。疑問に思ったがそこは訊かなかった。母は緊張した面持ちだったが、どこか腹を括ったようにも見えた。
 空はどんよりとした梅雨の空だったが、雨は降らないだろうと朝食のとき聞いた。島の者の言だったから信じてもいいんだろう。
 海沿いの一本道を車は空港とは反対側、島の北へ向けて走っていた。1時間も走っただろうか。防風林の間から綺麗な砂浜が見えてきた。
 低い堤防の前に車は停まった。
「ここよ。降りよか」母のあとに誠は続いた。
 波が高かった。海風をまともに受けながら砂浜へ足を踏み入れた。
 白砂の美しい砂浜だ。こんな時期だから誰もいない。聞こえてくるのは波のとどろきだけ。
「ここよ、ここ。ここで20年前の夏、あんたはいなくなったの」
「えっ、ここ・・・」言葉が出なかった。それはあの、神隠し?の。
「それが訊きたかったんでしょ」
 波音が一層高くなった気がした。
 母は波打ち際まで進んだ。海岸の一角に滑らかな大岩があった。話を続けようと誠を振り向いたが、その時、「ああっ、なんでこんなとこに、」
 そこにあったのは朽ちた一艘の木の舟だった。岩に打ち付けられ片側は崩れてない。母は口に手を当て叫び出しそうになるのをこらえているかのようだ。異様な驚き方だった。
「どうした、母さん」
「あんた、これ、お祖父ちゃんの舟。ひいお祖父ちゃんから受け継いだお祖父ちゃんの舟よ。
 20年前、沈んでしまったっていうのに、なんで今頃、」
 誠は、導かれるように吸い寄せられていた。舳先に文字がひとつ見える。もうかすれてはっきりとはわからないが、何だか漢字の秀のようにも読める。恐る恐る触れてみた。
 途端に光がはじけた。目が眩む。周囲の音が消えた。


「誠、誠、ほら、ひいお祖父ちゃんだよ。こんにちは、は?」母の声だ。
 白い部屋のベッドからこちらに顔を向けている老人が目を凝らしている。
「ま、こ、・・と、か?」枯れ木のような細い腕を伸ばした。
 白髪の皺くちゃの老人だった。顔も首も腕さえも、目に入るところ全てが皺くちゃだった。
 幼い誠は後ずさりしていた。
 そんなに年取った人を見たのは初めてだったからだ。まるで妖怪ぬらりひょんだと思ったのだ。
「で、どうなの調子は」母は構わず話しかけている。ベッドの脇には他に二人いた。誠にとっては祖父と祖母だった。
 今日、5歳の誠は母と二人でひいお祖父ちゃんのお見舞いに来ていた。
 初めての母の故郷。初めての南の島だった。
「でね、明日、あの浜へ連れていこうと思ってるの」
「そうか気を付けて行っておいでね」
「ま、こ、・・と、は、う、み、好き、かあ?」
「ほら誠、ひいお祖父ちゃんが、海好きなのかってきいてるよ」
「う、うん」
「誠はね、海、好きよ。それに鯨、鯨が大好きでね。幼稚園から帰ってきたらいっつも、鯨のDVD観てるし、絵本も鯨のばかり借りてくるの。
 ねっ、鯨、大好きだよね、誠」
「う、うん、ぼく、くじら、すきなんだ」
 幼稚園の七夕祭りでくじらのお神輿みこしを作った。祭りのあとは園の玄関に飾ってあることも話した。
 そう誠は「陸に住んでいたんだけど、他の生きものたちと食べ物を奪い合うのがイヤで、海で暮らし始めたのよ」という先生の話しからいっぺんで鯨が好きになったのだ。そして鯨は歌う。その映像にくぎ付けになった。
 優しく歌う鯨。優雅に泳ぐ鯨。気高く生きる鯨に誠は夢中だった。

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