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NGT48「夢を死なせるわけにはいかない」公演は究極の侮辱行為だと言っておきたい

(注:長文になります)

映像を見終わって、数時間が経つ。ゆっくりと咀嚼するのは、沸き上がってくる胃のむかつきと止め処の無い感情だ。個人的に「夢を死なせるわけにはいかない」公演は、AKB48グループの劇場公演のオリジナルセットリストの中で一番好きな公演だ。だから、これを見たら、自分がどんな感情になるかは想像出来た。ただ見ずに物事を言うのは容易い、見た上で言葉を吐かねばならないと思って見た結果の言葉が、これだ。

 

【NGT48の現状について】

どういう事案が起きたのか、運営側がどういう姿勢なのかは説明は不要だと思う。あの時、一人の人間として、アイドルを好きな者として本気で怒っていた。

ぶっちゃけメンバーがヲタクなりと繋がるとか、彼氏を作ったりする事自体は、そのメンバーを推してるファンがどう思うかグループがどう思われるかということだけで、問題だと思った事が無い。(在籍中に妊娠して辞めますはせめて付けろよ!って気にはなるけど)

正直な話、地方の財政界的な割とめんどくさいパンドラボックスの中にずぶずぶに足をつっこんだ話だと思う。前支配人がどういう方面に対して、顔を向けてたかもよく知ってれば、そうだよね、と思ってしまう話だ。前任の名古屋の色々な話も合わせて。そこに付き合わされた子達には同情もある。

ただし、それとアイドルを全うしようとした子が巻き込まれるのは別だ。この世界的なフェミニズムの流れが巻き起こる中で、大人の事情で女の子が傷ついていく事、それを消費していく状況に歯止めが効かない事に怒っていた。

今回の件で、結果6名の卒業者を出している。事務所に入った子もいれば、別な道に進む子もいる。そんなところから逃げ出せてよかったねという気持ちと、続けさせてあげられない悔しさが混じっていた。

 

【「夢を死なせるわけにはいかない」公演とは】

おそらくオリジナルセットリストの中で、この公演はこの10年の中で1番埋もれていた公演だろう。共通認識として、「僕の太陽」公演に次ぐひまわり組2ndとして行われた公演である、ということ。あるいは、高橋朱里がキャプテンだったチーム4公演でやっていた程度ではないか。そう、他のグループもこの公演をやった事がないのだ。

さて、この喉元を掻きむしるような感情を言い表すためには、まずここの認識について、書かねばならない。

ひまわり組というのは、AKB48のチームAとチームKのメンバーによる合同公演で、それまで別々に活動をし、ライバル視するような関係だったのが、ひまわり組を通じて実は同い年だったり、話題が同じだったり、パフォーマンスに影響を受けたりという事があったのは、後に本人達からも語られている………というのが、Wikipediaなどでよく語られるところのひまわり組公演の話だ。

まず、AKB48の研究生、つまり、4期のデビューは「僕の太陽」公演に始まる。今やアイマス声優の中でも一際目立つ佐藤亜美菜たちのデビューだ。さらに2ndの時期になると、ここに5期、指原莉乃や北原里英、仁藤萌乃他個性豊かなメンバーが加わる。

A、K、B各チームの公演のアンダー、研究生公演と目まぐるしい中、さらに2009年の夏はシアターGロッソで出張公演を連日開催する。このGロッソでの夢死な公演では、かつてのひまわり組のメンバーだけではなく、チームBのオリジナルメンバー、渡辺麻友、柏木由紀や多田愛佳が出演したのだが、同時に、劇場では土日3回公演を行っており、亜美菜のような鉄人級の研究生は合間を縫うようなペースでこのスケジュールをこなしていた。

つまり、夢死なとは、華々しくメディアに注目され始めていたAKB48の陰で、"劇場を支えていた子達の公演"だということを強く覚えておいてほしい。

さらに、6年の月日が経ち、2015年、高橋朱里が自らのチームに選んだのは、この公演だった。小嶋真子、岡田奈々、西野未姫という三銃士だけでなく、兼任で北川綾巴、渋谷凪咲、朝長美桜のてんとうむChuのメンバーに、加えて、大森美優、岩立沙穂、伊豆田莉奈という当時の劇場を支えたメンバーが顔を揃え、後にその才能を発揮していく村山彩希もいた。

あの当時、朱里は確実に次期総監督の候補だと思われていた。若手からの信頼、バラエティでの対応力、他Gの主要メンバーとも仲が良く、不器用な総監督横山由依を支えていたのだ。だからこそ、高橋チーム4の人選、この公演を選んだ意味というのは非常に大きかったし、あのチームを応援していた人は多かった。

今の48グループは、オリジナルの公演をもらえることがまずないし、著名人公演、プロデュース公演も加わり、劇場公演のセットリストに対して、思い入れを持つことはまずないんじゃないかと思う。それはファンだけではなく、メンバーでさえもだ。だが、アーティストにおける1枚のアルバムCDと同じように、セットリスト自体がその時のお互いの気持ち、思い出をパッケージしてるのだ。

ここまでに、2000文字書くくらい、夢を死なせるわけにはいかない公演というセットリストへの気持ち、その公演と一緒に歩んだ4期から始まるあの頃の本店の研究生、Gロッソでの3期生、高橋チーム4で感じた未来、そういうものからあれを今のNGT48がやるのか、と気が重たくなったのだ。

 

【結果、それだけじゃ済まなかった】

「夢を死なせるわけにはいかない」という題名すら、今のNGT48の現状からして何を寝言を言っているんだと言う怒りのツイートは多く見た。自分ですら、自己紹介で、誰の夢を殺したのか1人1人言ってもらおう、と口走ったほどだ。

 

だけど、それだけじゃ済まなかった。

 

この感情は、あまりにも複雑過ぎる。題名に、またはそれをやることにだけ怒って、数行のツイートをするだけで済むようなものだったら、まだどれだけ救われたか分からないとすら思う。少し整理するために、2つポイントを分けていきたい。

 

・「Confession」と「記憶のジレンマ」という曲について

自分は当時、3期生の仲谷明香のヲタクだった。今でこそ様々なアニメや舞台で活躍する仲谷だが、同期の中では目立たず、チームB正規メンでありながら他チームにアンダーで出るなど、まさしく劇場の縁の下の力持ちだった。

そんな仲谷の歌声やパフォーマンスを他のAやKのメンバーが知ったのは、Gロッソでの共演を通じて、またこの時期はファンもチームによって完全に分かれているような状況で、他チームの子がどんなパフォーマンスをするかも深く知らなかったのが、ここで知られていったのだ。

実は、Gロッソの時に仲谷のユニットは「初めてのジェリービーンズ」をやっていたから、この2つのユニット曲ではなかった。

「Confession」は2010年3月、横浜アリーナで行われた「満席祭り希望 賛否両論」にて、マジすか演出の中で歌っている。仲谷はラッパッパの1年生4人組の1人アニメとして出演しているが、作中でも、本来同期の麻友に選抜に選ばれない身分を揶揄される台詞があるほど、この4人は典型的な干されとされていた。

だが、このConfessionでのパフォーマンスは、テレビで見てる手下感とは打って変わって非常にダイナミックで、迫力に満ちた様に、多くの観客が驚かせた。普段は閉じ込められるように劇場公演に打ち込む連中が、普通だったら絶対に回ってこない横浜アリーナという大舞台でのユニット出演に一発で実力を見せた瞬間だった。

後に、この動画にはニコニコ動画で「縁の下が力持ちすぎる」というタグが付けられ、各メンバーの表現力などが評価され、讃えられた。

同じ年の10月、モスクワで行われたJapan Pop-Culture Festival 2010で「記憶のジレンマ」は披露したが、この時、AKB48と言いつつ選抜メンバーがほぼいないという酷い組み合わせで海外遠征となった。中でもこの「記憶のジレンマ」は大家志津香以外が、仲谷も所属していたMousaという小さな事務所のメンバーで固められていたが、曲者揃いながら劇場に住んでるレベルで公演に出ていた苦労人達の磨かれたパフォーマンスを見せたのだ。

 

それぞれのエピソードにとてつもなく思い入れがある。2010年、まさにポニーテールとシュシュ、ヘビーローテーションをリリースし、絶頂期を迎える最中、劇場に立ち続けた子達の物語であり、AKB48、48グループが何故、劇場で公演を行うのか、48グループのアイドルというのは何をするアイドルなのか、テレビや雑誌に出る事が全てなのかという揺らぎの真っ直中に、この2曲に対する個人的な思いがあることを痛烈に思い出したのである。

 

・「ロックだよ、人生は」とHKT48の関係性

この曲は「夢を死なせるわけにはいかない」公演のアンコール1曲目である。それまで比較的陰鬱とした展開が一転、抜けのいいドラムの連打に変わる。まさしく躁状態への変化を感じさせ、この公演が如何にアンバランスなものかを物語る。

この曲に再度、脚光が集まるのは2014年、HKT48の「九州7県ツアー〜可愛い子には旅をさせよ〜」のアンコール1曲目で披露されたことに始まる。

1期生のメンバー数人がSNSを通じてファンと接触し辞めさせられごちゃごちゃした後、指原莉乃、多田愛佳が加わってのツアー。セトリには指原がアイデアを出し、1曲目にモーニング娘。の「ザ☆ピース!」、ユニット曲では各県出身メンバーが出演など、創意工夫に溢れたものだった。

そのアンコール1曲目に選ばれたのが、指原、多田が2009年の夏にGロッソで汗を流したこの公演のアンコールの1曲目である「ロックだよ、人生は」だったのである。

当時、まさにHKT48のメンバーの年齢は、あの頃の2人と同じくらいの年で、その溢れる若さ、エネルギーを存分に暴れさせれる楽曲、ラブ&ピースのコール&レスポンスの分かりやすさも相まって、この曲の採用は驚きを持って受け入れられた。

その勢いのまま、HKT48はTOKYO IDOL FESTIVAL2014年に出演、未だライブにおける鉄板となったシングル「メロンジュース」に加え、この「ロックだよ、人生は」はHKT48にとってのアンセムであり、その後のHKT48といえばライブが楽しいという決定的なイメージをつけることになった大切な1曲となった。

後にも、色々と問題は起こるのだが、アイドルとはどうあるべきか、ファンとの関係はどうあるべきか、ということをHKT48のメンバーはライブを通じて指原から教わってきた。今、バトンを受け取ったメンバーはもう1度、ライブのHKT48を自分達の手で見せようとしている。その真ん中にあるのが、「ロックだよ、人生は」で何度も見てきた観客も一体となって楽しめるライブなのだ。

 

今の自分の推しは、HKT48下野由貴である。この「ロックだよ、人生は」という楽曲が、どれだけ大事にされてきたか、グループにどれだけの影響を与えてきたのか見続けてきた。あのドラムのストロークが聞こえた瞬間に、自分の中での記憶も丸ごと踏み抜かれたのだ………

これらは極めて個人的な感情であり、NGT48から好きになった純真なファンにはおそらく何のこっちゃ分からないまるで妄言のような逆恨みにさえ聞こえるだろう。いや、その指摘はまるで正しい。本来、NGT48がそれをやることには何の問題も無い。むしろHKT48ファンとしては、手をつなぎながらにしろ、制服の芽にしろ、名古屋には足を向けて寝られませんという気持ちすらある程度には公演をするということには感情の分け隔てがある。

だから、自分でも手に余す程にこの感情は複雑なのだ。

 

【一個だけ許せない事がある】

涙ながらに真実じゃないと訴えたこともどうでもいい。この公演をすることも、個人的な思い入れのある数々の曲を歌われることも。何だったら、NGTはNGTで、1期研究生の辛かった道程やダンスパフォーマンスの高い子が本店に評価されてないことに対して、めちゃめちゃ思うところもある程だ。

それでも、NGT48の夢を死なせるわけにはいかないを見た上で、一個だけ、ただ一個だけ許せない事がある。

太野に「生きるって素晴らしい」のイントロの台詞を、この初日に言わせるのは違わないか?

「生きるって素晴らしい」のイントロでは日替わりでメンバーが小さな事でも、嬉しかったことなどのエピソードトークを話して、曲へと入っていくという流れになる。

最初にも言ったように、今回の件に関してはメンバーの中にも事情があったのだろうという立場を取っている。芸能界の構造に対する感情はあるものの、だ。その上で、この自分の一番好きな公演、思い入れのある公演をすることすら飲み込んで、一番注目される初日に「生きるって素晴らしい」と言わせるべき人間かどうかを問いたい。

メンバーにも、おそらくNGTのファンにも、この限りなく個人的な積み重なった感情というのは伝わらないだろう。だけど、早川支配人、本店のスタッフやってたのいつだっけ??誰から慕われてんだっけ?他のスタッフ、演出、コレオ、周りにいる大人、雁首揃えてこれやらせんの?プロレスで言うなら、かつて長州が言った「墓にクソぶっかける」のと同じだよ。

他のあらゆることを許しても、これだけは許さない。あるべきエンターテイメント、アイドルという活動で何を伝えていくか、アイドルが何か、女の子達がステージに上がってパフォーマンスするという行為において何が重要か、余りにも軽んじてはいないか。

これから活動する上で、誰の夢を殺したのか、忘れないでほしい。

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