Blade Beats! 冒頭シーン

 ふざけんな畜生、ふざけんじゃねぇ。俺はこんなの望んじゃいない。
 俺はこのクソみたいな現実を認められなかった。
 だから叫んでいる。届かない声を。


 ──中学に入学して三度目の、桜が花弁を散らしていく季節。俺、達桐 剣誠(たちきり けんせい)と違う中学校だが幼馴染の霧崎 闘将(きりさき とうしょう)はこれまでに積み重ねてきたことをぶつけ合う舞台に立っていた。
 全国へ繋がる大会の個人戦ベスト16。勝てばベスト8。
 種目は剣道だ。物心ついた時から剣道に触れ、俺の人生は剣と共にあった。それは闘将も同じだった。子どものころに入った道場で知り合い、当時は仲良くなどなかったが、実力を認め合って共に切磋琢磨してきた。勝敗が微妙で掴み合いをすることもあった。


 闘将、闘将、なんで、なんでこうなった。俺はただ、おまえと全力の勝負をして、勝っても負けても満足のいく試合がしたかっただけなのに。
涙が止まらない。視界が滲んでどこか夢のように思える。
 今この瞬間が嘘ならばどれだけよかったか。
 でも夢じゃなければ、噓でもなかった。
 叫ぶたびに、声の爪が喉を切り裂く。


 ──俺たちが小学六年になるころには、中学生を相手にしても負けないくらいにまで剣道が強くなっていた。闘将は目を見張るほどに身長が伸び、小学校を卒業するころには一六〇後半になっていた。俺は闘将ほど身長が伸びなかったが、その代わり中学生を圧倒するほどのスピードを持つようになっていた。
 やがて小学校を卒業した俺たちは、一つの約束を交わした。
 全国を賭けて、剣を競い合おう。


 視界が歪む。薄緑の鉄骨で支えられた天井、間隔等しく会場を照らす照明、白くそびえ立つ壁、整えられた空間、全てが今にも捻じ切れそうに歪んでいる。どこが床で、どこに自分がいるのかも分からなくなる。
 まるで、重力も何もない真っ暗な空間に投げ出されたようだ。
 ただ分かるのは……俺の腕の中で沈む、親友の重さだけ。


 ──全国を賭けて闘おう。約束を思い出さなかった日はない。
 朝が来たら、太陽が昇るより早く竹刀を振り、
 昼が来たら、飯が喉を通る間も剣を思い描く。
 夕が来たら、精根尽きるまで稽古に取り組み、
 夜が来たら、限界を超えた先へと手を伸ばす。
 欠かした日はなかった。一日でも気を緩めれば、その間に親友は一歩先へ足を踏み出している気がしたから。俺たちは顔を合わせずとも、共に稽古をしていた。


 真っ暗な空間の中に、一つの色が紛れ込んだ。
 赤く、そして、温かい……人が人であるための、ソレ。
 どこから……、誰から……、
 闘将……おまえ……左腕が…………。


 ──そして、約束の時はやってきた。
 俺たちが中学で初めて顔を合わせるのは、個人戦ベスト16。
 俺たちは……白線に囲まれた空間の中で、とうとう顔を合わせた。
 語りたい言葉は幾百を超えていた。無論、試合中に長話などできない。
 ならば、剣に乗せて語るまで。
 夢のような時間とは、まさにこの瞬間のことを言うのだろう。
 審判の合図によって、待ちに待った勝負が始まった。
 外界の音は遮断された。集中はただ目の前の親友に注がれる。
 そして抱き締め合うかのように、俺たちは同時に面打ちを放った。


 少しずつ、少しずつ、思考が鮮明になってくる。
 今周りには大勢の人がいる。闘将の意識を確認する者、俺の状態を確かめようとする者、医者を呼ぶ者……。思考が停止している間に大騒ぎになっていた。
 そんなことに気づかないほど、俺の世界は氷漬けになって停止していた。


 ──ベスト8から試合場は一か所に固定される。ベスト16の試合が全て終わるまで次の試合に移行することはない。やがて俺たちの試合は、全ての観客の意識を集中させた。
 何時まで続くんだ……誰かが呟いた。
 だが、永遠に続くと思われた試合も、天秤が傾き始めた。
 審判の『止め』の声が掛かった。原因は衝突よる転倒である。
 闘将が先に立ち、俺に手を差し伸べる。その手を取って俺も立ち上がろうとした時、左足首に痛みが走った。
 そこから、すべてが崩れ出す。


 涙が止まらない。
 それと共鳴するように、目の前で流れ出ている血も止まらなかった。
 叫び声が出ていたかは分からない。もう枯れ果てていたのかもしれない。
 次の瞬間、喉から溢れたのは、心が限界を迎えたせいで込み上げてきた嘔吐物だった。


 ──これは、マズイ。
 左足は剣道の命だ。体重の半分以上を支え、体を前へ押し出す役目を担っている。
 俺の剣道の最大の武器はスピード。誰にも負けないよう鍛えてきた足腰、そこから繰り出される疾風のような足捌き。磨き上げたすり足と踏み込みでここまで勝ち上がってきた。
 生命線ともいえる左足。しかも床を押し、体を押し出す足首にトラブルを抱えた。
 俺は誰よりも分かっていた。闘将を相手に、これは本当にマズイということを。
 痛みで……集中が、途切れていく。


 武道や格闘技に危険はずっと付き纏う。
 それは俺も闘将も覚悟の上だった。竹刀が体に当たれば腫れるし、体同士が激しく接触するのだから捻挫、打撲……酷い時は骨折だって十分にありえる。
 しかし、剣という非常に危険なものを安全化した武道が剣道だ。
 防具の強度は非常に高い。胴の竹刀を受ける部分は頑強な素材で出来ているし、複雑な手の動きに合わせている故に柔軟性を重視している小手でさえも簡単に壊れたりしない。面に至っては、視界の部分は金属で覆われているのだ。
 だが、頑強さとは時に危険な凶器と化す。
 俺たちの体捌きと竹刀のスピードは、全国でも上位に食い込むと評されたことがある。
 さらに成長期で身長が伸び、筋肉などで体重も増えた。
 成人男性に近づいた肉体が頑強な防具を纏い、全力で洗練された一撃を放つのだ。
 威力は言うまでもなく、さながら弾丸のそれ。
 絶大な威力を内包する二人が、体勢も不安定のまま正面衝突したらどうなるか。
 想像も、難くないだろう──。


 ──試合を仕切り直し、体に喝を入れて奮い立たせる闘将。
 気勢で完全に押され始めた。もう延長を三度も熟しているというのに、闘将の気勢は衰えるどころか一層勢いを増し始めている。
 一方で俺は痛みによって十全な飛び込みができない。動けば微細な痛みが足首を痺れさせ、打突、足捌きに精彩を欠き始める。
 延長四回目にして均衡が一気に崩れ始めた。
 会場も試合の結末が近付いていることを予感し、ヒートアップする。
闘将の打突──からの体当たりによって俺の左足が限界を迎えた。
 体勢の崩れた俺に止めを刺そうと、闘将がこの試合随一の飛び込み面を打つ。
 見えている。避けられる。思考はそう判断した。
 しかし、俺の体はその判断についてこなかった。
 一瞬、ほんの刹那のことだった。
 どうする──負けたくないという心に対して体が反応せず、思わず歯を軋ませる。とにかくこの場を切り抜けることだけを考えて、考えて、考えて、
 迎え討て。
 俺の全細胞が反応──否、反射した。
 ここが正念場。ここを凌げば勝機はまだある。
 痛みに悲鳴を上げる左足を精神力でねじ伏せ、この瞬間に精神が肉体を凌駕した。
 体勢を起こし、一気に追い上げる俺の打突。
 諦めるな。投げるな。最後まで──……。


 お互いの体が、高速で正面から衝突した。
 会場中がその瞬間を目撃する。両者が放った渾身の一撃、どちらが上回ったか……、
「──あ」
 しかし、俺たちが見ている世界は、捉えることのできないほど高速で回転した。
 足に体重を感じない。痛めた左足の悲鳴が途絶えた。
 頭がクリアになる。何が起きたか分からない。
 闘将の顔が一瞬だけ映る。驚愕に見開かれた目が俺の目と合い、今自分が大きく転倒しかけているのだということを初めて認識した。
 その認識を最後に、俺たちの見ている世界は大きな音を立てて崩れ落ちた。
 耳障りの悪い、何か硬いものがひしゃげるような音と共に。
「え……」
 衝撃を感じなかった。しかし、大きな転倒だったはずだ。それはあり得ない。
 ならば、何かがクッションとなり、俺の転倒の衝撃を吸収したとしか……。
 『何か』。そんなもの、考えるまでもなかった。
 一瞬後、自分にとって耳に馴染んだ親友の声が聞こえた。
 だが、その声は、正しくは動物の断末魔、または咆哮に近い叫び声だった。
 叫び声に合わせて、一気に光景が周囲へと広まった。
 いくつもの方向から悲鳴の輪唱が炸裂した。
 未だに何が起きたかはっきりと分かっていない俺は、耳を刺す悲鳴の木霊をどこか遠いところで聞きながら、手に伝わるぬるりとした感触を味わっていた。
 俺と闘将が重なるように転倒した。
 その結果。親友の左腕は、壊れた糸人形のような形に捻じ曲がって……、
 痙攣する親友。
 それは、かつて共に剣を交わした親友。
 くだらないことで笑い合い、くだらないことで喧嘩をした親友。
 そして……悔いなき一戦にて、お互いの成長を喜ぼうと約束した親友。

 ──その親友が、血の海で……沈んでいる。

 そこからは覚えていない。
 ただ自分の喉を引き裂いてやると言わんばかりに泣き叫んだことだけは覚えている。
 取り返しのつかないことをしてしまったと。
 己の親友から、命を捧げてきたものを奪ってしまったと。
 転がっている竹刀が本物の刀だったらよかったのに。
本物の刀なら、愚者である自分の体を八つ裂きにできるのに。
 己のしたことを後悔しながら……。
 己の愚かさが招いた不幸を呪いながら……。
もはや意識のない、親友の体を抱えながら……。
 俺は、血の海で泣き叫ぶことしかできなかった。


 だから俺は気づけなかった。
 その試合を、悲劇の一部始終を、
 憐れむような悲しい瞳で見ている少女がいたことに……。


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