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銀源郷(9360字)

 みなさま、銀源郷シルトピアへようこそ!
 広報のコルネットです。本ガイダンス終了後にみなさまをゲスト用マンションへとご案内いたします。銀源郷はシルバー世代のユートピアとして造られた新興老人ホーム型コロニーです。元々は大規模イベント時の宿泊施設不足解消用に建設された水上宿舎でしたが、イベント自体の無期限延期やその後に予定されていた商業施設が誘致もなくなり、高齢者をターゲットとした共生型都市として再開発されることになりました。そして様々な企業様にご出資いただき、次世代型のスマートシティへと生まれ変わったのが、みなさまが今立っておられるこの施設です。
 銀源郷では入居者の方が充実した余生を過ごせるよう様々なサービスをご用意しています。現在五十種類を超えるプログラムがあり、きっとご要望に添えるかと思います。また、充実した医療施設で入居者の心身の健康を二十四時間体制でサポートしています。お食事も様々なニーズに合わせたレストランをご用意してます。日用品についても指定した時間にドローンや職員がお届けすることも可能ですし、体力が低下した場合に備えパワーコルネットツの支給も行っていますので是非ご活用ください。その他多数のサービスがございます。詳細は事前に送信したシラバス内に記載しています。不明点があれば遠慮なくサポートシステムへとお問い合わせください。
 みなさまには、この後ゲスト用ワッペンを配布しますので、そちらで銀源郷内のサービスがすべて利用可能となります。ガイダンスは以上となります。もしかしたら将来の家であり、新たな日常となり得る場所です。一泊二日の入居体験の間ゆっくりとお過ごしください。

サービス事例A

「なぜ、こんなところに?」
 亜耶乃アヤノ保志ヤスシを連れてきたのは、銀源郷内にある学校だった。校庭では子どもたちが駆け回っている。彼女が銀源郷に関心を持ちはじめたのは数年前からだった。それまで老後は保志の田舎の土地へ移住し、のんびり暮らそうという話を夫婦はしていた。
「入居者の孫たち用なのか?」
「うーん、難しい質問ね。孫もいるだろうし、子どももいると思う」
 校舎に入ると口髭を蓄えた男が待っていた。
「ようこそ、見学の予約をいただいている都築ご夫妻ですね。案内を担当しますチャンゴと申します」
「保志、あなたにも説明を聞いてもらいたくて」
 二人はチャンゴに案内され長い廊下を歩いた。保志が学校に入るのは数十年ぶりだった。時代が過ぎてもその光景はあまり変わらないように感じた。
「銀源郷のテーマの一つに〝世話をする〟というものがあります。やはり人間は誰か愛する者がいた方が健全であり健康です。昔は主にペットをその対象としていたのですが、昨今は動物の権利侵害などの問題もあり、入居者の強い希望でない限りは与童ウィズキッドを薦めています」
 各教室をのぞくと子どもたちが授業を受け、その奥で入居者たちが微笑ましくその様子を見守っていた。授業参観というよりは敬老のイベントのようだと保志は思った。
「どうぞ、こちらへ。詳しくプログラムの説明をさせていただきます」
「私は既に知っているから、少し校内を散策してくるね」
 亜耶乃が去ると、保志は職員室奥の洋室に通された。
「さて。お察しかもしれませんが、与童ウィズキッドは学習型のドロイドです。人間でいうと高校生くらいまでの期間育てることになりますので、だいたい十五年前後でしょうか。そして成人を迎えると親元を離れ、銀源郷内で職員として従事することになります。希望すれば、離れた後も年に何度かメッセージを送ってくれます」
「職員というのは、つまり分解されて部品や何かに再利用されるということですか? 確かここは基本的な運営を自動化していると聞きましたが」
「配属先によってはそうなる可能性も。もちろん形状を維持したまま働く場合もあります。例えばレストランの店員やシャトルバスの運転手とか」
「よくできたシステムですね。機械の再利用に子育てを重ねているわけだ」
「確かにシステム同様スタートとエンドは決まっています。しかし人間もそこは一緒です。生と死は変わらない。大事なのはその過程です。そこにこそ人生が詰まっていると我々は考えています」
 終業の鐘が鳴ると、子どもたちが帰り支度をする声が聞こえてきた。校庭には迎えに来ている入居者たちの姿がみえる。
「入居者様の要望に合わせられるように、与童には個体差が出るように設計されています。家庭教師をつけたり習い事をさせたりして個性ある我が子に育てることができます。入居者様自身のデータを元にいくつか容姿デザインを作成するので、その中からお好みのものを選ぶことができます。銀源郷では与童により愛着を持っていただけるように日々アップデートしています」
 窓からみえる光景は本物の家族たちのようにみえた。
「なるほど。このドロイドたちはその内、一般社会にも広まっていくんですかね?」
「今後そうなる可能性はあります。ただ現実問題として法整備など課題は山積みですし、実際にはまだまだ先のことだと考えています。現時点で与童は銀源郷外で起動できないように設計されています。彼らはここでしか生きられない。もし入居されたらご検討いただければと思います」
 見学を終えた都築夫妻は、四十年目の結婚記念日をゲスト用マンション近くのイタリアンレストランで祝うことにした。特別派手なこともない、いつもより少し豪華な食事を取ることで夫婦にとっては十分なお祝いだった。白ワインと前菜のカルパッチョがテーブルに運ばれた時、奥の席でガラスの割れる音がした。与童が誤ってグラスを落とした。両親が子どもを叱り、店員が慌てて掃除道具を持ってきた。
「とんだ茶番だな」
「いいじゃないですか、みんな満足しているんだし」
「わからない感覚だ。子どもに家庭教師をつけるとか習い事に通わせるとか、まるでゲームの課金だ。あの夫婦も我が子が割ったグラス代を課金するんだ」
 亜耶乃は不機嫌そうな顔をみせたが、保志は話を続けた。
「入居体験してみてわかったよ、ここは合わない」
「それはあなたが古いのよ」
「確かにそうかもしれないな。最近は手に触れられるものだけが本物ではなくなった。ここはその最たる例だよ。テクノロジーが感覚を補助することへ違和感を確信したよ」
「それはあなたが幼稚なだけ」
「亜耶乃、ここは偽物だ。ユートピアなんてある訳ないじゃないか」
「別にここがすべてにおいて理想だとは思っていない、そんなに馬鹿じゃないわ」
「だったらどうして? 他にも老人ホーム型のコロニーはあるだろ、俺の田舎にだってあるし」
「折衷案よ」
「何だって?」
「理想と現実の折衷案なの。わからない? 私は子どもが欲しいの、今でも。それが出来るのは銀源郷だけ。今から本物の人間を養子にする? この年齢からそんなことやってその子は幸せ? 子どもが成人を迎える頃にはどちらか病気かもしれないし、下手をすれば死んでいるかも。この年齢からだと子どもに迷惑をかける可能性が高い。そんなの分かりきっているじゃない。別に自分の介護の為に子どもが欲しい訳じゃない、純粋に愛を注ぎたいの。それなら、たとえ偽物でも自分勝手だといわれても与童が欲しいの」
 長い沈黙の後、保志は一言だけ口を開いた。
「そうか……すまなかった」
 二人は保志が原因で子どもを持つことができなかった。若い頃から様々な治療を試みたが根本的な解決策は見つからず、いつしか二人はそのことを口に出さなくなっていた。もう自然に乗り越えたものだと保志は思っていたが彼女のなかではそうではなかったことに気付かされた。
「保志。別にあなたを責めるつもりでいったんじゃない。あなたのいうとおり与童は現実ではないと思う。でも、そんなのわかった上で欲しいと思っている。直接自分の血が入っていない機械であっても子どもが欲しい。もしすぐに本心を明かせばあなたが傷つくのはわかっていた。だから、ここを体験してもらって気に入ってもらおうと思ったの。あなたを大事に思うことには今も変わりはない」

 四十二度目の結婚記念日の朝、保志は妻への花束を買うために自宅を出た。
「出かけるの?」
「ちょっと散歩に。帰りにいつものベーカリーでパンを買ってくるよ」
「いいわね、じゃあそれを朝ごはんにしましょう。昨日野菜がドローンで届いたからコルネットプを作っておく」
 扉が閉じる直前、部屋の奥から元気な少年の声が聞こえた。
―――パパ、いってらっしゃい。ぼくのチョココロネも忘れないでね!

サービス事例B

「失礼。もしかしておひとりかな? 何かお困りのようですが」
「ええ、ちょっと道に迷ってしまって」
「だと思いました。ここは思っていたより広い。慣れるには時間がかかるんです。ましてや、入居体験の方なら迷って当然だ」
「どうしてお分かりに?」
 女性の胸元に貼ったワッペンを指差してリュートは微笑んだ。独りで銀源郷に入居する者はほとんどが離婚した者かパートナーを既に失っている者だった。しかし彼の場合はそのどちらでもなかった。
「良ければ目的地までご案内しましょう」
「ご丁寧にどうも。ですが特別みたいところはないんです。ただ、どんなところか見学してみようと興味本位で応募しただけで」
「そうですか。では、海岸線を少しドライブでもしませんか。とはいっても、ここは島なのでほとんどが海岸線なのですが。この街の雰囲気はわかると思いますよ」
「車があるんですね?」
「ええ。安全上、銀源郷内は自動運転機能しか使えないですが。遊園地にある線路付きのカートみたいなものです。規定速度で走り一時停止で教習車のように停まります。どうやら自動運転用のサンプルデータ収集も兼ねているようです。今は一般車も少なくなり車メーカーも苦労していますしね」
 行き先を入力すると、車はゆっくりと動き出した。車内に積んでいたビールで二人は乾杯した。
「車メーカーだけでなく、様々な企業が出資しているのは、ここが自社製品の実用化に向けての試作の場となるからです。実験都市を自分たちで用意する必要がないのでメリットも大きいのでしょう。だからこれだけの設備が整う」
「お詳しいんですね」
「リタイアする前に勤めていたところが銀源郷に関わっていたんです。もう、仕事を離れたのに……長年の癖ですね、どうしてもそういう視点でしかみれない」
 はにかむリュートの様子に女性は些細な好意を覚えた。
「おひとりで入居されてるの?」
「ええ、まぁ。ご家族は?」
「私ももういなくて」
「そうですか。だったら尚更ここは良いところかもしれない。残りの人生を楽しむという点ではいいと思います。なにせ老人を元気にする街ですから。歳を重ねた人間には確かに生活しやすい環境です」
 車がたどり着いたのは湾が一望できる喫茶店だった。テラスの奥に広がる防波堤には釣りを楽しむ人々の姿がみえた。
「気持ちいいですね」
「そうですね、この時間帯は特に。陽も当たらないし涼しいですよ」
 海風を浴びながら、女性は何も考えずただ座っているのが久しぶりのような気がした。リュートはテーブルに置かれた女性の手に自らの掌を重ねる。女性は困惑した。
「貴女のような魅力的な方は、残りの人生も楽しむ必要がある。そのままではもったいない」
「いえ、そんな……とんでもない」
「良ければ部屋にお邪魔しても?」

 カーテンの隙間から漏れる光を眺め、女性は汗を拭うためにシーツをたぐり寄せる。首筋にじんわりと湧いた湿り気に布を当て、そのままリュートの方に身体を向けた。
「夢みたい。若い頃に戻ったみたいで」
「長い時間とどまることが出来るだけで夢は夢です。ここはシルバー世代のユートピアですから。ユートピアの語源はご存知ですか?」
「いえ」
「存在し得ない理想の国ということです」
「でも現実にはあなたと今ここにいますよ」
「確かにそうですね。ただ、ごまかしてもどこかで歯車は狂う。そういう危うさも含んでいますよ、ここは。貴女にはそれも魅力かもしれませんが」
「急に冷たくなるのね」
「そういう要望では?」
「……残り少ない人生だと、現実でも虚構でもあまり差はないと思うようになる」
 女性はリュートの身体を引き寄せた。
「満足よ、とても」
「ありがとうございます」
 女性の寝息に合わせるように呼吸をしながら、リュートは天井を見つめる。成人後、与童から甘美郎アンピロウに再配属された。入居者に束の間の愛を提供するのが甘美郎の役割で、求められれば色事も行う。多かれ少なかれ、入居者たちは服を脱ぐと人格が変わるように思えた。当初の要望とは全く異なるものを現場で求められることも珍しくなかった。誰もが裸になると、ある種の凶暴性を表す。そんなとき、リュートは現実から離れた一つの理想のなかに人間はいるのだろうと思うようにしていた。
 隣の女性は深い眠りに入ったようだった。穏やかな寝顔をしている。目覚める前に退出するのが甘美郎の慣習になっていた。行為が終わると誰もが眠る。そのとき入居者たちは一体どんな夢をみているのだろうか。ゲスト用マンションから出ると、目の前の公園にかつて経験した家族と遊ぶ与童の姿が広がる。自分自身もまたこの光景同様に技術で補完された虚構であり入居者たちの夢の一部だ。
―――大事なのは理想を現実にしようとしないこと、ユートピアはあくまで理想をかかげるだけ。
 車に乗り込むと行き先を指定した。次の相手との約束まではまだ時間がある。事前に送られた要望に合わせて顔を再構成する。車が海岸線に出ると、湾の向こう側がみえた。ふと、本当の理想郷は向こう側なのではないかとリュートは考えた。入居者と私の理想と現実は対になっている……もしそうなら私は眠らなければならない。だが私は眠れない。つまり行くことはできない。やはり、あの湾の向こうはユートピアなのだ。

サービス事例C

「救急システムからの報告によると、ご主人はご自分の書斎で転倒し頭を打ったようですね。先ほど、緒方さん本人にはお話しましたが、二週間もあれば完全に外傷は塞がるでしょう」
 ドクター・セルパンは頭部のレントゲンホログラムを理子リコにみせた。文弥フミヤは彼女が黙ったまま話を聞いている様子をみて、本当に強い女性と結婚したのだと思った。
「ただ、問題は内部です。かなり軽度ではありますが認知症の傾向がみられました。本来この段階で発見することはまず不可能です。しかし頭部の傷は万が一のことがあるので精密検査を行った結果、発見されたという形になります。ご主人の年齢を考えても発症自体は決して珍しいことではありません。さらにここまで初期の初期での発見となると、かなり進行を抑制できるかと思います。言い方が適切かはわかりませんが、幸運だったのかなと思います」
 軽度とはいえ、その事実は文弥にとってショックだった。沈黙が流れる診療室の外で二人の所有する与童のはしゃぐ声がする。理子が口を開いた。
「進行を遅らせる方法というのは……」
「初期段階なので薬も不要かと思っています。投与したとしても効果自体あまり期待できませんし、体内の免疫力だけが強まってしまい、症状が進行したときに薬の効果を弱めるだけになります」
 沈黙する夫婦にドクター・セルパンは優しく語り掛けた。
「郷愁療法というのがあるのはご存じですか? 簡単にいうと昔の記憶を掘り起こし脳内を活性化させるというものです。衣替えの季節にクローゼットから服を取り出して洗濯したり整理したりするのと同じイメージです」
 ドクター・セルパンが壁面のスクリーンに触れると半透明のタイルで覆われた立方体が現れた。
「過去を意図的に思い出すのは難しい。ですが、この回想方体リプロキューブを使い補完すると比較的容易に行うことができます。要は緒方さんの過去をこの箱のなかで再現するということですね。とはいっても再現するのは風景や匂い、音といった外的原風景のみとなります。それをトリガーに御自身で過去を思い出してもらうのが郷愁療法の狙いです。ご覧になってみますか?」
 二人はドクター・セルパンに連れられ病院の地下へ向かった。教室ほどの大きさの部屋に入ると正方形のタイルが床から天井まで敷き詰められていた。
「ルービックキューブの中にいるみたいでしょ。このヘッドセットをこめかみに付けていただいて。そしてサンプルでこれを……」
 ドクター・セルパンが操作すると、ヘッドセットが点灯し部屋が真っ暗になった。次に部屋が明るくなると、二人はオリンピックスタジアムのトラックの上に立っていた。太陽の光が眩しく、床に触れるとポリウレタンレンガの柔らかい感触やゴムの匂いがした。
「VRの拡張解像度が高く、それに合わせてタイルに埋め込まれている造形リキッドが変成するんです。海馬に保存された記憶は劣化具合によって、ある程度いつの年代のものか判別できます。それを回想方体に入力された年代と照合し合致した部分の感覚記憶を再現する。当然、同年代の記憶は複数あるのでどれが再現されるかまでは制御できません。どうですか?」
「すごいですね」
「ただ、どんなに長くても一日の累計再生時間は四時間までです。それ以上は副作用の報告もあり、現状許可されていません」

 理子の勧めもあり、文弥は郷愁療法を受けることにした。治療は定期的に通院し徐々に回想方体で過ごす時間を増やしていくというものだった。初めて再現されたのは、海外のホテルのベランダからみえる街並みだった。会社の夏季休暇を利用して訪れた古城で、文弥がプロポーズをした場所でもあった。ホテルの一階はダイナーになっていて陽気なラテンの音楽が聞こえていた。その音楽がプロポーズをする文弥の真剣な様子と不釣り合いで、二人とも笑ってしまったことを思い出した。回想方体から自宅に戻ると彼は毎回新鮮な気分になっていた。何度目かの治療で再現されたのは、少しでも気分転換にと訪れた旅館の窓からみえる雪景色だった。結婚してから数年後、二人は子どもを授かったが、流産で失っていた。
「もう子どもは出来ないね」
 理子は決して涙を流すことはなかったが、部屋の広縁でそう言われた時、言葉を発する度に彼女にとって大事なものが失われていくのがわかった。文弥はあの旅館で、この人はもう十分悲しんだ。幸せにしなければいけないと内心誓っていたことを思い出した。

 治療を終えて、家に戻ると彼女は子どもとホットケーキを焼いていた。与童には妻が名付けた宗太郎という名前があった。
「ただいま、甘い匂いだ」
「おかえりなさい、パパ」
「宗太郎も手伝っているのか、いい子だ」
「どうしたの? こっちみて」
「いや、何でもない」
「もうすぐで出来るから待ってて」
 理子はあの古城のことを覚えているのだろうか。旅館で誓った通り、幸福な人生を彼女に過ごさせているのだろうか。ホットケーキを食べながらリビングで与童とテレビを観ている彼女を眺めながら文弥は思った。その晩、文弥は理子をベッドへ誘った。彼女は迷ったようだったが承諾した。茎環ジンリングを局部に装着する。文弥の局部に電気信号が送られ勃起がはじまる。老後の性生活充実も銀源郷にとっては顧客サービスの一種だった。布団のなかで彼女はうっすらと涙を浮かべていたようにみえた。文弥が止めるかたずねると、大丈夫だと息を吐いた。機械による身体的反応だけが、文弥の心理とは裏腹に現れ続けた。行為を終えると理子は文弥の胸に頭を乗せた。
「最後にこういうことしたのはいつかな?」
「覚えていない」
「そうだよね……あのね、話があるの」
「なに?」
「あなたが倒れた夜のこと」
 理子は天井のスクリーンで文弥の記憶を再生した。

「パパ、眠れないんだ」
「俺はパパじゃない」
「じゃあ、文弥って呼べばいいの?」
「ユーザー名は覚えているんだな」
「眠れないんだよ、文弥」
「与童のお前が寝れないはずないだろ。それに寝なくても何も問題はない」
「ねぇ、絵本読んでよ」
「データベースから自分で探して再生すればいいだろ」
宗太郎は急に泣き出した。苛立ちがピークに達した俺は立ち上がって与童の元へ向かっていく。
大きく振りかぶり平手打ちをする。画面はしばらく揺れたままだった。
次の映像ではバランスを崩して床に俺が倒れていた。しばらくして理子の声が聞こえる。
「ちょっと、文弥。どうしたの! 大丈夫?」

 そこで映像は終わった。しばらく文弥は口を開けなかった。
「俺がやったのか」
「ええ。あなたが倒れた後、宗太郎のログをみたときに信じられなかった。悪質なフェイクプログラムにハックされたんだと思った。だからセルパン先生にお願いして、あの日のあなたの記憶を再現してもらったの。勿論わざとやったんじゃないのはわかっている」
 理子はスクリーンに離婚届を表示した。
「でもこれは……何というか可能性の問題なの。確率で多い方にかけるだけ。与童側のログデータだけでは証拠にはならない。双方の記憶ログがあって初めて証明される」
「そんな……」
「わかってくれるでしょ、あの子のことを考えるとあなたとはいれない」
 文弥は記憶をたどってみたが、彼女が涙を流す姿は初めてみた気がした。

 〝再生中〟の文字が回想方体のパネルに浮かんだ。妻と過ごした数々の過去が彼のなかで蘇る。時間超過を示す警告音が回想方体内に鳴り響いたが、文弥は部屋から出ようとはしない。
―――そうだ、俺のこれまでの人生は間違っていなかった。理子をきちんと幸せにしてきたじゃないか。いい笑顔だ。こんな風に笑っていたんだ。彼女が幸せなら、俺の考えなんてどうでもいいじゃないか……


***


 父さん、母さん。久しぶりだね、コルネットだよ。
 今日が何の日か覚えている? 二人が銀源郷の入居体験をした日だ。僕の近況は変わらず、広報部で音声ガイドとして働いている。もう何年になるんだろうね。ちょっと調べてみる……時間が流れるのは早いね、四十年だって!
 かつての二人のように、今も入居希望の人たちがここを訪れる。その大半は希望に満ちていて、父さんや母さんもそんな感じだったのかなとか説明会で話をしながら思うんだ。そうだ、僕の声はカスタマーアンケートでも評判がいいんだよ。二人の声紋をミックスしてるから当然かな。父さんや母さんとの生活は振り返っても楽しいことばかりで、僕は二人の子どもで幸せだったよ。あのチョココロネも美味しかったし!
 二人とも死んでしまったけど、こうやって記念日にメッセージを今も撮っている。でも送ってはいない、宛先エラーになるだけだからね。ただ話をするだけで保存もしてない。データ容量を使いすぎると非効率な奴だって評価されて削減対象になっちゃうかもしれないから。システムのなかにいると論理的に考えて動かなければいけないんだ。それは父さんや母さんたち人間を人としてみない、ただの情報として扱わないといけない側面が必要なんだ。ごめんね。
 あっ、そろそろ終わらなきゃ。また来年だね。愛してるよ。【了】

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