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課外授業(3723字)


「ごちそうさま。やばい、もう学校始まる!」
「今日は何の授業なの?」
「えっと、課外授業。いってきます」
 朝食を済ませたアレンは急いで部屋に戻った。始業まで後少しだった。頭と四肢にウェアラブル機器を着用し起動する。校内システムにログインすると目の前に無音の暗闇が広がっていた。数十年前に、それまでの教育形態は全てオンライン上へと移行した。体育や理科の実験、課外授業など直接身体を動かす必要性のある授業は、生徒たちが接続用ウェアラブルである電子制服を着用し、筐体と呼ばれる汎用遠隔操作ロボットと接続することで、自宅にいながら全ての教育を受けることが可能になっていた。
 始業の合図がゴーグル内のモニターに出ると暗闇のなかに教師の声が聞こえた。
――みなさん、おはようございます。ちゃんといますね。
 生徒たちがログインした各筐体のヘッドライトが点々と灯りだし、十数体の筐体の姿が海底に現れた。
「うわっ!」
 生徒の一人が声をあげると、一体の筐体が転倒した。半透明の魚が足元にまとわりついたようだった。他の生徒から笑い声があがる。
――ほら、これくらいで驚かないの。海には当然ですが様々な生物が生息しています。今日は先週、講義した深海の仕組みを、実際にこのセントラル海嶺の第三観測地点でフィールドワークをしながら勉強しようと思います。いいですか、私たちがいる世界と違い、深海は過酷な環境です。光も届かないし、とてつもない水圧がかかります。生身の人間はここで一秒だって生きることはできません。
 子どもたちは静まり返った。教師はただ浮かれない様に注意をしたつもりだったが、生徒たちの怯えた反応に少し反省した。
――でも大丈夫です、私たちはあくまでも筐体を通して深海にいます。筐体は硬度の高い人工化合物で作られていますし、へこむことも腐食することもありません。もちろん深海の水圧にも対応していますから安心してください。
 教師は筐体のボディを掌で軽く叩いた。
――万が一、解決できないトラブルにあった場合は筐体の接続コードを切ってログアウトしてください。さぁ、では散策してみましょう。クレバスなどに落ちないように地形把握センサーを起動してください、毎年何体か落ちて筐体を駄目にしてしまうので。
 アレンは新種の生き物を見つけたいと思っていた。深海も年々調査が進み、かつてのような未知の世界ではなくなった。それでも年に何度か新たな生物が発見されるし、つい最近もどこかの国で新種の生き物を発見した女の子がニュース番組のインタビューを受けていた。それがうらやましかった。教師にばれないように列から離れると、まずは海嶺に沿って歩き熱水噴出孔を探すことにした。熱水噴出孔は、マグマから噴き出すミネラルが豊富で、深海生態系の原点となる。そこにいけば、新種の生物がいる可能性が高いはずだ。アレンは温度センサーを起動し、海嶺沿いの高温となっている場所を探す。海底は真っ暗だった。ヘッドライトを使わなければ、ゴーグルは起動していないモニター画面のように何も見えない。筐体が歩く度に海底の細かい塵や砂が巻き上がり、視界が濁る。時折、粉塵から深海魚が現れ驚いた。しばらく進むと、やがて奥にいびつな稜線が連なる深海平原に出た。熱水噴出孔は海底から噴き出したミネラルや硫化水素が固まり、独自の形状を持つ構造体となる。場所によってはそれがいくつも重なり山のようになる。しかし、一帯の構造体に温度センサーの反応はなかった。つまり、ここは命を終えた熱水噴出孔だ。熱水噴出孔の寿命は30年ほどだと言われ、役目を終えると賑わいをみせていた生物たちは新たな餌場を求め去っていく。残るのは廃墟のように静まりきった岩の塊だ。
 アレンは次の熱水噴出孔を探すために構造体の岩壁を登りはじめた。壁面にはチューブワームや原生イソギンチャクがへばりついているが、養分が足りていないらしく萎れていた。少し触れると簡単にはがれ、海底に落ちていった。岩には鉱物が固まってキラキラとした部分がいくつかあった。まだ深海が未知だった頃、海嶺の鉱物は希少で、宝石に加工され高値で取引されていた。それを目当てに採掘する業者も多かったらしい。岩壁を登っていると、上から海流に乗って微生物たちの群れが降ってきた。アレンは興奮した。通称、恵みの雨。深海の生物たちにとって豊富な栄養素のごちそうだ。もしかしたらこの群体を目当てに様々な生物が集まってくるのかもしれない。早く登りきろうとアレンは急いで次の割れ目に腕をかけた。だが、掴んだ部分が脆かったようで岩がはがれ筐体のバランスが崩れた。体勢を立て直そうとしたが、そのまま岩壁は崩れアレンは構造体のなかに落下していった。

 筐体を起こし、異常がないか簡易チェックプログラムをまわす。数メートルほど落下したが筐体に特に異常は見当たらなかった。構造体の内部にできた鍾乳洞がアレンの目の前に広がっていた。落下した岩の破片が奥の方へと転がっていく。そのまま進むと鍾乳洞内に生成されたクレバスがあった。クレバスはマグマと海水で固まった地殻が崩壊することでできた割れ目で、海水同士の温度差によって対流が生まれる。その流れが岩石を運んでいた。一時的に排水溝のように辺りの海水を吸い込むクレバスは海底のゴミ箱とも呼ばれる。アレンが割れ目の奥を覗くと、クレバスが飲み込んだ岩石たちの他にいくつかの筐体や機械のスクラップがみえた。深海調査や採掘には膨大なコストがかかり、海底で作業を行う機器の運搬や管理は大きな問題だった。そのため授業で使うような簡易型の筐体が破損した場合、そのまま破棄されることが多い。回収するコストの方が高くなるためだった。
 銀色の塊が、クレバスに棄てられた筐体を這っているのがみえた。遠目にみると脚があり、拡大してみると甲殻類の一種のようにみえた。アレンは海流に引き込まれないように割れ目の端に手をかけ、慎重に下降していった。クレバスに降り立つと、そこは普通の地面と変わらず、アレンが思っていたよりも安定した地盤だった。折り重なって溜まった筐体や機械の層の間には深海生物たちの死骸も挟まっていた。銀色の生き物を左手で持ち上げると、頭胸部から生えた脚を動かした。逃れよう口から泡を吹きはじめた。蟹の一種のようだがハサミはなく、蜘蛛のように八本の脚がある。それぞれの先端は鎌状に尖っていて、それを海底や岩に突き刺して海流に流されないようにしているのかもしれない。深海生物らしく眼はない、触覚で代用しているようだった。背甲部分に十字の窪みがあり四枚の鱗のようなものが張り付いている。
 こんな生き物はみたことがなかった。新種かもしれないという喜びがアレンのなかに湧き上がった。同時にモニターに左手部分の接触不良を示す警告が出た。甲殻生物を離してみると左手の小指がなく、クレバスの奥へと落下していくのがみえた。蟹がちぎったのだろう。しかし、筐体に使われる人工化合物は決して腐食しないはずだった。よくみると、足元のスクラップたちには穴がいくつも空いていた。蟹は口から泡を出して人工化合物を腐食させ、開いた穴に鎌状の脚をつっこみ解体している。
「一体、何のために?」
 アレンが辺りを捜索すると、蟹が解体している筐体の奥に、別の蟹が挟まれているのがみえた。助けを求めるように脚を動かしている。アレンは筐体の背面に両腕を突っ込み持ち上げた。挟まれていた蟹がするりと脱出した。解体していたのはもう一匹を助ける為だったようだった。筐体を下ろすと、蟹たちの姿は見当たらなかった。見上げると、二匹が互いをつかんでいた。四枚の鱗がプロペラのように回転しはじめ、クレバスを浮上していく。あの鱗は蟹の翅だったのだ。突然アラームが鳴り、教師の声が聞こえた。
――アレン応答してください。どこにいるのですか?
 もう一度見上げると、蟹のつがいは深海の闇へ消えていた。

「どうだった? 課外授業は」
「……うん、楽しかったよ」
 夕ご飯を食べながら、アレンは脳の奥が火照ったような不思議な感覚に包まれていた。食卓から見えるテレビモニターでは夕方の情報ワイドショーが流れている。
――世界で最も硬いと言われている窒化ホウ素を応用した人工化合物は、私たちにとって身近な筐体から、宇宙ステーションの壁面まで様々な場面で採用されています。そして、そんなダイヤモンドよりも硬い人工化合物を使用した指輪が登場しました。開発元のメーカーさんにお話を伺う……
 アレンはモニターを切り、食器を片付けると部屋に戻った。ベッドに寝転がり銀色の蟹を思い出した。あの生き物がもし宇宙にいたらステーションは溶けてしまう。そう考えると少し恐ろしいような気がした。しかし、筐体はそもそも人間が勝手に深海に持ち込んだものだ。あの蟹たちは、〝異物〟に順応したに過ぎない。新たな脅威は不自然な組み合わせからはじまる。そして、それを媒介しているのは人間そのものだった。いつかあの蟹をもう一度見たい。筐体を溶かす生き物がいるなんて、まだ誰も知らない。アレンはそう思うと少しだけ嬉しくなった。【了】

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