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徒然なるままに:DR.コトー診療所

映画「DR.コトー診療所」を観てきました。

20年前に原作マンガの第一巻を読んだ時、あまりの現実離れ感に辟易して、以後は完全スルーだった作品です。

まだ脳外科医としてのこだわりが強かった頃ですね。若かったなぁ。

今年の夏、離島へき地診療に勤めよ との天命をいただいてから、この「DR.コトー診療所」を読み直しました。TV版もすべて観ました。

どんどん視聴率ありきになっていき、スペシャル版ではもう???だらけ・・・尻切れトンボでも高視聴率で高評価だったのは、今も昔も変わりませんね。

そんな中での20年ぶりの新作映画ということで・・・重い腰を上げて映画館まで行ってきました。


第一印象:昔の学友たちが全員集合した20年ぶりの同窓会! でした。

白髪になったり、シワだらけの顔になったり・・・中には、これ 誰? な俳優さんもいて、時の流れの容赦ない過酷さと余りある慈悲をひしひしと感じました。

私にとっても20年あまりの年月は、奥山医院と共にジタバタと生きてきた年月です。
そういう意味でも、
コトー先生が離島にやって来て、
いろいろな事件が起こって、それを何とか乗り切ってきて、
気がつけば、島の人たち皆に見守られながら成長してきて、
愛する人がそばにいてくれている・・・
オーバーラップする見えないストーリーが走馬灯のように駆け抜けていくのを楽しみながら映画を観ていました。

ある意味、奥山医院時代の、その時々のもうひとりの私たちとの同窓会でもあったのです。

その時々のどの私も一生懸命でした。
今から見返せば、ツッコミどころ満載ですが、人生 そんなものです。
ツッコミどころが見えるということは、そこで一歩前進したということ。
だから、慈悲と慈愛と感謝に満ちあふれた同窓会になりました。

この年末に25年間続けてきた奥山医院を閉めます。
もうひとりの私たちが口々に「ごくろうさま」と祝福してくれました。
そして医院を閉める許可をくれました。

この映画「DR.コトー診療所」がまず最初に携えてきてくれたのは、そんな「ごくろうさま」の祝福でした。


第二印象:DR.コトーになるな!

「DR.コトー診療所」シリーズの山場は、ありえないシチュエーション下での難易度の高い手術をコトー先生がやり遂げてしまうシーンでしたが、この映画版でも、やっぱり・・・でした。

私は元 脳外科専門医ですから、ヘリ搬送不可の緊急時で命に関わる時には、開頭手術をやってしまうかもしれないな、とDR.コトーシリーズのTV版を観ながら思っていました。
脳外傷くらいなら、四肢や躯幹の外傷なら、ちょっとした腹部外科や胸部外科なら・・・と25年以上昔の記憶を思い起こしてみたりもしていました。

でも、実際に離島へき地を現地視察しながら、そこで暮らしている人たちのお話を聞いてみて、考えが変わりました。

緊急手術を放棄したのではありません。その決断をする時に、その試練をもたらした神々の目で、そのシチュエーションを俯瞰してみることが決断の要因に加わりました。

その患者さんの命を救うのか? 魂を救うのか? だけでなく、
患者さんの家族の、その友人たちの、医療スタッフたちの、島の人たちの何かを・・・せめて魂だけでも救わなければいけないのです。

「この島の人たち、皆の命を救う!」
そんなコトー先生の悲痛な叫び声に向かって、研修医が異論を唱えるシーンがありました。
コトー先生には、いつしかトリアージ(重傷度や治療緊急度に応じた「傷病者の振り分け」)ができなくなっていたのです。
だって島民みんなが家族だから・・・。

トリアージできるのは、
トリアージしなくてはならないのは、医師である自分だけ。
これが離島へき地の医師の現実です。
逃げ場はありません。言い訳もできません。何より時間もありません。

島民みんなの命を担う。それは生死を超えたところにあります。
生老病死を俯瞰できて、やっと島民みんなの魂を救えるのです。

現実問題として、
離島へき地の人たちの遺伝子ワクチン接種率はとても高いです。
ワクチン接種率と超過死亡率、ワクチン後遺症が見事に相関していることは自明の事実になりつつあります。
つまり2023年は日本中どこでも、特に離島へき地は、目立たないままに、誰も疑問視しないままに、トンデモない重病に倒れてしまう老若男女が増えてしまうことを危惧しています。

映画のコトー先生のように一夜だけのトリアージではなく、平穏な日々の暮らしの中で絶えずトリアージと向き合っていなければならない重荷を背負う覚悟がなければ、離島へき地の皆さんの魂を救うことはできません。

命を救うのでなく、魂を救う。
すべての命を救うことはできないけれど、すべての魂を救うことはできます・・・祈りと感謝、慈悲と慈愛があれば。


第三印象:コトー先生なら、このコロナ騒動にどう対処したのだろうか?

映画「DR.コトー診療所」では、だれもマスクをしていませんでした。
劇場の観客はほぼ全員マスクです。
これが2022年末の現実でした。

DR.コトー診療所ではワクチン接種をしたのだろうか?
したとしても積極的に? シブシブ? 希望者だけに?
愛する妊婦の彩佳さんにも?

天才外科医だから?
天才外科医でも?

コロナ大茶番劇に最初から気づかなかった?

途中で気づいたのなら、それからどう対処したのか?

発熱外来のコンテナ診療やドライブスルー診療など・・・まさかね、とは思うけど、コトー先生のような一途な医者ほど転んでしまったのがコロナ騒動の恐ろしさですからね。

うむ・・・
コトー先生に教えて欲しいのは、パンデミック化した島やへき地で、どう対処したのか? その結果はどうなったのか?
ワクチンとはどう向き合っているのか?
ワクチンを打ちたい島民たち、マスクを手放せない島民たちとは、どう向き合っているのか?

結局、コトー先生ならどうしただろうか? を自問自答しながら、コトー先生を乗り越えていかなければならないのが2023年の医師 ひとりひとりの責務でしょう。

無知無明のまま金儲けに走り続けるのも、
名誉と権威に縛られたまま後戻りできないのも、
自責の念と保身のためにハリネズミのようになってしまうのも、
良しとしましょう。だって人間だもの。

TVドラマや映画のコトー先生なら、自分にも、大切な人たちにも、島の人たちにもマスクをさせ、ワクチンを打っているかもしれません。
それはそれで良いのです。
でもこの20年以上育んできた自分の内なるコトー先生なら・・・さぁ2023年をどう乗り切っていくのだろうか? です。
自分も、大切な人たちも、島の人たちも、次々とVAIDSに倒れてしまうかもしれません。
その時、医師として、人間として、どうするのか?

まだ死にたくない と泣いても
皆を救いたい と叫んでも

それは絵空事に過ぎないよ、とコロナは笑っています。

さぁ どうする? です。

あなたが勤務する2023年4月には、いろいろと状況も変わっていますよ、とお薬師さまは微笑まれています。

日本人は変わらないけどね、とも仰います。

やっぱり なんくるないさ〜ですか? と尋ねると、フフフッと笑われます。

その目の奥には、まだ何もありません。
諦めも、悲しみも、虚無もありません。
強いて言えば、真っ白です。
真っ白だから、 さぁ どうする? なのです。

きっと泣くこともあるでしょう。
きっと嘆くこともあるでしょう。
そんな さぁ どうする? が積もり積もっていって
2023年の終わりには何かが見えてきているでしょう。

私たちはいつでも、どんなときでも、あなたを見守っていますよ。
あなたと一緒ですよ。

お薬師さまの言葉を胸に抱いて、2023年と向き合っていきます。





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