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福岡県宗像市大島から生まれる新しい民藝品「はりこ」って? 生みの親が語る“なに”“なぜ”

福岡県宗像市大島で、新しい民藝品「はりこ」プロジェクトが始動します。「はりこ」づくりの指導にあたるのは、放送作家であり、はりこ作家でもある齋藤貴義さんです。そもそも「はりこ」とは? そして齋藤さんが「はりこ」を作り、大島に関わるようになったきっかけとは? ご本人の寄稿でお届けします。

僕が「はりこ」を作り始めた理由

モノというのは厄介なもので、まずモノがあるということで「場所」をとる。都市部の手狭なマンションに住む僕にとって、それはちょっとしたデメリットになる。モノが増えればそれによって生活スペースが侵食されるからだ。それでも僕はモノを集めてしまう。子どもの頃から怪獣の人形やぬいぐるみが大好きで、ボロボロになっても捨てずに部屋に飾って眺めながら暮らしていた。

僕の場合、それが大人になっても続いているだけの話で、50歳を過ぎた今でも、僕の部屋は日々買い集めている怪獣やロボットやぬいぐるみといったおもちゃでいっぱいなのだ。そういうわけで、僕は生まれてから半世紀、ずっとモノと暮らしている。

とにかく大人の日常生活にとって、おもちゃというのは「役には立たない」。それでも僕がおもちゃに囲まれているのは「愛すべきモノと一緒に暮らすのが楽しいから」だ。部屋に飾ってある怪獣やカワイイぬいぐるみを見ると心が童心に帰って和むし、その幸福感でうきうきしてしまう。そういう大好きな「モノと暮らす」のが趣味なのだから仕方ない。

僕は30代の頃から自分でフィギュアを作るようになった。エポキシ系のパテで原型を作り、シリコンで型取り。そこにレジン樹脂を流し込み複製する。ノウハウを仕入れ、材料の入手が可能であれば、誰もが個人で「フィギュアメーカー」になれる通称「ガレージキット作り」。それは実にオタク心をくすぐられるホビーだ。

それまでは「モノ」を手に入れるためには「買う」ことが唯一の手段だった。ところが、この世になくても、作ればいいのだし、手間はかかるけれども、複製すれば組み立て式のキットとして販売することもできる。ガレージキットは「モノへの欲望」のタガを外してくれたのだ。

それがエスカレートして、買った人が組み立てるキットではなく、完成品としてのおもちゃを売りたいという欲望が生まれてきた。それが「はりこ作り」をはじめたきっかけだ。複雑な造形を必要としない「はりこ」ならそれも可能なのではないかと思ったのが5年ほど前のことだ。

僕の「はりこ」が特別な理由

「はりこ」はおもちゃではあるけれど「郷土玩具」と呼ばれ、いわゆる民藝品に属するモノだ。紙を貼り重ねて、胡粉(ごふん)と言われる塗料を上塗りして作る。福島の「赤べこ」や島根の「張り子虎」。全国で作られている「狐面」や「だるま」もはりこの一種だ。 

はりこ作りのノウハウは地域ごと、メーカーごとに様々のようで、実際に具体的な制作方法は公開されていないのが現状。基本的な作り方を勉強したものの、樹脂を流して作るガレージキットとは違ってとても個人で量産できるようなものではない。しかも作り続けているうちに、作品への「欲」が湧いてくる。基本的な「はりこ」の製法では、僕の望む「ちょっとした凹凸」や「表面のニュアンス」を造形物として再現することが難しい。これを解決するにはどうしたらよいか?

そんな悩みの中で2年ほど試作品を作り続け、試行錯誤の中でたどりついたのが、ガレージキットのノウハウを応用した自分なりのはりこの制作法だった。

細やかなディティールを再現するために既存のノウハウから外れた「はりこ」の作り方。独特ゆえにそれなりの手間はかかるものの、これならば望んでいた「はりこ」を量産することができる! このノウハウを生かせば「新しい民藝品」の形を作れるのでは?と自画自賛で喝采したものだ。

ワンダーフェスティバルで販売したはりこたち

そうして僕は「はりこ」作家になった。年に2回、全国の造形マニアが集うガレージキットの祭典「ワンダーフェスティバル」で、2019年から僕は「怪獣」をモチーフにした「はりこ」の販売を始めた。「ウルトラマン」に登場する怪獣の版権許諾をとってライセンス品としてお客さんに買ってもらう。ひとつひとつが完全なハンドメイドなので、「商品」というよりも「作品」を売るという感覚に近い。とにかく自分で作った「はりこ」が売れるのが楽しい。なにしろ「自分が作ったおもちゃ」が「他人と暮らしていく」ことになるからだ。

僕が「はりこ」を偉そうに語っているなんて!

と、ここまで書いたところでふと我に返る。なぜ、僕がここで「はりこ」についてのテキストを書いているのか?

実は僕の本来の仕事は「はりこ」作家ではなく、テレビやラジオの企画を考え、台本を書く構成作家だからだ。番組作りはもちろんネットの配信イベントや書籍やWebでも原稿も書く。わかりやすく言えば、僕の職業は「物書き」なのだ。

「はりこ」作りで金銭を得ているけれど、副業と呼べるほど儲けが出ているわけではない。「はりこ作家」であることはあくまで趣味の延長なのだ。だから、未だに自分が「はりこ作家」として大島に関わっていることが不思議だし、そのことについて偉そうにこういった原稿を書いていること自体、ちょっと気恥ずかしかったりもするのだ。

僕が、宗像大島のはりこに関わるようになったのも、もとはといえばこの本業がきっかけになっている。

そもそもは、ローカルツーリズム株式会社代表の糀屋総一朗さんとライターとして出会ったことが始まりだ。20年来の仕事仲間であり、友人だった高橋ひでつうさんの紹介でローカルツーリズム社のテキストをまとめる仕事を引き受けることになり、「取材」のために糀屋さんにお話を伺ったのが最初。

そこで僕は地域の抱える問題や、そこにコミットしていこうとする糀屋さんの活動を知った。お仕事ではあったけれど、糀屋さんのビジョンを伺うのは楽しく、やがて、ローカルツーリズムマガジンの対談記事などもお手伝いするようになってきた。

そんな中でプライベートな会話もするようになり、僕の「はりこ」作りの一面をお話することになったのだ。

ライターとして出会ったのに、はりこにまで展開するとは

僕は糀屋さん、ひでつうさんを前に「僕のはりこは独自のノウハウで作る『新しい民藝品』なんですよ」と偉そうに語ったように覚えている。その時は、それが大島とリンクするとは予想もしていなかったのだ。だから「齋藤さんのはりこを大島の民藝品に出来ないか?」と相談を受けたときにも、ちょっと信じられない気持ちがあったのだ。

ミーティングを重ねるうちに、あれよあれよと僕の大島行きが決まった。島で「はりこを作ってみたい」というはりこ作家志望の人たちにむけてワークショップを開きたいという段取りが決定し、それが実現できたのだ。

真剣にはりこづくりに取り組んでくださった島の方と

もともと、僕の考えたはりこ作りのノウハウはちょっとしたアイディアものだという自負があるので、他人に公開するつもりはなかったのだけれど「地域の新しい民藝品」という魅力的なビジョンを提示されたら「NO」という返事は出来なかった。決して「しぶしぶ」ではなく「それならぜひ!」と反応してしまったのだ。自分の考えた「モノづくり」のノウハウが、島に「新しい民藝品」と「作家」を生み出す。それは楽しいに決まっている。

僕の「宗像大島はりこ」への夢

招いていただいた宗像市大島は、想像以上に絶景だったし、ワークショップに参加してくださったみなさんも気持ちのいい人達で、楽しい数日間になった。何より、参加者のみなさんが器用。あっという間にノウハウを吸収して数日後には見事なはりこの習作が完成させてくれたのも驚きだった。僕個人が構想していた「新しい民藝品」という夢物語が本当に実現するんだ、という実感も湧いてきている。そんな体験は、大島を「愛せる島」にしてくれた。

宗像市の非公式キャラ「テンちゃん」とコラボした商品をつくりました

繰り返すけれども、大人の日常生活にとって「はりこ」というのは「役には立たない」。それでも「カワイイはりこと一緒に暮らすのは楽しい」。部屋に飾っておけば、ふとした時に心が童心に帰るし、幸福感を感じることが出来る。そういう「愛すべきモノ」を地域の人たちの手で「作品」として送り出せるのが「新しい民藝」のカタチだと思っているし、それが愛する宗像大島から生まれてくることが嬉しくてならない。

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齋藤貴義
構成作家。1965年 茨城県日立市生まれ。1986年から「たけし逸見の平成教育委員会」「FNS27時間テレビ夢列島」「森田一義アワー笑っていいとも!」「ごきげんよう」ほかテレビ、ラジオなど数々の番組に参加。「日本オタク大賞」「ANIME JAPAN NETFLIXステージ」ほかイベントの構成。他、ゲームソフトの企画、脚本。雑誌、書籍、Webメディアなどのライティングなどに従事。また2013年より京都精華大学での非常勤講師、クラウドワークス「Webライティング講座」、「すきまの教室」など講師経験もあり。2002年からアマチュアモデラーとして造形物の販売を開始。2020年からオリジナルはりこの制作、販売をはじめる。

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