見出し画像

1000年先まで「美味しい」を残すために今やること 出張料理人・現代美食家ソウダルア×糀屋総一朗対談3

ローカルツーリズム代表取締役の糀屋総一朗と、地域で活躍する方の対談。今回は「出張料理人」「現代美食家」を名乗り、料理の可能性を追求し続けているソウダルアさんです。対談の最終回は、長いスパンで物事を見て、素晴らしいものを「残していく」ことの重要性についてです。

地方に行く時は「丸腰」で

糀屋総一朗(以下、糀屋):地方に行って何かする、僕の場合は空間作りが多いですけど、なんか都会から人を連れてきて自分達だけでやろうとしてしまうことが多いんですよね。外からインストールしていくものって、けっこう気をつけなきゃいけないと思ってて。包丁も持って行かない、丸腰で行くって大事なんだなと。

ソウダルア(以下、ルア):包丁ないと楽しいですよ(笑)。「え、包丁ないの?」とかって、そこからコミュニケーションになる。そこから境界線がなくなっていって、誰かの家のキッチンを借りるところから始まって。持ち込んでるのはアイディアひとつなんです。あとは徹頭徹尾地元のものを使ってるのは、地元の人すらしてなかったりする。そうやって話してるとお母さんたちが「家で漬けた漬物使えるかしら」とか持ってきてくれたりする。それがすごいクオリティ高かったりする、そういう「実はすごい」を僕がいることで再発見できたらいいなと思いながらやってます。

糀屋:これ、反省も込めて思うんですけど、地域で何かするってことは、「何かする」というより「見つける」作業の方が重要かなと思うので、そこを見誤っちゃいけないんだなと。

ルア:そうそう。短期的にはうまく行くかもしれないけど、長期的には微妙になっちゃうんだと思います。だから料理だとどうしても和食ベースにはなっちゃいますけど、例えば梅干しだったら、地元のオイルでのばしていけば梅のソースになって少し洋風にも使えますし。そういう、もともとあるものを少しアイディアを加えて再発見するようなことがいいんだろうなと思ってます。

「美味しい」って、完全に未知の味に対して感じるのは難しいんですよ。「未知」と「既知」が混じり合った一皿が感動を呼びやすいですし、共感性も呼び起こすものだと思っています。

料理の未来はディストピア

糀屋:そこもう少し掘り下げたいですね。そのまま真面目にいくと想像できる範囲のものしか起こらないと思っていて。そこに未知なものを入れ込んでいく、SF的な発想で過去と切り離されたものを入れていくには、どうやったらいいと思いますか?

ルア料理に関しては今がピークで、未来に関してはディストピア方面だと思うんですよ。食材がどんどん減っていってしまうと思ってます。だからそれを今アーカイブしたいなとは思っているんですけど。1000年後の人類が今の食生活を見た時に、「こういう生態系があったからこういう美味しいものが食べられていたんだよ」というのをちゃんと残していこうとは思ってます。

実は料理に関してはテクノロジー上全部できなかっただけで、縄文時代にやりきってるんじゃないかなと。だいたい大事なことは人類が全部やってただろうな、というのは『鬼滅の刃』で確信したんです。

糀屋:『鬼滅の刃』で?

ルア:なんでこんなに面白くて日本人に刺さってるんだろう? って考えたら、やっぱりベースは『桃太郎』なんですよ。それで、桃太郎のベースは『古事記』。古事記の時代から『鬼滅の刃』が流行ることは決まってたんだろうなと。それから古事記にあった大人用の物語を絵本に作り替えて、もともといい物語をどうアウトプットしたら人に伝わるのか。そこを考えた人がまずパンクだと思うんです。

でも『桃太郎』と『鬼滅の刃』の決定的な違いは、鬼滅の方は「鬼にも理由がある」ってことなんです。そこって今まで日本では描かれてこなかったと思うし、勧善懲悪、単なる正義と悪じゃない多様性が描かれてるところが、やっと人類が新しいフェーズに来てるのかもしれないなと思ってるんですよ。でも人間の原点の「美味しい」「これが好き」「心地よい」とかは変わってないと思うんです。

結局人間も大きな生態系の中にいるわけで、全部つながっているんです。羅臼の昆布の神様みたいな方にお会いしたことがあるんですけど、受け継がれている言葉が「いい昆布を育てたかったら、山を守れ」なんですよね。山から栄養が海に流れて出て、それが海の生物を育てる。でも今山に入る人がほぼいなくなってしまって、生態系が崩れつつあるとか、いろんな話を聞きます。

糀屋:全部が循環してるんですよね。

1000年先まで残すための「現代美食」を広めたい

ルア:まさにです。僕が取り組もうとしてる「現代美食」はそれをしっかり伝えていく取り組みだと思っていて。その土地の循環が仕上がってるからこの料理が生まれる、この「美味しい」を食べてるからには1000年先まで美味しく食べるし、伝える。地元の人も気づいてないから100年先になったらやめちゃう可能性があるから、やめさせないためにちゃんと「素晴らしい」って褒めるし、どう残すかを考えるし。1000年先まで残しましょうよっていう。

糀屋:それは具体的にどういう活動になるんですか? 本を書くとか?

ルア:まだはっきりとは決めてないんです。いままでの「美食」って個人で決める概念だと思うんですけど、「現代美食」って僕個人で決めるものではないと思ってて。「現代美食」って言葉を浸透させるのは僕の役割だとは思ってるんですけど、「これって現代美食的だよね」って女子高生が言うぐらいの世界にしたいって感じですね。「それ現美じゃね」みたいな(笑)。いま食に対して意識を持つのは当たり前になってきてるけど、その裏側まではちゃんと知らなかったりする。梅干し1個できるのに対してもストーリーがあるし、美しさもあるので、それを知ることの楽しさ、美しさもあるし。その土地につながることを知ったら、自発的に「残そう」とする人も増えてくるかもしれない。

糀屋:ある意味、意識や価値観を変容させるというか、知ってもらうきっかけを作るということ?

ルア:ですね、視点を1つ増やすというか。僕自身も今まで出張料理人としての目線しかなかったのを、現代美食家の目線も持ってその土地を見るようにしているって感じです。出張料理人として行ったら写真を撮って文章をちょっと書いて終わり、ぐらいだったのが、現代美食家の視点を持って「出張料理人ソウダルア」の料理を見る、という感じですね。写真家の仕事に似てるかもしれないです。有名なカメラマンがいい感じに街の古本屋の写真を撮ったら、その古本屋を残そうってなるじゃないですか。それに近いかもしれないです。

糀屋:建築とかも、昔の思いを持って造られたものって「これを壊そう」とはなかなかならない。そういうことですよね。でも放っておくと代替わりのタイミングであっさりと壊されてしまったりする。それこそ外の目線を入れていかないとってことですよね。

ルア:まさに。「価値化」していかないと、ただの邪魔者扱いになってしまう。

糀屋:世代が変わってもこれを絶対売るな、ということをどうやって理解させるかみたいな話なのかなと。これは大事な食文化であり、現代美食であるということをどうやってソウダルアというアーティストが取り組んでいくか。

仕事や趣味ではなく「使命感」を持って

ルア:まずはいくつかの都市に寄り添って伴走して体系化すると思うんですけど、それが外に取り上げられたりしていくと、他の誰かも「ていうことはこれも?」って気づくと思うんですよね。伝播していくというか。1000年先まで残る生態系と、そこから生まれる食を映像化していくのが一番いいかなと思ってます。でもそれって僕にとって仕事ではないというか、かといって趣味でもないから、ちょっと大げさにいうと「使命感」が強いかもしれない。

自然や生態系、何千何万の人々の暮らしの営みがなかったら僕は料理ができていないので、特に出張料理人になってからは「この土地のものたちがあるから」という「おかげさま」を日々感じているんです。だから今の人が潤うというよりは、1000年先まで「美味しい」が続くことの方が大事かなと。

糀屋:でもほとんどの人って、先のこと、自分が死んだ1000年後のことなんてなかなか想像しないじゃないですか。たいがいの人は時間のスパンってせいぜい100年後、200年後ぐらいなのかなと思うんです。

ルア:いや、なんなら今流行りのSDGsとか、20年ぐらいのスパンの話なんで。でも聖書の1ページ目を書いた人って、10年20年のスパンでは書いてないですよ。

糀屋:でもやっぱり先のことを考えられる人ってすごいレアですよ。こういう人がいないと「残そう」という発想にならないし。

ルア:料理って瞬間的にハッピーになれるし、お金のめぐりも早いし、体系化されて仕事に困ることは多分ない、という状況に僕がたどり着けたからこそ、先のことを考えられるようになったというのはあるかもしれないです。本当にこの数年、みんなの目標設定が短くなっているなと感じてて。「100年企業」と言ってるのになんで20年後の目標しか置かないんだ、みたいなところがすごく気になってるんです。

企業の創業者の人たちって、絶対に10年20年のスパンでやってなかったと思うんですよ。日本って100年企業が世界一多いですけど、自分の代で完結するつもりで始めてないだろうなとか。自分だけ、自分の家族だけがいいっていう考えでやってたらたぶん100年は続かないなと。逆に漫画の方が壮大な世界観を描いてますよね。ジブリなんてぜひ残ってほしいなと思います。

糀屋:まさに。余裕がないと先のことに目線を置くことができなくなるかもしれない。

ルア:本当にそうですよね。いま、食の自由化って極まってて、それをみんなが謳歌してる時代だと思うんですけど、それは本当に今までの積み重ねのおかげだし、多分今後はこういうことはもうない。どんな食材でも、どんな調理法でも食べられるっていうのは、もって50年ぐらいじゃないかなって思うんです。地球環境のことや健康被害を考えていくと、「市民」がこれだけ美味しいものを食べてるって状態は、あと50年って気がしますね。

糀屋:たしかに、継承していかなかったらなくなるってことですよね。

ルア:終わっちゃいますよ。だからこそしっかりアーカイブを残して、伝えていかなきゃいけないなって思います。

糀屋:今日は話せてよかった。また飲みましょう。

ルア:飲むと同じ話永遠にしますからね(笑)。こういう機会をもらえてよかったです。

(構成・ポートレート撮影 藤井みさ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?