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地域の信頼を得るためには、泥臭さと時間が必要 藤田直哉×糀屋総一朗対談2

ローカルツーリズム株式会社代表・糀屋総一朗と、様々な分野で活躍されている方の対談。今回は、SF・文芸評論家で『地域アート――美学/制度/日本』などの著書もある藤田直哉さんとの対話を、4回にわたってお届けします。2回目は具体的な地域との関わり方、実際に地域が「変わった」事例についてです。

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地域に入り込む「外部」のふるまい方

糀屋:例えば、僕なんて本当3年前まで大島のことすら知らなかった、本当に外の人間なんですよ。今の話でいうと、そういう外から来た人間というのは、どういう態度をとって関わっていくべきなのかが結構重要になると思うんです。

大島自体は漁師町だし、わりと昔から漂流者とかヘンテコな人が海から来たりするんで割と受け入れてくれるところはあったんです。そんなに抵抗はなかった。ただ、一泊10万以上の宿を作る、って言った時には「頭おかしいやつが東京から来た」みたいな哀れみの目で見られるようにはなりますね。

藤田:ああ、そういうことはあるかもしれませんね(笑)。

糀屋:僕がそういう中で「違うんです」「あなたの言ったこと間違ってます」とか言い始めたら、それはもう受け入れられないわけです。今の「伝統」とか「物語」みたいなものを持っている地域に入り込んで事業をやっていく時、具体的にはどういう心持ちでいればいいんでしょうかね?やっぱり「地域の歴史をちゃんと知るべき」であるとか……。

信頼を得るためには時間と根気が必要

藤田:新潟の『大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ』の場合ですけど、あれは現代アーティストの北川フラムさんがまず反発に遭い続けて、確か説明会を何百回とやったんじゃなかったかと思います。とにかくすごい回数、地元の人に会って説明して、信頼を作っていったようです。ロジックとかじゃなくて、とにかく会って喋っていろんな意見を聞いて、やっていく。

「こうするべきだ」という計画を外部から上から持ち込んで、それがうまくいくってことはほぼないみたいですね。それが「デザイン」論としては面白いところなんですよ、結果として複数の人が関わって創発的に設計していくようになるわけですから。

糀屋:でしょうね。

藤田:ただ、地域にまるっと設計を委ねてしまうと、あまり良いことにはならないんですよね。当人の主張を通すことが当人たちの利益にならないことって結構ありますからね。デザインする側の狙いは維持しつつ、地域に自由の余地があるようなバランス。そこで悩むケースが多いと思うんですけれど……。

糀屋:そうですね。旧態依然とした地域の延長線上には答えはなくて、そこからちょっと飛躍した部分に大事なところがある。それを取り入れていくためには、パターナリスティック(当人に代わって意思決定をする)な面もある程度、必要なんじゃないかと思うんですよ。

外の目と地域住民とのバランスも難しい

藤田:僕も正直、隠れた形であれ、何であれ、パターナリズムは必要だと思うんですね。ただ相手を押し潰さないよう、地域にあるものを大事にするようなバランスにしなきゃいけない。それだけに、信頼みたいなものを作っていくことはどうしても必要になるかなと思います。僕の友人に影山裕樹というローカルメディアをやっている編集者がいるんですが、彼は地方に行くと青年会議所みたいな人たちとよく飲んでる(笑)。

糀屋:ああ(笑)。

藤田:そこでいろんな話を伺う。もちろん「思想的に自分とは違うな」って部分もあったりするんですよ。いろいろあるんだけど、そこはまあまあ、みたいな感じで(笑)、飲んで信頼関係を作って何かをして、それを続けていくことで「少しずつ何かが変わって行ったらいいな」という活動をしているみたいで、そこから学ぶことも多いですよ。批評家って、どうしても、言葉で角を立てて争いがちな生き物なので(笑)、そうじゃない共存の技法みたいなものの叡智には学ばされています。

「怪しい奴が来た」からどう信頼を獲得していくか

藤田:今、糀屋さんが現象的に困っていることはどんなことですか?

糀屋:先日、島にコインランドリーを設置したんです。最初は「感謝されるのかな」って思ってたんすけど、全然そんなことない(笑)。むしろ「あいつはお金を出して、何か悪いことをしようとしてるんではないか」みたいなフェイクニュースが広がったりもしたんです。

藤田:なんか怪しいやつ来たと(笑)。

糀屋:「大島に投資して乗っ取ろうとしているのではないか」みたいなニュースがぱっと広がったりするんですね。でも、そういうのに凹まないで、ちゃんと説明する。「そうじゃないんですよ、僕はただ便利に使えるコインランドリーを作りたいだけなんです」と。

藤田:やっぱり、敵じゃないんだってことをちゃんと示した上での信頼は大事なんだな(笑)と。そういう意味では「呑みニケーション」とかにも意味があるんだなって思いますよね。

糀屋:すごい泥臭い話にならざるを得ない(笑)。僕が設置したコインランドリーも、売上が入ってるんで使ってる人はいるんです。それで利便性を与えてるかもしれないですけど、それで感謝はされることはないっていうのが、ちょっと寂しい時があります。

藤田:それ悲しいですね。糀屋さんがやられてることでGDPが1.5%ぐらい上がって、今のプロジェクトがうまくいけばそこは観光地になって、富裕層向けのいろんなビジネスが増えて、地域がとても良くなって今後の持続可能性が上がると。地価も上がるかもしれないし、インフラも維持できる。それなのに……。

糀屋まず怪しいって感じから入りますよね。悲しいけどそういうもんだっていうぐらいに思ってやっています。3年単位ぐらいで変わるとは思うんです。島に来て「なんとなくこいつは大丈夫かも」って思われるまで3年ぐらいかかっています。今、合同会社を作ってそこにみんなの資本を集めてみたいなことをやろうとしてんすけど、それも理解してもらうのに、あと3年ぐらいかかるでしょう。だから10年スパンぐらいでやらないといけない。

藤田:確かに会社とかで考えれば「コンサルがいきなり来た」みたいな。「すんなり受け止められないぞ」みたいな気持ち。それはあるのかもしれないなあ。

糀屋:そうそう。警戒しておこう、みたいな。だから、こっち側としてある程度やっぱタフじゃないとやっていけないっていうのがありますよね。

藤田:そのやりきれなさはあるでしょうね。大竹伸朗さんもセーラームーン描くのには抵抗あったと思いますよ。でもそこで描いたことによって大竹伸朗さんは「地域と具体的に関わる作家」に変わる契機になったと思うんですよ。僕は、その葛藤に意味があったと思うんです。

地域が変わるための条件

ーー藤田さん自身、地方地域の人と関わることはあるんですか?

藤田:あまり詳しくは言えないのですが、最近は積極的に地域に関わるようにしています。文化芸術そのものだけではなく、それを取り巻く社会や政治や経済など、複合的に色々と見えてきて、面白いですよ。

今の糀屋さんのお悩みに役に立つのかと思ってお話しますが、いまでは文化芸術が盛んな、住みやすい町のように思われている地域も、長い草の根の活動で発展してきたりしているんですよ。行政だけじゃなくて、あるキーパーソンが、地域の色々な方々と交わったり、焚きつけたりして、いわゆる「ローカルエリート」的な活動をする仲間を増やしていった結果、相当に豊かな成果が出ている町もあるんです。

草の根からの活動でも、時間をかければ実を結ぶ

糀屋:すごいですね。

藤田:僕もそれを調べて分かったときに、感動してしまいましたよ。だから、結果がそこまで見えるには数十年はかかるかもしれないけど、できるんです。「ローカルエリートを育てよう」と活動していって共感する人が増えていけば、多分、全然違う町になりますよ。

誰かがアクションしたか、してないかっていうのはでかいんですよ。「なんでわかってくれないんだろう」とか、「なんで伝わらないんだよ」とか僕も絶望的な気持ちになることもあるんですけど、1人の行動が、何百人何千人を巻き込むような大きな街の変化に繋がってるという事実を知ってしまうと「地道にやっていこう」と思いますね。

糀屋:今、日本の財政はもう余裕がない。これから地域もどんどん切り捨てられていくことになってくるので「本気で考えなきゃいけない」というモードにすでになっていると思うんですが、だからこそタイミング的にいいんじゃないかな? という気持ちはあるんですよ。社会が駄目になって人が光るじゃないですけど、原石みたいな人たちに光を当てていくタイミングとして、実は良い時代なんじゃないかなと。

藤田:そう思いますね。危機の方がチャンスがあるという考え方もできる。本当に滅亡したくなかったら何でもやるしかないってところもあると思います。

藤田直哉
批評家。1983年札幌生まれ。東京工業大学社会理工研究科修了、博士。日本映画大学准教授、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)『シン・ゴジラ論』『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』『攻殻機動隊論』(作品社)、『シン・エヴァンゲリオン論』(河出書房新社)。 編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)、『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)など。

(構成・齋藤貴義 編集と撮影・藤井みさ)

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