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地域を変えるためには土地と文化の「連続性」を意識する 藤田直哉×糀屋総一朗対談1

ローカルツーリズム株式会社代表・糀屋総一朗と、様々な分野で活躍されている方の対談。今回は、SF・文芸評論家で『地域アート――美学/制度/日本』などの著書もある藤田直哉さんとの対話を、4回にわたってお届けします。初回は地域に関わることで見えた問題点と、地域に入っていく上での拒否反応との向き合い方についてです。

藤田直哉
批評家。1983年札幌生まれ。東京工業大学社会理工研究科修了、博士。日本映画大学准教授、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)『シン・ゴジラ論』『虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』『攻殻機動隊論』(作品社)、『シン・エヴァンゲリオン論』(河出書房新社)。 編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)、『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)など。

「外の目」から地域を変える人と地域の距離感

糀屋:3年ぐらい前、福岡県の宗像市の大島という離島で1組限定、1泊10万円の宿を始めたんです。それで、初めて地域が持ついろんな問題が見えてきました。一番の問題は、旧態依然とした問題に対して、誰もどうにかしようと考えていないことです。僕ら都市生活者から見ると素晴らしい可能性を感じる地域なんですが、シビックプライドみたいなものも薄いから、自分たちが作ってるものとかサービスをとんでもない安い値段で売っちゃっているわけです。

それで商売としては全然儲からないし、それを継ごうみたいな人たちも当然いない。産業も衰退化して、若い子たちも外に出ていってしまう。ただ、地域を変えるって言っても非常に難易度が高い。でもどうにかしないと、地域の消滅がありありと想像できてしまうんだ、ということを感じているのが現状ですね。

藤田:非常によく理解できます。僕は出身が北海道で、札幌以外の市や町に住んでる親戚も多いんですよ。それで同じようなことを感じています。北海道は衰退が激しくて、インフラ面でもJRが廃線になったりしています。でも当事者たちは自発的に「何かをしよう」とはならないんですね。北海道は歴史的に国から保護されながら産業が育ってきた土地なので、自分たちで新たな産業を作るとか、自分たちが土地に責任を持つというモードになりにくいというのが元々あるんだろうと思います。しかしそれではどうもならないんですよ。

糀屋:本当にそうですよね。その課題を少しでもどうにかしたいなと思って、僕は『ローカルエリート』という立ち位置の方に投資をしていって、地域事業を起こしていける人材を支援し、かつ、地域で事業を興していけないか? と考えて取り組んでいます。

「ローカルエリート」を育てたい

それと並行して、僕は今、地域で活動をしているアーティストにも投資をしているんです。たまたまなんですが、アーティストの井口真理子さんという方が大島を気に入ってくれて、先日移住してきました。そこで、これから地域でアート活動をやっていきたいっていうことを言ってるんですよ。

ただ、非常に微妙な問題をはらんでいて……例えば、アーティストの創作活動とは直接関係ない絵を描いてほしい、とか頼まれたりする。それをアーティストとして受けて良いのかどうか? と考えてしまうんです。受けなければ受けないで「あいつは何なんだ」みたいになっちゃうかもしれないし、受けたら受けたで、アーティストとして関係ないことをさせていいのかと思ったりもするなあと、難しいなと考えていて。それで『地域アート――美学/制度/日本』をお書きになった藤田さんに、その辺りのことを伺おうと思っているんですが。

藤田:なるほど、それは悩ましいところですが……大竹伸朗さん(1980年代から絵画、彫刻、インスタレーションから建造物までおびただしい数の仕事を手掛けてきた、日本の現代美術を代表するアーティスト)は、地域に移住されたときに「セーラームーンの看板を描いてくれ」って頼まれたらしいです。学園祭か何かに使うやつ。で、大竹さんは描いたらしんですよ。

糀屋:へえ! 描いたんですね(笑)。やっぱり、地域との距離感を考えていろいろ決めていかないといけないのかな。

地域を変えるための人を生み出すための「環境」

糀屋:そもそも藤田さんが地域アートに関わるようになったきっかけというのはなんだったんでしょうか?

藤田:僕はそもそもゼロ年代のオタクカルチャーとかコンピュータ産業が発達した時代の「批評」の中でデビューしたんですが、そこでは中央中心的な議論が主流で、地方、ローカルみたいな部分はほったらかしになっていました。ただ、現代美術のいくつかの流れの中に「地域にアプローチして何かをやろう」「社会課題を解決しよう」という動きが出てきていました。そこでちょっと面白そうだと思ってコミットしていくうちに評論を書かせていただくようになったという経緯があります。

カルチャーから地域への興味を広げていった藤田さん

それがきっかけになったのか、最近では「地域デザイン学会」と言うところからお声がけいただいて特命理事みたいなことをやってるんです。日本で行われてる地域アートや、地域デザインの現場で起こってるモデルについて考えるお手伝いですね。経営とか戦略の研究者が多いんですが、その方たちに「現場ではこういうことが起きてるんだよ」ってお話しをしている。現場で見えるものに関して言えば、糀屋さんのお話と通底したところがありますね。

糀屋:そうなんですね。

藤田:まず、糀屋さんがおっしゃるローカルエリートになり得る人材、高度な人材は簡単には生まれないというのが実感ですね。新しいアイディアというのが「関係ないもの同士を繋いで、状況を変えていくもの」だとしたら、そういう発想ができる人間が地域にはまだ少ない。そこで、どうやったらみんなが発想できるようにするかということが必要だと思うんですよ。今、僕の関心は「考え自体を狭めているような枠の外し方」とか、「いろんなものを繋げた時にそれを受け入れてもらうための地域のメンタリティをどう作るか」みたいなところに移行しています。

糀屋:環境をどう作るかということですか?

藤田:はい、僕はそのための道具として「地域にある伝統」とか「宗教」とか、地域がこれまで維持してきたものを使って、メンタリティを変えることができないだろうか、と思っているんですが……。

糀屋:「地域にある伝統」に「宗教」ですか。

藤田:マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中にあるんですが、資本主義の精神を実行してお金を貯めたり、勤勉に働くというのは、要するに宗教の伝統があるからですよね。カルバン派のプロテスタンティズムというのは、まず勤勉であるということが前提。その上で自分が神に愛されてるという証明を得るために、世俗的な成功をまず収める必要がある。その考え方をベースにして資本主義が発展していったという話です。

あるいはシリコンバレーも、ヒッピーたちがユートピアをを求めて、それが結果としてヤッピーとかと混ざってIT系の発達になった。そういう宗教的なバックグラウンドがあって発展してきたんですよね。そもそも地域、地方ってテクノロジーとか新しいものを嫌がる人がすごい多いわけですよ。

学術的なバックグラウンドからも問題点を話していきました

糀屋:まず拒否反応を示しますよね。

藤田:だから「宗教」でもいいし「地域の伝統」から入っていく。

糀屋すでにあるものを利用して、それを変えていくというアイディアなんですね。

藤田地域が大事にしてきた伝統や生活の一番いいところを維持しつつ、それとの連続性をちゃんと確保しながら、新しいものと融合して、ちょっと別種のハイブリッドなものに変えていくことが我々が生き延びるいい道なのではないのかな? と。僕の書いた『攻殻機動隊論』はそういうテーマについてまとめています。

これまでと連続した中で変えていく

糀屋:何かを変えていく時「今までのものを切断して新しい前衛的なものを作る」と考えがちですけど、「切断」じゃなくて「接続」ということですよね。何かを乗り越えるものって、全く別のものではなくて「繋げるようなもの」が重要なんでしょうね。

藤田:そうだと思うんですよ。要するにアイデンティティ。我々が古代から今まで繋がっているというアイデンティティが重要なんです。日本では祖霊信仰とかもあるから、過去と現在が繋がってないといけないし、切断したくないという気持ちを多くの人が持っていると思うんです。

糀屋:そうですよね。

藤田:だけどその繋がってるという感覚は、フィクションでもあるわけです。日本の歴史というのは神道とか縄文とかいろいろあって、いろんなものが混ざり合いながら今に来たわけです。「不連続なもの」が「連続している」という錯覚があってアイデンティティの源になっている。だから、連続性の物語みたいなものをうまくデザインできれば、新しいものを受け入れるメンタリティも育っていくと思うんですよ。自分たちの大事にしてきたものを破壊せず、より発展して進化させるということですね。

(構成・齋藤貴義 編集と撮影・藤井みさ)

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