「地方創生」政策の失敗、特殊合計出生率の罠〜8月23日から9月3日のVoicy
ローカルツーリズム株式会社代表・地域事業家の糀屋総一朗がVoicyで配信中の番組「ローカルエリートは棍棒を振りかぶる」。曜日は不定期ですが朝7時に更新しています。先日「地方創生」について投稿したところ、多くの反応をいただきました。改めてこのことについてしっかりお話ししてみました。
1.すべての「地方創生」は無意味?
先日X(旧Twitter)でポストしたところ、バズった投稿がありました。
これを受けて、結局「地方創生」とはなんだったのか?というのを、一から考えてみたいと思います。
「地方創生」と聞くとみんなで地方を元気に、明るくしていこう…みたいなイメージが浮かぶかもしれません。「地方創生」という言葉自体は、2014年に当時の安倍政権が言い出したことです。政策としては、人口を増やすことを目的としていました。補助金を出すことで地域の魅力を増やし、東京一極集中を防ごうという考えです。
このきっかけとなったのが、増田寛也さんが「日本創生会議」にて「消滅可能都市」という考えを発表したことです。これが政府にも影響を与え、政策ができてきた形になります。
では、この政策はうまくいったのでしょうか?データから見るとまったくうまくいっていません。コロナ禍で東京から転出する人が増えたという事実はありますが、その転出先は神奈川、千葉、埼玉など「東京圏」であり、地方には人は流れていきませんでした。
コロナが明けても東京への集中は変わらず、地域へ人を移動させて人口増を実現する、という政策はうまくいきませんでした。
なぜうまくいかないのか。「補助金を使って地域の魅力を上げて人口を増やす」という考え自体が実現性がないからだと考えます。政策がうまくいかなかったことを認めた上で、では次に何をしていったらいいのか?と考えていかなければならないと思っています。
議論はさまざまにありますが、僕は一番には統治構造、ガバナンスの問題だと考えています。中央集権的なお金の配分構造を変えていかない限り、同じ失敗が繰り返されてしまう。責任あるお金の使い方を実現するためには、現状の配分の構造を変えていかなければならないと考えています。
2.「人口減」は東京一極集中のせいではない
「地方創生」は東京一極集中を否定し、補助金によって地方の魅力を増して人口増をはかる政策だということをお話ししましたが、そもそも東京一極集中は悪いことなのでしょうか?
15歳から49歳までの年齢別の出生率を合計した数値、合計特殊出生率はニュースでもよく取り上げられています。2022年の全国での合計は1.26ですが、東京は1.04と低い数値。東京の出生率が低いから、日本の人口にとって東京は悪であると認識されてしまうことが多いですし、今もそう思っている方も多いと思います。
しかし実際東京に住んでみると、子どもはたくさんいるのがわかるかと思います。
合計特殊出生率は、分母が15〜49歳の女性(未婚・既婚問わず)で、分子が生まれた子供の数です。子供がたくさん産まれれば出生率は上昇するのはお分かりかと思います。
ただ、あるエリアから未婚女性が流出すると、そのエリアの未婚女性割合の低下によって出生率は上昇します。なぜなら分母の数が減るからです。田舎だから出生率が増えるというわけではなく、分母が減ることによって出生率が上がっていく。逆にいうと、東京にはたくさん人が流入してくるから分母自体が大きくなり、出生率は下がっていくわけです。
出生率が高ければいい、低ければ悪いというものではありません。地方から都会への移動の人数が多いと、出生率というものはほとんど役に立たないのではないか。その部分の議論がなされず、数字だけが一人歩きしている状況を感じます。
改めて東京を見てみると、1995年を100として出生数をみてみると、100を下回った2005年と2021年しかありません。出生率は下がっているけれど、産まれている数はまったく変わっていないんです。全国の出生数を見ると、95年の68%程度まで落ち込んでいます。
出生率を使うと、地方の方が大きいので「地方の方が子供が多い」とミスリードしがちで、実際に間違った政策が行われています。数字に騙されることなく、しっかりとデータを見て現実を認識していくのがまず大事だと考えています。
3.思ってもみない、想定外のことが起きたらどうする?
先日、知人から面白い話を聞きました。その彼の会社で観賞用の水槽を導入し、業者にお願いしていました。水槽の中に擬似的な生態系を作ることをコンセプトにしており、熱帯魚以外にも海藻や海鼠(ナマコ)を水槽に入れていたそうです。
しかし海鼠がポンプに詰まり、びっくりした海鼠が毒を吐いてしまい、水槽の中の生き物が全滅してしまったそうです。
その話を聞いて思ったのは、「人間は何をやっても想定外の事態は避けられない」ということです。東日本大震災の原発事故などもそうです。裁判でも事故が起こったことが「想定外だったのか、想定内だったのか」が論点になり、想定外という判決で国の責任は問われませんでした。
正直なところ、東日本大震災の前に30mの津波が来て、街に大きな被害が出て、原発が爆発すると予想できた人はほぼいなかったのではと考えます。ただ、想定外のことというものはいつでも起こり得るということは考えておかなければいけないと思います。
先ほどの海鼠の話も、ポンプに詰まって毒を吐くことなんて想定できないでしょう。だからといって想定外のことを考えうる限り考えても、それを超える想定外のことは起き続けます。
では、想定外のことが起きた時にはどう対処していけばいいのでしょうか。リスクを限りなく取り除いていく「ゼロリスク信仰」もありますが、リスクをゼロにすることは不可能です。
想定外のことが起きた時は、その失敗から学ぶということも必要ですが、「諦め」のようなことも必要なのではと考えています。「しょうがない」と受け入れる。ある種の責任追及を放棄するという言い方もできます。リスクを必ず避けられるという傲慢な考えは捨て、失敗を受け入れ許すという考え方も必要なのではと考え、お話させていただきました。
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今回はこのほか、「満足度が高くても、付加価値の高い宿はリピートされない」「商売する元気がなくなってきたら」についてお話ししました。まだまだ暑い日が続きますが、少しずつ雲や虫の声などで夏の終わり、秋の入口を感じるようになってきましたね。今年も残り4か月、気を引き締めて事業に取り組んでいきたいと思っています。
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