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大島で活動し、地域と自分の可能性を広げていきたい 井口真理子×糀屋総一朗対談3

京都から福岡県宗像市の大島に移住し、新しく作られたアトリエでアーティスト活動をしている井口真理子さん。連載「Oh! 島セキララ記」でも移住や活動の実際を本音で綴ってくれています。今回は大島移住のきっかけを作ったローカルツーリズム代表の糀屋総一朗と対談を実施。あらためてこれまでのことを振り返り、これからのことを語ってくれました。対談の最終回は大島での生活と、これからのビジョンについてです。

大島での生活をはじめて

ーー会社員を辞めて移住されたわけですが、迷いはありましたか?

井口:そこは……お導きの力かなと思っていて(笑)、会社員として社会勉強できることにありがたく思いつつも、どこかで区切りをつけたいなとは思ってたんですよ。どこかでアーティスト生活をやれたらいいなって思っていたところ、1年前に大島に来た時に刺激を受けて……タイミングが来たのかなっていう感じでした。

大島って生まれ育った京都とは反転したような自然環境で、そこにも惹かれましたし、冒険心、実験心もありました。何より、宗像の神様とのご縁も感じましたね。京都時代のいつもの散歩道の途中に神社があったんですけど、移住直前にそこが宗像神社だってことに気づいたんです。これは「見守ってくださってたんだな」って。大きな決断なはずなんですけど、その時に「大島に行くのは自然な道」なんだなって思って……いい流れというのを感じました。

ーー改めて大島に住んでみて、日々いかがですか?

井口:まだ住んで2カ月半くらい。制作や個展があってバタバタしちゃってたんで、正直、大島を味わい尽くすのはこれからかなっていうところですね。それでも、柔らかい雰囲気が街全体に漂ってるなと感じています。島の人たちも親切で優しい方が多い。言葉遣いは豪快だなと思うこともありますが、根がおおらかな人たちなんですよ。子供たちものびのびと暮らしていて、知らない人でも気軽に挨拶できる。そういう都会にはない空気というか、都市が失った物が大島にはあるなって日々感じます。

糀屋:島の方ともすでに交流してますよね。

井口:最初に壁画を描いた「Umiba」はオープンスペースになっているので、壁画の制作中にもおじいちゃん、おばあちゃんたちが見に来てくれました。「今日はどこまで描いたと?」「結構描けてきたね」とか「この絵は何だ?」とか話しかけてくれたりもして。この前も「島の外からなんですけど、絵を描いたっていう噂を聞きつけたんで、娘を連れて行きたいんですがいいんですか?」って連絡をいただいたり。地域の人たちが「絵を見に行こう」って能動的に興味を持ってくださることが嬉しかったですね。

絵を描いている時から島の人たちが次々に訪れた

糀屋:新しい刺激っていうことですかね。大島にはたぶん、こういう人が歴史上いなかったんで、みんな興味があると思うんです。今までなかった「アートに興味を持つ」という気持ちや行動が起きてる。それは新たな形、新たなトラフィックが生まれたんだと思って、本当に大きな価値があると思ってます。言うなれば新しい化学反応みたいなことですよね。

井口:本当にそうなんです! 壁画のタイトルは『PRISM』。この場所でいろんなコラボレーションが行われて、化学反応で何かが生まれるように、って意味で付けたんですけど、すでにそういうのがもう起こってるんだなって。そこには自分でも驚きや、これからもそういうことが起こるんだろうなっていう期待があります。

ーー糀屋さんからは、島の人たちと井口さんの関係値はどう見えていますか?

糀屋:仲良くやってるなと感じますし、先日始めた絵画教室でも子どもたちに「まりこ先生」と言われたりしていて、すごいなと思いました。

井口:島のおじいちゃん、おばあちゃんたちがみんな優しくて「今度遊びにおいで」とか言ってくれたり、野菜や海鮮をくれたり。私は壁画も個展もあってバタバタしてたんで、これから余白を作って、もっと島の人たちと交流したいなと思っています。

大島で活動することで可能性を広げたい

糀屋セーラームーン問題も今後発生しますよね。やっぱり地域とアートのあるあるですから。

井口:「これって何かのアニメのキャラ?」と言われたりしますね。アートとアニメの境目がないんです。アーティストは「なんでも絵を描く人」だとも思われているのか、「何か虫の絵を描いて」とかも言われたりしてます。だから私は「私は自分のテーマがあって描いてる絵描きなんですよ」って話すんです。「ちょっと違うんですよねー」って(笑)。

でも、ゼロベースだからそういうのが発生してるわけです。そういうところも「アートを見る」ということの土壌になるなと思います。「違うんですよ、実は………」みたいなことを話をさせてもらうところもこれから必要なんじゃないかなと。大変なとこもあるでしょうけど、前向きな方が多いから楽しみでもあります。

アトリエでの制作も快調だ

糀屋:港町って、そういうわからないものを受け入れる力はあるんですよ。昔から海を介して、へんてこりんな人から間違えてきちゃった人まで、いろんな人が来ていたので。

井口:そうなんですよね。思ってたほど閉鎖的な雰囲気も感じず、割と適度な距離感で接してくれる。村のお母さんが「島に嫁いで来るのとはニュアンスが違うんだから、のびのびやったらいいんじゃないの?」みたいなことを言ってくださって「ありがたいな。よかった」って心強かったです。今よりしがらみが多かった時代に来た方々だからこそ「気にせずやってほしい」みたいな思いもあるのかもしれませんね。

ーー可能性を感じるエピソードですね。

糀屋:今、僕も一緒になって、彼女がこの地域でどういう作品を作っていくかみたいなディスカッションをしてるんすけど、多分面白いものがどんどんできてきますよ。大島は神道が強いという地域性があるので、神社と真理子さんとのコラボみたいなものをやりたいと思っています。

井口:ぜひやりたいですね。

糀屋:それによって、アーティストとしての新しい側面みたいなところが作れたらいいなと。藤田直哉さんとの対談でも、そういうふうに言ってもらえましたね。

ーー井口さんは、そのほかにやりたいこととかってありますか?

井口やりたいことがいっぱいあって人生足りないですね(笑)。ひとつずつやっていこうと思っているんですが、まずは「井口真理子はこれだ!」っていう世界をどんどん進化させ、探求していきたい。それがいろんな創作の拠点になると思っています。

一方でアートの敷居を低くして、先月の個展で制作したハンドメイドTシャツなんかも、を今後も継続していきたいなと思ってます。メイドイン大島って形での物販とか、気軽に入ってきてもらえるきっかけを作りたいですね。そして3つめが宗像大社とのコラボレーションです。大島にいるからこそできること、そこで私は何を見い出せるのかっていうことですね。この3点は総合的にやりたいなと思います。

大島にきてから生み出された絵画たち

糀屋:想像すると楽しいことが多い。いろいろやっていきましょう。

井口大島とコラボレーションすることで、大島をもっと多くの人に知ってもらう機会になって、私自身、アーティストとしても発信できる。ふたつが広がっていくっていうことになったらいいなって思いますね。それが、地域の新しい可能性の一つのモデルになればいいなと考えています。

井口真理子
1990年京都市生まれ。昔-今-未来を通した人間交流の視点で、人間とは何かという問いを焦点に、近年はサピエンスの未来を描いた絵画シリーズ「NEW PEOPLE」を制作。2013年、京都市立芸術大学を卒業後、市内のアトリエを拠点に活動。2022年より福岡県宗像市大島を拠点に活動。直近の主な展覧会に、個展/「OH!! HUMMY!!」(2022年 福岡)、個展/「PLAYLAND」(2021年 福岡)、個展/「ONGOING」 (2020年 京都)、グループ展/「パラレール」 (2021年 京都)他。

(構成・齋藤貴義 写真提供・井口真理子)


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