風を読み、得意なことを活かす「ヨット型」で仕事を広げてきた “地理人”今和泉隆行さんのキャリア形成(下)
実在しない街の地図を描く「空想地図」作家であり、地理情報をわかりやすく編集・デザインする活動も行っている “地理人”こと今和泉隆行さん。講演活動なども精力的に行い、活動の幅をどんどん広げている今和泉さん。今のキャリアを形成していくにあたって、ご自身を「ヨット型」と語る今和泉さんの仕事のつくりかたとは? 聞き手はローカルツーリズム代表の糀屋総一朗です。
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「無収入トレーニング」で得体の知れない恐怖を克服
糀屋総一朗(以下、――)どれぐらいのタイミングから今の仕事につながってきたというか、うまくいき始めたんでしょうか。
今和泉隆行(以下、地理):2011年に会社を辞めることを決めました。特に次にすることも決めず5月にやめて、さてどうしたもんかなとぶらぶらしていたら、友達が「人手が足りない人がいるので手伝ってくれないか」と声をかけてくれて。そこではひたすらイラストレーターとフォトショップを駆使して、ネットショップに新商品の画像をアップし続けていました。
しばらくやっていたらその人達が「沖縄に移住して仕事を続けるけど一緒に来ないか?」と声をかけてくれたんですが、沖縄はいいかな…と。それで次はどうしようかな、というときに「無収入トレーニング」というのを始めてみたんです。
――「無収入トレーニング」??
地理:何か仕事しないと、と思ってたんですけど、「食えればなんでもいい」、どうでもいい仕事を探そうとしてるなと気づいたんです。かたや、世の中には「食えるかはわからないけどとにかくアメリカに行く!」と冒険に出ている人もいるなと。その人は、「何になるかわからないけど、アメリカに行くということに先行投資している」んだなと感じました。
それで今の自分の状況を考えたときに、「仕事で埋めて忙しくて食えちゃう」状態になろうとしているなと。私は貯金があってもアメリカには行けないですけど、「働かない」ことは選べるなと思って、「無収入トレーニング」と称して働かず、お金が減ることに慣れようと思ったんです。そうすると、それまではお金が減ることというのは「計り知れない恐怖」だったんですが、だんだん「計り知れる恐怖」になってきたんです。
――なるほど。
地理:それから1年ぐらいは、派遣やアルバイトを転々としていました。イラストレーターが使えたので、大手量販店のチラシを製作する、夜勤のオペレーターをしてました。その頃の収入は派遣が8割、直接頼まれた名刺づくりなどの自営が2割、という感じですね。でも、派遣も夜勤だと時給が高いので、週3回に抑えてても生活はできる、という感じでした。
本を出してから潮目が変わった
――2013年には初の著書「みんなの空想地図」を出版されましたね。
地理:本の話を最初にもらったのは11年だったんです。編集者の方には「これ(空想地図)を本にしてどうするんですか」と言ったんですよね(笑)。そしたら「都市論は数多くあり、地域固有の何かを見つけようとしているが、ゼロから都市を再現するのは新しいアプローチだ!」と熱弁されまして…。私が作った「空想地図」を世に出すのが的確かはわからないけど、なんか説得力があるなと思ってOKしました。
本を出版すると、実際に反響がありました。同年にタモリ倶楽部に呼ばれた影響もあるかもしれませんが、実際に仕事を依頼してくれる方が増えて、2014年には派遣と自営の割合が2対8ぐらいに変わっていました。
その次の年、15年には毎月の収入が「自分が思う最低限」の額を安定して超えるようになりました。そうすると張り合いがなくなってきちゃって、会社をつくることにしたんです。個人の金銭感覚じゃないものを身に着けたいなという思いもありました。それで株式会社地理人研究所を15年の7月に設立しました。
――株式会社にしたのは何か理由があるんですか。
地理:登記の費用がかかったほうがよかったんです。株式会社を作るのには全部で30万ぐらいかかるんですけど、お金を払ったら取り返したくなるんじゃないかと思って。強制的にハングリー精神を感じようという理由でした。
――なるほどですね。会社にして変化はありましたか。
地理:リアル地図制作、トークゲスト、ワークショップ等、ちょうど個人としての仕事が増えていた時期でしたが、当初は法人化した意味はほぼありませんでした。ただ、近年になってから大きな案件で「個人だと発注しにくい」と言われた仕事が数件あり、ようやく法人化の意義を感じ始めています。
――今の収益の柱は何になるんでしょうか。
地理:実はかなりばらつきがあり、「これがメインだ」と言えるものはないんですよ。狙ってバラつかせたというよりは、自然とこうなっていったという感じですね。
2023年に関してでいうと、地図・地理に関するプロジェクト参加、空想地図の受注制作や活用、アート出展、著述、グッズ販売、実在地域の地図のデザイン、講義、ワークショップなどをやりました。空想地図の中でも、ドラマ『VIVANT』の地図を担当したのは思いのほか反応がありました。
ヨット型で、省エネで生きていきたい
――今の地理さんの活動を見ていると、きわめて作家的活動が増えてきているなという感じがします。僕は地理さんのことはアーティストだと思ってますし。
地理:13年に出した『みんなの空想地図』以降、たしかに書く仕事は増えたんですが、今ほどではありませんでした。19年に『「地図感覚」から都市を読み解く』『どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本』を出してからは、そもそも著述業の人だと思われることも多くなり、記事や書籍の依頼もさらにいただくようになりました。それで結果、「作家」っぽくなっているんですけど、そう来たか、それならそれで楽しむか、という感じです(笑)。
いろいろな選択において、正直なところ消極的な判断も多かったんですけど、結果的には自分なりの仕事のスタイルを生み出したとも思っています。
――今の地理さんになっているのは、積極的に選んだというよりはなんとなく、ということですか?
地理:私は自分で漕ぐタイプの人には勝てないと思っています。競争が嫌いというのもありますし、トップではないにしても自力でなにか掴み取ろうという人にも勝とうという気はないんです。やろうとしても飽きが早く、本気なんて出たことはありません。最近、若い人で無気力層というのが問題にされることもありますが、そういう彼らの気持ちはすごくわかるんですよ(笑)。
最低限のパワーで生きようと、最低限の平社員をやれれば良いかなと思ってましたが、そんな社員は会社も求めてませんよね。じゃあどうする?と選んできた結果なんです。
――結果的に誰にも真似できないキャリアになっている気がします。
地理:私のいる領域はブルーオーシャンかもしれないんですが、そのオーシャン自体が枯れたりもするということですね(笑)。人の多い市場で戦う気力も、新たな市場を切り開く気力もないけど、乾いた海でも広めに網を張っているとどこかでは水が湧いてくるので、それを待つ、という表現の方が正確かなと思います。
私はエンジンのついている船ではなく、ヨットなんです。自分が価値を出せる方に風が吹いていれば、帆を張っていく。私は幸いなことに人見知りではなく、初対面の人とでもそこそこ突っ込んだ話ができるので、そういう自分の性格も活かしてきました。
たとえば、仕事とか全然関係なく、いろんな人が集まっている飲み会に行って、自分に関心を持った人に話を聞かれれば、いろいろ話してくる。そうすると1年ぐらいすると、声をかけてくれる人が増えて、仕事も自然に増えていくんです。
「ヨット型」の場合は、「これが求められているぞ」という風を読むことも大事だと思っています。いま、どういう風が吹いているかを読むために、仕事のプロットも作成しています。これが「海図」になりますね。
――すごい。これはヨット型の人に限らず、誰でもやった方がいいんじゃないかという感じがありますね。
地理:ありがとうございます。私は幅が限られている学校や会社といったものが土台になっていた時は、正直なところ生き方がわかっていなかったんです。今の方が「生きてる」って感じがしますね。どうやって食っていくか、というシビアさはつねにつきまといますが…。
起業家には、無尽蔵にパワーをみなぎらせてどんどん切り開いていくようなタイプの方もいますが、私はそういう人たちとは対照的だと思っています。自分の中から自然に出てくるエネルギーを活かし、感性を最大限に活かしつつ、それ以外は省エネで生きていきたいと思っています。今でも「なるべく働きたくない」と思っているので(笑)、自分をどう舵取りしていこうか考えながら進んでいきたいと思っています。