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料理は自然と人をつなぐ「媒介」 出張料理人・現代美食家ソウダルア×糀屋総一朗対談2

ローカルツーリズム代表取締役の糀屋総一朗と、地域などで活躍する方の対談。今回は「出張料理人」「現代美食家」を名乗り、料理の可能性を追求し続けているソウダルアさんです。対談の2回目は、ルアさんが出張料理人の他に「現代美食家」と名乗ることになった経緯と、地域に行くことによって「本物」を発見したことについてです。

コロナになって考えた「現代美食」の概念

ソウダルア(以下、ルア):自分は30歳ぐらいまで主体的な人間だと思ってたんですけど、料理ってそもそも受動的なものなんだなと気づいたんです。人からの思いを受け取ったりとか、自然から恵みをいただいたりだとか、自然界と人間界をつなぐ橋渡しをする、あくまで媒介なんだろうなと気づいたんです。人間的にも出張料理人になってからすごい変容しましたね。

糀屋総一朗(以下、糀屋):ルアくんってすごいぱっと見フォルムも異様だし(笑)、マッチョなイメージで主体的な感じなんだけど、話してるとそんなことなくて。勝手にオラオラ系かと思ってたんですけど、全然そんなことないんですよ。

ルア:もうなんか、「俺の料理」とかないんですよ。ただそこにあるものと向き合うっていう。

糀屋:そういうふうに、「出張料理人」って僕の中で完成系に見えたんですけど、いまルアくんは「現代美食家」も名乗ってるじゃないですか。コロナになって全国に行けなくなって悩み始めて、Facebookとかでも「今日から現代美食家だ!」みたいに発信してましたけど、それが意外だったんですよね。

ルア:Facebookではそう書いちゃいましたけど、今は考え方がちょっと違って。僕、店をやってた時から出張料理人になった時は「脱皮」とか「生まれ変わり」みたいなイメージが強かったんです。だから「出張料理人」ができなくなった時は、また脱皮しなくちゃいけないのかなとか、「料理ってなんだろう」ってずっとモヤモヤしてて。今自分ができることはなんなんだろうって考えてましたね。

糀屋:考えてた期間はどれぐらい?

ルア:コロナになってから丸2年ぐらい、なんやかんや悩んでましたね。でも今回は「脱皮する」という思い込みをやめて、「出張料理人」の僕もいるし、「現代美食家」の僕もいる、という2軸になったという感じですね。シフトやクロスみたいなコミュニティと関わったからここにたどり着けたというのもあるかもしれない。他拠点生活とか、仕事を複数持ってる人たちに出会って、自分も変われたなと思います。

今回、2軸で生きていくって決めて、ようやく気持ちが晴れたって感じですね。出張料理人はどちらかというと自分から動いて、自然から得たものやその土地の歴史を料理で表現するという感じ。現代美食家については基本的に自己表現はないんです。なぜこの土地にこの暮らしがあるか、生態系があるか、というのをアーカイブしていくのが現代美食家の役目かなと思っています。それはその土地だったり、住んでる人たちにとってもいいことなんじゃないかなとも考えてます。

その土地の調理法には、必ず理由がある

糀屋:料理というより、民俗学に近い?

ルア:それはけっこう近いかもしれないです。たとえば、昔の北前船の航路があったところには同じ食材が使われていたりとか、逆に瀬戸内はずっと戦をしていたところだったので、広島と香川・愛媛には全然交流がなくて、食文化も全然かぶらないんですよ。同じ魚を使ってるのに、調理法も全然違う。絶対何か理由があるのが面白いなと思います。

沖縄のラフテーで黒糖と生姜を使うのも、昔は沖縄の豚は猪豚みたいなやつで、臭み抜きをしないと食べるのが難しかったりとか。逆に家畜化されてる豚はきっちり管理されちゃってるので、生姜を入れると生姜の方が勝つんですよね。茄子のアク抜きとかも、昔はアクが強くて抜かないと食べられなかったからやってた。でも今水に晒したら、正直栄養が出ていっちゃうだけですよ。

糀屋さんがいまローカルで取り組まれてるのも、「そこに面白い岩があるからそれを活かそう」みたいな感じでかっこいいですよね。普通の開発とかだと「開発の邪魔だから岩をどかそう」とかになっちゃう。年間50〜60カ所ぐらい行く生活が5〜6年続いてたんですけど、だんだんどの駅前も似てきちゃうな、って思ってました。

最近、20代が地元に残って昔ながらの姿を残す動きも増えてきてますけど、40代、50代主導の開発になるとゴリっと東京風にやってしまったりする。

糀屋:なんか、自分で手を加えられるところってあまりないんじゃないかって。できるだけ手をかけたくないという気持ちがあるし、手を入れるのが申し訳ないという気持ちもあるんです。開発って自分の意志を張り付けるような感覚があって、違和感がある。だから「地域創生」と言われてるものも「そういうことじゃないんだよな」って思うことが多々ありますね。

ルア地域の特性、深さが失われるみたいなところがありますよね。あとは、四季が失われているという感じもあります。

糀屋:たしかに、寒いところに行った時に寒さを味わうのもまた良かったりしますよね。

ルアむちゃくちゃ寒いところを、5時間とは言わないまでも30分ぐらい「クソ寒いな」とか思いながら雪の中を歩いた方が、夜に温かい鍋を食べた時にめっちゃうまいわけですよ。そこを、ずっとぬくぬくと温かい部屋の中にいた状態で鍋を食ってもなんかそこまでの感激はないですし、なんでこの味付けが必要かというと、寒さを耐えるためだったりするわけで。柑橘が美味しく感じるのも、雪かきとかで汗を流して失われたものが補給できるからなんですよね。だからその地域に行って、その気候を感じてその土地のものを食べるのはすごく重要なんだと思ってます。

糀屋:たしかに、地域で食べる料理はめっちゃうまい。

「開発」は誰のためにやっているのか

ルア:やっぱり今の「開発」っていうのは、その土地土地の特徴を全部潰していこうみたいな感じになっちゃってるんで。逆にいうと、東京はもうそれでいいと思うんです。安全性とか考えたら、街全部シェルターにしてもいいぐらいだと思ってるんで。それで四季も徹底的になくなっちゃえばいいんじゃないかなって思いますよ(笑)。

今後料理は、「その土地の自然をどう表現するか」という方向にもなっていくんじゃないかなと思います。以前は「こういう料理を作りたい」というイメージが先にあって、それに対して素材を集める、「料理のために素材がある」というアプローチでした。でもいろんな地方に行くにつれて、「そこにあるものを使って料理を考える」という方向に変わってきました。素材をおいしくする、長期保存するためにそもそも料理って生まれたわけで。縄文時代から熾火の形跡もあるし、「おいしい」を求めてた人って大昔からいたんですよね。料理のための素材じゃなくて、素材のための料理、と自分の価値観がひっくり返ったことが、出張料理人になってよかったなと思ってることの1つですね。

衝撃を受けた「新潟のコシヒカリ」

糀屋:大都市のほうが素材もなんでも集まるし、美味しいものがなんでも食べられると思いがちだけど、そうじゃないっていうことだよね。

ルア:そうそう。僕も「地方でレストランやる意味あるのかな?」って思ってたんですよ。東京が一番美味しいものが食べられると思ってたし。けど2015年に新潟の「大地の芸術祭」にたまたま縁あって呼んでもらった時がきっかけで変わりました。新潟の米はうまい、と言われてるのは普通に常識で知っていたし、まあそうだよね、というぐらいの気持ちで米を研いで炊いて食べたら、ほんとびっくりしたんです。「今まで何食べてたんだろう?」という気持ちでした。例えるなら、フレッシュなブドウと干しブドウぐらいの差があった。全然普通の炊飯器で炊いたやつだったんですけど、何が違うのかっていったら水だったんです。コシヒカリを育てている水でコシヒカリを炊くことになるんですよ。稲を巡り続けているお水で洗って炊くことで、米が喜んでいる。それが生態系としてこんなに違うんだって。

だから、東京って全て手に入ってるように見せかけて、本物は同じように食べられないんだなとその時実感したんです。だから出張料理人になってすぐの頃は、「やっぱりこの調味料は持っていこう」とか、「この道具は持っていこう」とかやっていたんですけど、それが一切無くなりました。

糀屋:毎回軽装ですよね? 包丁すら持って行かない。

ルア:そうです(笑)。地元の人と食べることも多いので、道具を持ち込んだりすると「東京のプロの料理人が作る料理だな」って思われちゃう。そうじゃなくて、僕が作りたいのは「これから伝統食になっていくもの」や、「いままで伝統食として残ってきたけど、アップデートして今の時代に合ったものにする」ものなんですよ。食べるだけでその土地と一つになっていく感覚。自然と人は同じ循環の中にいるんだと気づいてきて、それを料理を通して伝えたいなって思ってます。

つづき「1000年先にも美味しいを伝えるために今やること」は明日公開です。

(構成・ポートレート撮影 藤井みさ)

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