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離島にアトリエを作ると聞き「やりたい!」と手を挙げた 井口真理子×糀屋総一朗対談2

京都から福岡県宗像市の大島に移住し、新しく作られたアトリエでアーティスト活動をしている井口真理子さん。連載「Oh! 島セキララ記」でも移住や活動の実際を本音で綴ってくれています。今回は大島移住のきっかけを作ったローカルツーリズム代表の糀屋総一朗と対談を実施。あらためてこれまでのことを振り返り、これからのことを語ってくれました。2回目は井口さんが取り組んでいるテーマと、大島移住のきっかけについてです。

『NEW PEOPLE』のテーマを共有できた出会い

ーー井口さんが糀屋さんと初めてお会いしたのはいつになりますか?

井口:直接お会いしたのは2020年だったと思います。そのころ、生活のためにアーティスト活動と並行して、京都で会社員を始めたタイミングでした。全国展開のフランチャイズ英語教室の運営事業に携わっていました。それで担当したエリアが偶然にも福岡だったんです。出張で福岡に行く機会が増えて、ケイコさんと糀屋さんが住んでらっしゃるシェアハウスによく遊びに行くようになりました。

ーーなにか導きを感じますね(笑)。

井口:感じますね。だから、最初はアーティストと支援者、という関係ではなく、お友達のパートナーとして会いました。21年の6月に大島の『MINAWA』で糀屋さんとケイコさんの結婚パーティーがあり、それで初めて大島を知り、訪れました。パーティーで限定Tシャツを作りたいとご依頼いただいて……それが初めての糀屋さんとのお仕事です。

2人の結婚式のために描いた限定Tシャツの原画と、完成したTシャツ

糀屋:そうでした(笑)。

井口;糀屋さんとは思想的な部分での共有もありましたね。たまたま本屋で手にとった立花隆さんの『サピエンスの未来』という本。読んでみたら、「私の考えていた『NEW PEOPLE』の解説が詰まっている!」って感じたんです。「私が考えていたことが言語化されてる!」と思って、それを糀屋さんにお話ししたんですよ。

簡単に言うとテイヤール・ド・シャルダンっていう学者が提唱した人類の進化の臨界点が「オメガ」。私の考えている『NEW PEOPLE』は、まさに人類の果てと、進化の果てであるポイント、オメガに到達した超人間ってことなんです。

糀屋:あの時の話は盛り上がりましたね。

井口:そこから、糀屋さんが「持続的な活動支援ができるアートファンド」を作っていくってトピックが出てきて……アートファンドの名前何がいいかな? って言われた時に、私が「オメガ財団」はどうですか? って。

糀屋:ノリで決まったんですよ(笑)。

井口:なんか、秘密結社みたいな名前(笑)。

2020年個展「ONGOING」より絵画「COMING OUT」

ーーそこから大島移住に話が進んでいくんですね。

井口:「大島にアーティストが創作活動ができるようなスペースを作りたい」ってお話を聞いて、「なんですかそれ!ちょっと私やってみたいです!」と話したら、「じゃあ大島行こう!」ってことになったんですよ。実際にその拠点がどんなところかっていうので見学に行かせていただいて。そこが今、私が住まわせていただいてるアトリエなんです。

糀屋:『サピエンスの未来』から始まって、今は、虫との格闘ですね。

井口:(笑)。

アーティストはちゃんとしてる

ーー糀屋さんと井口さんの関係性はどんな感じですか?

糀屋:最初は純粋にアーティストとして好きだなっていう感じでしたね。いろんなタイプの作品があるんですけど「いいな」「好きだな」って思ったんですよ。もう、いくつか買わせてもらっています。

井口:実際話をしても、フィーリングは合う感じですね。私は本当にやりやすいです。ありがたや……。

糀屋:一緒に大島で活動するようになってからも、明確にいろいろ言ってくれるんでありがたいんですよ。アトリエの「mui」を作るときも、かなり指摘箇所が出てきたんですけど(笑)、言ってもらえると助かる。僕は経営者とかビジネスマンとかの付き合いが今まで多かったから、アーティストっていうと、もう少し抽象的なフワッとした感じなのかなって思ってたんですけど、全然そんなことなくて……。無数に明確に指摘されます。

井口:(笑)。

糀屋:細かいところまでちゃんとしてて、「アーティストっていうのはちゃんとしてるんだ!」って思って。

井口:自分でも注文が多いと思います(笑)。こだわりが強いんですよね。何回か下見も行って、一緒に設計士の方とお話しさせていただいた上で、自分の使い勝手がいいような形をお伝えして。スタジオもだいぶ改修していただいてまして。

糀屋:最初はDIYで低コストで済ませようっていう作戦だったんですけど、せっかくだから気持ちよくアーティスト活動して欲しいし、無下にいろいろ全部断って断っているとよくないんじゃないかと思って、ほぼ全て受け入れて作りました。いい感じになってますよね。

何もないところからアトリエを作り上げた

井口:本当にありがとうございました。なかなか大変でしたけど、荷物を開けるところ、整備するところ、DIYのところは私のパートナーのキースにも手伝ってもらって、今はもうアトリエとしてしっかり稼働できる状態になりました。

ーーこの機会に伺いたいんですけど、井口さんから見て糀屋さんの印象は?

井口:糀屋さんって、金融のことに詳しいし、経営者のお仕事もされてるし、私の知らないはるかかなたのすごい人たちとお仕事されてるんだなと思うんですけど、それを匂わせないんですよね。ちょっとクリエイター肌っていうか、フィールドが広いところがすごいなって。なかなかこういう方はいないですよ。普通……っていうのとは違って……ニュートラル

糀屋多分、僕がいろんなコミュニティに所属してるからじゃないかなと。ちょっとヒッピー寄りのカルチャーに所属してるからそういう人たちのコミュニティもわかるし、一方でいわゆる港区女子や、港区おじさんたちが参加しているような都市部のコミュニティも知っているので、彼らの行動原理もわかる。ポーカー好きのコミュニティにもまた違う感じがある。いろんな人たちと交流していると、結構フラットにいろいろ見れるんだと思います。

井口:島にもなんか馴染んではるっていうか(笑)。島の方々、漁師さんと話されても全然違和感ない。かと思えば、ゴリゴリ港区みたいな方と話されててもすごいしっくりくるみたいな。

ーー糀屋さんから見て井口さんは?

糀屋:心配したのは本当に虫事件(引っ越しで虫が大量に出た件)の時。マジで鬱みたいになってたんで。ムカデとか、見たことない虫とかね。

井口:(笑)。そうですね。徹夜して虫駆除したときはつらかった。ありとあらゆる虫が出てくるんです! 島に来て初めて見た虫もいました。三葉虫みたいなゴキブリとか。あれ、なんでしょうね?

糀屋:自然環境にどこまで馴染んでもらえるか心配だったってのはありましたね。だいぶつらそうな感じでしたが、今は復活したみたいでよかったです。環境適応能力、高いですよね。

井口真理子
1990年京都市生まれ。昔-今-未来を通した人間交流の視点で、人間とは何かという問いを焦点に、近年はサピエンスの未来を描いた絵画シリーズ「NEW PEOPLE」を制作。2013年、京都市立芸術大学を卒業後、市内のアトリエを拠点に活動。2022年より福岡県宗像市大島を拠点に活動。直近の主な展覧会に、個展/「OH!! HUMMY!!」(2022年 福岡)、個展/「PLAYLAND」(2021年 福岡)、個展/「ONGOING」 (2020年 京都)、グループ展/「パラレール」 (2021年 京都)他。

(構成・齋藤貴義 写真提供・井口真理子)

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