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京都から福岡県宗像市大島へ移住した画家、1カ月目の生活とは?

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今回から月1回お送りする、「Oh!! 島セキララ記」。京都から福岡県宗像市の大島に移住した井口真理子さんが、島に移っての「セキララ」な日常を綴ります。初回は、なぜ移住することになったのか? そして、実際に移住してみての苦労についてです。

生粋の京都っ子、「神守る島」に渡る

私は1カ月前まで31年間京都を出たことのない人間だった。京都市左京区に生まれ育ち、小中高大と京都市立の学校に通った京都っ子である。

幼い頃から絵を描くのが好きで、中学生の頃には美術の道へと進路を決めた。それからというもの、美術高校、芸術大学と進学し、卒業後も京都を拠点に創作活動を進めてきた。

それがちょうど1カ月前、福岡県宗像市大島という離島に移住することになったのは、偶然の重なりか、必然のお導きかはわからない。とにかく、「神守る島」に私はやってきた。

世界遺産である「神宿る島・沖ノ島」。大島はその沖ノ島を守る島として知られている。本土には宗像大社があり、そちらに辺津宮、沖ノ島に沖津宮、そして大島には中津宮が、宗像三女神としてそれぞれ祀られている。

そんな島のことも、失礼ながら1年前までは知らず、昨年6月に親友の婚礼祭のために訪れたことが全ての始まりだった。盆地で有名な京都育ちの私にとって、そこで初めて目にした雄大な日本海の水平線や神々しい夕焼けは忘れられない生涯の記憶となり、この島にまた行きたい、と思っていた。

穏やかな海に抱かれた大島

そんな思いがまさか、ちょうど1年後に「移住」という形で結実することになるとは、あの時は想像もつかなかったが、私はここにいる。不思議なものだな。

親友のパートナーで、大島で宿泊業などを運営されている糀屋総一朗氏。昨冬、氏より大島にアーティストが滞在制作できるスペースを作る予定、と聞きつけ、興味を持ったことが移住のきっかけだ。

初めは「アーティスト・イン・レジデンス」という短期滞在制作の予定だったのだが、現地の下見に行った際にそのスペースとなる家屋や周辺環境に惹かれてしまい、いっそ住みたいなと思ったのだ。

「アーティスト・イン・レジデンス」候補となった家

とはいっても、その家屋は正直かなり「ボロい」もので、下見の段階ではとても人が住めるような状態ではなかった。2階建ての1階部分はほとんど床が腐って抜け落ちている箇所もあったし、家全体がかなりカビ臭かった。虫の巣窟となり、裏庭の竹藪に今にも覆い尽くされそうな儚さも立ち込めていた。

それでも2階の階段を上がったところの窓から見える港や、海の景色は妙に心を捉えて、「居心地のよい家になる」予感がし、「そこに住んでいる」という未来像が脳内スクリーンに降りてきたのだった。その瞬間、ふと口が開いて「ここに住みます」と糀屋さんに呟いている自分がいた。

ありがたいことにご快諾いただき、氏の寛大且つ迅速なお取り計らいにより、家の改修工事をしていただける運びとなり、2022年の5、6月に入居することが決まった。

住むには手強い「空白の時間」の蓄積

そこから4カ月あまり、糀屋さんが召喚してくださった心強い「家/スタジオづくり」メンバーの皆さまの多大なるご支援とご助力により、工事や入居準備が進められた。FacebookのグループMessengerで情報共有、幾多の確認と報告。全国各地から遠隔で家づくりができるなんて、時代だな。日々更新される家の画像を見て、感謝の毎日だった。

5月25日にめでたく島入りを果たしたものの、家の工事はまだまだ終わっていなかった。6月初旬までは糀屋さんが運営されている一棟貸し宿「MINAWA」に滞在させていただき、6月7日、ついに入居。改修工事はほぼ終わり、大部分の床の張り替えや、スタジオのリノベーション、新築さながらのお風呂場や洗面所を見てとても感動し、感謝の気持ちでいっぱいになった。

ハウスクリーニングもしていただいて、さぁやっと荷解きができる! と意気込んだ矢先、実際に住み始めてみると、どうやらクリーニングが完全ではない様子。点検していくほどに、ほぼ自分たちでイチから全ての部屋を清掃する必要があることがわかってきた。たち、というのはパートナーのキースと私のことだ。

今回、移住することを応援し、家づくりを手伝いについてきてくれた、私の相棒。これから書くことは、予想外の連続であり、「家づくり」という人生初のチャレンジに彼なしではとても立ち向かえなかった、といっても過言ではないくらい、毎日助けてもらっている。感謝で頭が上がらない。彼と二人三脚で、まずは全力で部屋の清掃に取りかかった。優先順位としては、生活上不可欠な洗面所、キッチン、リビング、寝室、トイレ。

快適に暮らせるよう、ひたすら清掃を繰り返す

20年間くらい空き家だったと聞くこの家は、なるほど、壁も天井も埃だらけ。そして不可解な塊や虫の死骸、虫のフン的な「気色悪い何か」があちこちに付着している。ヘラを使ってそれらを削ぎ落としたり、雑巾で何度も何度も拭き上げた。

ジブリアニメ・トトロの冒頭シーンで家の雑巾掛けのシーンがあるが、まさにあんな感じだ。何もかもを、まずは拭かなければ始まらない。段階的に、「いったん汚れを落とし」→「洗剤をつけて綺麗にし」→「仕上げの拭き上げ」を各部屋、隅々まで行う。同時に壁や天井の残置物も処理していく、かなり骨の折れる作業だ。拭き上げ後はバルサンを焚くのも欠かせない。
それらの清掃作業と害虫駆除作業が終わらないと、荷解きさえままならないので必死にやった。

終わりなき「虫との戦い」

そんなこんなで入居してから今日に至るまで、基本的に「フルタイムの清掃業者」として明け暮れているのだった。また同時にある洗礼を受けた。それは、「虫との戦い」である。

大島は、自然ゆたかな島ということもあり「虫天国」だ。殺虫スプレーが効かないような猛者がウヨウヨいる。

まず入居初日、昼も夜も、「デカグモ」に遭遇した。デカグモ、と聞いて読者の皆様は体長何センチくらいを想像されるだろうか。この家では、体長10cm程のクモが平気であちこちに出る。

なんというか、単なる恐怖だけでなく、「この家は、まだ我が家じゃない。彼らの住処だ」という不快感、肩身の狭さ、というものを感じる。それは結構なストレスだし、もともと虫弱者な自分にとっては筆舌に尽くし難い試練なのだが、ここでひるんでは、この先ずっと、彼らの住処だ。「戦うしかないんだ」という今までに感じたことのない勇気が湧いてきて、次第にどんな大きなクモでもゴキブリでもムカデでも、前のめりで駆除する姿勢が身についた。(そんな私を見て、相棒キースはぼそっと「京都の真理子じゃないね……」と感想を述べた)

移住前の理想は……「窓から港を眺めながら♪ 心地よい音楽をかけて♪ 絵を描いて♪ ヘルシーな魚料理を作って……♪♪」と夢いっぱいだったが、いざ新居に来てみると、「人間として最低限の衣食住が営めるレベル」まで押し上げる道のりの果てしなさ……という移住後の現実に直面するのだった。

ヘトヘトでアップアップな今が、きっと後々の善き思い出となることを頼みの綱にして、奮闘している。大変だけど、何かが前進している、改善している、と実感できることは素晴らしいことだ。虫と格闘した後、ふと見上げた美しい星空や、潮風が吹き抜ける港の朝は、とても清々しくて、疲れを癒してくれる。自分の手で家が少しずつ変化していくのは達成感があるし、身体を動かして何かを良くしていく作業は、「ああ、生きてるな」という生き物としての喜びのようなものが得られる。

少しずつレベルアップを目指して

そんな島暮らしのスタートアップの最中、創作活動にも早速取り組んでいる。

家作り・清掃業者のかたわら、アーティストとして作品制作に打ち込める時間があるのは、精神衛生上ありがたいことだ。糀屋さん率いる、大島の新たな産業拠点の立ち上げに私も参画させていただくこととなり、その拠点の壁画を描きたいと申し入れ、制作に至っている。タテ3m×ヨコ5mの壁面につき、6月までにラフスケッチからIllustratorでの原画制作まで完了していた。家作りの合間を縫うようにして、相棒キースの手を借りて下地作りをしたり、下地以降は自分のみで着々と描き進めていっている。

時には寝そべって細かいところの作業も

今後の家づくりとしては、「人間として最低限の衣食住が営めるレベル」→「快適に衣食住が営めるレベル」→「アーティストとして最低限の創作活動が営めるレベル」→「快適に創作活動が営めるレベル」→「友人を招けるレベル」まで押し進めていきたい。長期戦となりそうだが、少しずつ、苦労も咀嚼しつつプロセスを味わっていきたいなと思っている。

……と、移住後1カ月は、そんなまだまだ落ち着かないカオスな生活だけれど、島の魅力も日々感じている。島の人々は皆さま、大らかで優しい。正午には「お昼ご飯だよ♪」夕方6時には「仕事終わり♪」のメッセージを告げるような、昭和レトロなメロディーが港全体に流れ、いつも和やかな気分になる。

子どもたちや島猫たちが、警戒心なくのびのびと街を行き交う光景も、都会にはない魅力だ。生活が落ち着いてきたら、きっとそんな島の魅力をもっと満喫できるだろうな、と今後の励みとする、今日この頃である。

2022年6月25日

井口真理子
1990年京都市生まれ。2022年、福岡県宗像市大島に移住。 過去-現在-未来を通して、人間とは何かという問いを焦点に、 近年はサピエンスの未来を描いた絵画シリーズ「NEW PEOPLE」を制作。 2013年、京都市立芸術大学を卒業後、市内のアトリエを拠点に活動。 直近の主な展覧会に、個展 /「PLAYLAND」(2021年 福岡)、 「ONGOING」(2020年 京都)のほか、グループ展 /「パラレール」(2020 年 京都)など。 https://marikoiguchi.com/

この連載はほぼ月イチ更新です。次回をお楽しみに!

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