新入社員研修

今の会社に入社して1年が経ち、契約社員から正社員になった。
社会に出て3度目の正社員。働き始めてからまだ5年ほどだと言うのに気づいたら会社を3回も変えていた。扁桃炎で仕事始めを2日遅らせるという荒々しい出社をし、年初めおめでとうございますという言葉のタイミングも見失い、机でぼーっとしていると知らない若いやつが後ろからおはようございますと言って入ってきた。どうやら俺がいない間に入社した社員らしい。見た感じ俺より若い。20代前半だろう。
ふとその格好を見て、思い出したのは新入社員の時の研修だった。
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2015年の春。あまりの緊張から集合場所の最寄り駅のトイレで間に合わず脱糞し、軽くスーツを糞で汚してしまっていた。この時はこれから起きることをそこまで思ってなかったが、大腸は予感していたのかもしれない。
集合場所にはバスが何台もありそこにクソ漏らしメガネは搭乗した。揺られ揺られるほど1時間。そこは山の奥の宿泊施設だった。荷物をおろし、服を着替えることで糞着きスーツから開放された俺はここから4泊5日の研修を受けることになった。体育館に集められた60名以上の新入社員。ずらっと並んだ机に座って社長の話を聞き、それを一字一句メモとるところからスタートした。
その後は、基本動作を練習する。この基本動作ってのは学校でいうとこの起立、着席。ちなみに今の学校では起立、着席はないらしい。
教官の合図に合わせて全員が息を揃えないといけない。最初は全く揃わない。自分が遅れたと思ったら自分から「もとい!」と宣言して、全員をやり直させなければいけない。言わなかったらなんで黙っているんだと怒られる。人によってはもうここで泣いていた。
その後は小グループに分かれてディスカッションなどを行う。ここはそうでもない。ただピリピリはしていた。このときにとある書類が配られて名前を書かされた。それは誓約書みたいなものだった。2日目後半からの研修を受けますか。という書類。書かなきゃいけないので書いた。
小グループに分かれて、社訓、社歌、接客訓練用語などを暗記するまで終われないミッションがスタートする。グループの全員終わるまで寝れない。覚えられないやつはみんなでこう覚えるんだと教え合う。ただ、緊張感から全く覚えれない。幸い、俺のグループは一番最初にミッションコンプリート、ノーマネーでフィニッシュしたため22時前には終わり風呂に入ることができた。ちなみにこれが研修中最後の入浴だった。
最後のグループは深夜1時まで続いていたらしい。次の日の別の研修中も覚えれなかった人が一人大声で歌っていた。そして合格を見届けたときに全員で拍手する。涙する者多数。
ここでだんだんおかしくなって来ていることがわかってくる。この時全員、携帯を半強制的に没収されている。情報は完全に遮断され連絡を誰とも取れない。道行く人は教官で廊下などであったら、しっかり立ち止まって挨拶しなければならない。研修中も怒鳴られ、駄目やり直しと言われてやっとの思いで合格したときにものすごい熱い言葉と握手をもらう。人によっては教官もここで泣いている。簡単だが、そんな環境下にいれば自然と人間はこのあたりから変な洗脳状態になるのだろう。
俺たちの味方は新入社員しかいないからここで力を合わせないと心が折れてしまう。と、なんとなく心のなかで思い始める。そして励まし方も普通の頑張れよではなく、教官や周りの環境で過度な、オーバーな励まし等になる。それが常識の場所にいるから自然と染まる。
不思議なもんで誰か一人が染まれば連鎖的に染まっていくもんで、醤油こぼしたら「え、こんなに伸びました?」ってなるのとおんなじで、みーんなおかしなことになってくる。
そんな2日目の昼、ジャージに着替え体育館に向かうとドアから音楽が流れていることがわかる。全員そこで足が止まった。新入社員全員の足がピタッとマジで止まった。

軍歌が流れていた。

体育館から流れていたのは「軍歌」だった。ただ、「海軍小唄」「軍隊小唄」みたいな優しいものでなく「同期の桜」だったのを後から調べて知ることになる。
全員の足が、同じところで止まる瞬間なんて人生で初めて見た光景だった。俺は後ろの方から見ていたが全員静止し空気が止まったように思えた。ドアの奥からかすかに聞こえるゆとりには馴染みのない音楽。全員が明らかに「おかしい…」という気持ちだったはず。どうするか迷って、誰も声を出さない状況だった。そこにいた50人ほどの男どもは世界の終わりを見つめるかのように立ちすくんでいた。
すると幹部が勢いよく体育館のドアを開けて入って行った。空いたドアから流れる大音量の軍歌が俺の耳を劈いた。
「こりゃ入るしかないのか…」と誰かが意を決して中に入ると、ゆっくり皆覚悟を決めて入っていく。入っていくよりは吸い込まれていくように見えた。俺もその流れに乗りなんとなく吸い込まれた。最初と同じように長机がぴちっと置かれておりその上に帽子とゼッケンが置いてあった。両脇には帽子を目深にかぶった怖いおじさんたちがズラッとならんで取り囲んでいた。おじさんたちが手を後ろに回して背筋を伸ばして新入社員を睨みつけてくる。
人間とは不思議なもので誰も何も言っていないのに「やべぇ」という雰囲気を感じたのか全員小走りで机に向かっていく。誰がどこに座るとかの話もなく自然と空いているところに座っていく。何故か最期に座ったら駄目なんじゃないかと思ったのかだんだんだんだん早くなっていく。全員が座ったときには、目の前のステージにもっと怖いおじさんが立っていた。おじさんは怒鳴りながら「私が総教官だ」と叫び始めた。そしておじさんは俺たちにこう言い始めた。
「お前らがこの人生で今まで学んだことはゴミだ。何も意味がない捨てろ」
なんてこった。あんなに履歴書に今までの学歴、資格を書いてそれをみて判断して面接していたはずなのにここにきて全否定されるとは。学歴が関係ないよという平等さを言っているのかな?と思ったら全然違う感じだった。
とにかくそこで人格否定をされまくった後、体操なようなものをすることになった。全員等間隔に並び準備する。一度だけ見せてもらい、音楽に合わせて体操をする。歌いながらする。
練習しろと言われ、各々その場で練習をし始める。すると囲んでいたおじさんたちが怒鳴りながら近づいて来るじゃないか。おじさんたちは愛のある罵声、怒号を俺たちに浴びせ続ける。遠くからでなく、もうキスしちゃうんですけどっていう恋人しか入ってはいけないようなエリアまで近づいてつばを撒き散らしながら怒鳴り散らしてくる。かかるつばを拭うことも許されず、おじさんのキスされ続けていた。
俺は列の先頭の方にいたのだが、後ろを振り返ることも許されなかったのでただ、前を見て大声で音程もわからない歌を歌いながらずっと中腰で体操をし続けていた。隣の同期は「死にてぇのか」なんて言われていた。かわいそうに。
俺も言われた。
すると後ろからドン、ドタンという音がし始めた。感覚でわかる。人間が硬い床に受け身無しで倒れた音。そうすると俺の視界に入るところで一人倒れた。
どうやら耐えきれず落ちてしまったらしい。ワンピースで白ひげのところにシャンクスが来て覇気で倒れていくアレを実際に見たのはある意味貴重だったかもしれない。
何人か消えた後体操が終わり、グループに分けられ怖いおじさんが二人先生としてついた。
そして俺たちはおじさんに怒鳴られ続ける。
所謂軍隊研修というものだ。内容は割愛していくが、人格否定をされ続ける中歩き続けたり行進を揃うまでやらされたり、喉が飛ばすまで叫び続けたりと。
思い出してほしいのはこれが食品小売の研修だということだ。軍隊でも声なんか枯らしたら意思疎通できなくない?って思うが1時間もすればみんな声飛んじゃってた。
グループの結束はどんどん変に強くなっていく。最初の研修は50人ほど全員が仲間だったけど、今は5・6人のグループに分かれてしかも他のグループと対決をしていると来ている。負ければ怒鳴られ勝てば泣きながら怖いおじさんから抱擁されるご褒美がある。味方はこの5人ほどしかいないため、試練をクリアすれば仲間同士泣きながら喜び合う。
そしてさらに世界はこういうものなんじゃないかと錯覚していく。情報は一切遮断され、窓の外一つ見せてもらえない中24時間寝ずの訓練は続いていった。
俺は恥ずかしい話途中で気を失ってしまい、最期までちゃんと研修は終わらなかった。
この話はもう5年前になるが、この影響かしれないが怒鳴り声を聞くと自分が怒られてもいないのにその声に反応して過呼吸と足が震えて立てなくなる変なものを受け取った。よくわかってないし病院にも行っていないが、うまく回避しながら生きています。
ちなみにここではうんこを漏らさなかった。極度の緊張が突破すると腹は無敵になるのかもしれない
この地獄が3日続くのか…泣きながら宿泊部屋に戻る際に聞こえる女性の叫び声。
どうやらあの別の部屋では女の子も女の子で訓練を受けていたみたいだった。風呂も入れてもらえず可愛そうに。
そう思いへとへとになりながら布団にいて、考えがよぎった。
「脱走しよう」
そう、俺はこの研修施設をしっている。ここは子供の頃に何度か遊びに来たことがある。基本は普通の宿泊施設で研修とかも出来る場所。内部も数日歩いて把握できている。

夜、皆がまだ訓練から帰ってきていない中、俺は精神を磨耗し過呼吸が治らなくなり泊まる雑魚部屋へ移送されて寝かされた。何故か俺の荷物がある方とは別の部屋へ。この時からリタイア者はソーシャルディスタンスの構え。
携帯はほぼ没収状態なので外界との連絡や情報は得られない。
何人かが訓練から帰ってくると全く知らない男が布団で寝ているから希有な目で見られていたと思う。
しかし荷物があっちにあろうがなかろうが、俺はここから出たい。という考えが強かった。
この研修施設は素晴らしいくらいの特殊な作りになっているようで、楠木正成のゲリラ戦法のような感じだった。わからん。
玄関まで行くにはかなりの距離があり、何故か入り口から地下へ下がっていて今の場所にいる。いや、地下というよりかは入り口が3階みたいになっていて、それで今2階にいるという感じか。
とりあえず皆が寝静まった際にトイレに行く感じで出るしかないな。と。幸いトイレは外にあり階段に近いので怪しまれんだろう。荷物はもうダメだ諦めよう。糞付きスーツを置いて逃げるしかない。そういうことで皆が帰っていて疲れて寝静まった深夜3時過ぎに行動する事にした。ゆっくり静かに時間をかけて立ち上がり最小限の音で部屋を出た。出る前に廊下を見回して教官がいないことを確かめる。新入の雑魚部屋の前に教官の宿泊部屋が2つある。電気がついていた。マジかこいつらご時起きだぞ確か次の日、いや今日。
最小限の足音で階段方向へと向かうここまではパーフェクトだ。誰にも見つかっていない。と、思った矢先誰かが正面にあったトイレから出てきた。どうやら同期だった。これがもし教官だったら、完璧な姿勢でいらっしゃいませとお辞儀しなくてはならない。何故かこの研修中はお疲れ様ですではなく、立ち止まっていらっしゃいませと言うルールの国に日本はなっていた。なのでそのまま階段へは向かわずにトイレに入ってやり過ごすことに。しかし大便器には入らず小便器で時間を潰す。大便器に入ると周りの様子が伺えないからだ。洗面所の鏡を見ながら廊下を伺う。ここぞのタイミングでトイレから脱出し階段を降りる。
ここからがまた大変。何故か階段が入り組んでおり、正面の玄関へすんなりと迎えないのだ。何故か螺旋のように何回も降り、暗い廊下を少し進むとまた階段。死んでいるなんでこんな廊下のちょっと広いところに置いてあるかわからないゲームセンターを横目に階段を進むと中庭らしきものが見えた。そうだ。この中庭を抜ければ正面玄関まで一直線じゃね?
扉に手をかけるが、当たり前なのか鍵が。しょうがなくうねる廊下を進んで光の刺す方向へ進むしかなかった。この地獄の場所から出るために。
一体何やってんだ俺は。
様々就活してやっとのことで就職して社会人になって本気でとりくんでいる事が、売上達成?部下育成?社会貢献?否。メタルギア真っ青のミッションだ。
フロント前までたどり着く。ここで受付に人がいたら大変だ。どうしましたか?と話しかけられたらふりだしにもどるになる。
柱の影から見ると誰もいない。チャンス!走って正面扉まで行くと。
鍵だ。まぁそうか。こんなど深夜だもんな。
こうして当たり前の施錠で俺の脱出は失敗に終わる。
翌日は最終日。どうやら山を走り抜け、チェックポイントまで早くたどり着けた方に点数がいっぱい入って競争するみたい。これだけ見ると運動会かな?ってなるが、ここまでくるとみんな変な事になっており全力で走る。拡散されたポイントに向け、事前に怒られながら作ったルートを走り抜ける。雨上がりだったのもありすっころんで捻挫する奴もいたが、「チクショーーー!」と太夫真っ青の大声で叫び「俺は見捨てて走って行け」などという映画みたいなことが起きていた。どういうことでしょうかな。走った後は行進を行い山を越える。この際に足がしっかりあがってないと信じられないくらい怒られるので注意だ。トムさんとの約束だぞ。
行進を行い、なんとかゴールまでたどり着くと幹部が拍手で迎えてくる。感動のゴール。そして全員で輪っかになって号泣しながら称え合う。教官も泣く。人事はニコニコする。ふつうに泊まりにきたであろう宿泊客はドン引きする。こんなシュールな状況が施設の入り口を占拠してるのはたまげるね。今考えても。最後に体育館に集められて決意表明の作文を書いて終了。打ち上げパーティーがあるのでそこで飯を食うことに。みんなやっと終わったの安堵と教官も疲れた顔で労ってくる。もうお分かりだろうけど常識の判断はつかなくなっています。途中、研修の写真のスライドショーが流れた。ファンキーなあのモンキーでベイベーのあとひとつが流れながら集団訓練をしている我々。あれ・・・俺はスーパーに就職したのではなかったっけ。教官から最後にコアラのマーチを貰い、これで許して貰おうとしとるのか知らんが研修は終わった。最後に来てきたスーツに着替えて教官の車で家の最寄りの店舗に下ろしてもらって下界へ帰ってきた。
ベンチでいろいろ思い出しながら休んでいるとひとつ思い出した。
クソつきスーツに着替えてるわ俺。終わった安堵感ですっかり忘れてた。

教官の車の座席にうんこ擦り付けた2015年4月。
ここから3年間の肉屋生活が始まった。



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