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感謝とは何か

よく「日本は医療が安く受けられるからありがたい」と言う人がいる。

感謝自体は良い行いなのだろうし、「私のためにやってくれて当然」という態度は確かに幼稚で自己中心的な性格と言えるだろう。
しかし冒頭の感謝については、私はまったく賛成できない。

なぜかと言えば、医療費が無料や9割引、7割引で受けられるのは、医療機関や慈善団体、篤志家が無料や割引してくれているのではなく、主に現役世代が強制的に残金を肩代わりさせられているのと、さらに生まれてもいない将来世代へ莫大なツケ払いをさせて実現していることだからだ。

その現実を理解した上で、「税金や社会保険料を負担する現役世代や納税者に感謝」ならまだわかる。

しかし日本の医療といえば、全国民が持続不可能な制度だと知りながらも、全力で見て見ぬフリをして分不相応に贅沢な恩恵の享受に甘んじており、それを利用して儲けたい医師会と票が欲しい政治家と天下りしたい官僚がつるんで実現しているのが実態だ。

断じて言うが「頭のいい偉い人が上手いことやってくれている」のではない。

馬鹿な国民と頭のいい偉い人が自分の利益追求だけを目標に生きているから、政治的に団結力のない真面目な人々がその尻拭いをさせられるという破滅的な構造になっているのだ。

この感謝の本質をえぐり出すと、自分の周辺事情にしか関心のない人が「奴隷がタダで働いてくれて感謝」と言っているのに近いように思えて、この感謝教団の教えに心からウンザリする。

この国の国民は、市場価格よりもうんと安く得られるのは誰かがそのコストを支払っているからだ、という現実に想いを巡らせる知性を持ち合わせてないのろうか、と悲しくなる。

そもそも恩返しできない感謝など偽善ではないか?
分不相応な贅沢への免罪符を自ら発行し、他人の金で命を長らえたい自己執着を誤魔化しているように見えてしまう。

日本の健康保険や年金制度は事実上破綻している。超少子高齢化により皆が納める社会保険料だけで成り立っておらず税投入と国債発行で延命しているに過ぎない。
すでに破綻しているにも関わらず政治力学上やむを得ないと改革を先延ばしにしているに過ぎない。



子どもたちにはできれば日本で幸せになってほしい、と私は強く願っているし、受益者負担を無視した過度な弱者優遇福祉政策によって将来世代が犠牲を払うのは道徳的に間違っていると思っている。

もし日本の快適な環境に感謝するのならば、国民には日本政府最大の偽善的福祉政策に向き合い、その大改革を乗り越えて、将来を引き継いでくれる若い世代に恩返しをする勇気を持ってほしい、と心から願っている。



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