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【あなたのデータから「あなた」がなくなる】次世代医療基盤法(前編)

はじめに

本日のブログで取り上げる『医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律の一部を改正する法律案』について見ていきます。ちょっと長いですが、最初はひとまず正式名称で説明しますね。

『医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律』は2017年(平成29年)に成立した法律です。『次世代医療基盤法』とも呼ばれています。『次世代医療基盤法』という名前ですと、ちょっと医学に関する専門的な法律かな?って思ってしまいますね。

しかし、この法律は医療情報、特に個人の医療情報に関する法律です。あなたの医療情報を加工し、医療研究開発用のデータとして使用する規制です。この法律自体あまりなじみがない分野ですので、本ブログでは【前編】【後編】に分けて説明していきます。【前編】では元の『次世代医療基盤法』についての解説です。
そして【後編】では『次世代医療基盤法』の改正法案についての解説です。改正されることにより、どのようなことが考えられるのか、その隠された意図まで深堀していきたいと思っています。

医療情報について

では【前編】からはじめましょう。
例えばあなたが、とある医師にかかった時、あなたの全てが医師にゆだねられます。氏名、年齢、体重、血液の成分に至るまで「あなた」の体のデータが医師に渡されます。医療データは個別のデータだけでは「あなた」しか表しません。しかし、医師によりデータを集められた日本人としてのあなたは、あるグループに属すると考えられます。医療データとして。

厚生労働省の「簡易生命表」というデータがあります。令和3年時点での平均寿命は女性は87.57歳、あなたが21歳とすると余命は66.57年ということになります。女性は40代まで成熟期を過ごし、50歳ごろに更年期、60代以降高齢期として老化が始まります。最近は「健康寿命」という、健康上の問題で日常生活が制限されるようになる年齢というものも公表されており、女性は75.38歳とされています(厚生労働省)。生まれてから死ぬまであなたはさまざまな病気、症状が発生し、医療機関に行くことになりますね。

日本の医療制度は皆保険制度です。私たちは日常的に病院に行き、診察を受け、薬を処方されます。あなたが医師の診察を受けたカルテは、何のために記録しているのでしょうか。もちろん、あなたの病歴として記録に残し、以後の再診、別の症状での診察時に参考にすることは当然ですが、その診察内容は医師の診療報酬の支払いのためにも必要だとご存知でしたか? その診断結果が診療報酬の算定以外にも、医療データとして集計されていることを知っていますか?

医師の診察に対しては保険制度のもと、患者の自己負担分以外の金額を診療報酬として健康保険組合が支払うことになっています。医師の診察と処方は日々医療データとして集められています。あなたの診察データも翌日には医師の属する医療データネットワーク上に登録されていることでしょう。

さて、この法律は次のような目的、目標で制定されました。

次世代医療基盤法のポイント 
1.目的、目指すもの
次世代医療基盤法は、医療情報について特定の個人を識別できないよう匿名加工する事業者に対する規制を整備し、匿名加工情報の安心・適正な利活用を通じて、健康寿命の延伸、健康長寿社会の実現を目指すもの。これにより、治療効果等に関する大規模な研究を通じた最適な医療の提供や医薬品副作用等の早期把握による安全性の向上等を患者・国民へ還元する効果が期待できる。

首相官邸 健康・医療戦略推進本部 平成29年10月4日
第1回 医療情報取扱制度調整ワーキンググループ 資料1 p5

上でも述べたようにあなたの医療データが集められたあと、どのように扱われるかということに関する法律です。上記目的で示されている事柄についてまとめますと、次のようになります。

1)医療情報のデータを「あなた」が識別できない情報に改変する仕組みが求められている
2)利用できるデータから「あなた」のグループの健康寿命、健康長寿社会の実現を目指す
3)大規模なデータを基に、すでに治療法や薬がある、またはない病気に関しより効果の高い治療方法、薬品が開発できる可能性がある

この法律では1)のことを「匿名化」と言っています。特に個人的な医療情報を匿名化する法律。つまり個人情報にかかわる医療情報をどのように取り扱うかという法律で、病気に関する治療法に関することでもなければ、病院経営に関することでもありません。「あなた」の診察結果から個人情報を取り去って研究や開発するデータとして供給する事業者に対する規制に関する法律ということです。

ここから今回の改正法ではない元の法律『次世代医療基盤法』を通して、医療情報のデータを匿名化するということについて考えてみましょう。まず基本的な医療データとは何か。これは地域医療を出発点とする診療、治療データです。あなたが行く地域のクリニックでもパソコンを使ったカルテ管理をしているのを見たことがあると思います。このデータがまず基本です。さらに言うと、あなたが学校や職場で受けた健康診断の身体測定データなども収集されるデータです。

電子カルテなどと言っても、使っているソフトもパソコンの機種も違うことに気づかれるはずです。つまり、各医療機関の作成するデータは共通ではないところからのスタートです。これらのデータを統一しておかないと集約する際に扱いにくいデータとなってしまいます。こういったデータの整合性に関する部分は『次世代医療基盤法』とは別の動きの中で取り組まれることになっています。

『次世代医療基盤法』で取り扱われる基礎的な医療情報は医療機関が保有するカルテの情報や、健康診断等の結果、薬局が保有する調剤レセプト等の情報であり具体的には「特定の個人の病歴その他の当該個人の心身の状態に関する情報」となります(法条文第二条)。これらの情報を事業者が「特定の個人を識別することができないように医療情報を加工して得られる個人に関する情報であって、当該医療情報を復元することができないようにしたもの」を「匿名加工」された情報としています。

内閣府 健康・医療戦略推進事務局、次世代医療基盤法の概要について『「次世代医療基盤法」とは』(2022年10月)

『次世代医療基盤法』についての説明動画を見ていただくとわかりやすいと思います。

ここまでの話を一旦まとめます。
国民に対する医療を革新的に効果が高いものにするために、大量の医療データが必要で、これを取り扱うためには「あなた」が分かってしまう医療情報を「匿名化」しないといけない。個人情報に関する法律としては2003年(平成15年)に成立した『個人情報保護法』(以下「個情法」)があります。詳細は省きますが、医療情報も「個情法」の制約を受けるということになるため、取り扱われるあなたの医療情報は個人情報が入った素のままのデータはもちろん、データを改変したとしても、元のデータに戻して「あなた」が特定できるような形であってもいけない、ということになります。『次世代医療基盤法』は医療データから特定の個人情報を除外した形で「個情法」にも適合した形式のデータを取り扱うための法律である、ということを理解していただけたでしょうか。

次世代医療基盤法に関わる組織

さて、この法律で扱われる医療情報を匿名化する手順について説明する必要があります。その説明に際し、各種企業、団体が登場しますので、かかわる組織を整理しながら『次世代医療基盤法』の取り扱う「匿名」データとはどのようなものなのか、見ていきたいと思います。かなり簡略化して説明しますので、それぞれの団体についてはあなたが興味を持つ範囲で調べるようにしてください。

まずあなたを診察した地域のお医者さんや病院の作るカルテ、医療データを集める段階があります。あなたを担当した医師がデータを改変し「匿名化」するのでしょうか。そうではありません。そのために各地のデータを取りまとめる団体が組織されています。この団体の一つとして「特定非営利活動法人 日本医療ネットワーク協会」があります。こちらの団体の設立にあたり認識していた問題が次のように書かれています。

日本医療ネットワーク協会では、地域ごとの医療情報センターに分散記録された患者カルテ情報を、地域を越えて患者さんが全国どこへ移動しても、必要に応じて患者さん自身のカルテ情報に安全にアクセスできるシステムの開発/提供をめざしています。連携医療の目的で、各地で医療情報センターが立ち上がってきたものの、実運用においてはいくつかの問題点が浮かび上がってきています。つまり、医療機関 と医療情報センターの間で安全に送受信するネットワーク環境の不備、さらに患者IDが地域ごとにバラバラに登録されているために、地域医療情報センターを 越えたデータの検索が困難な点などです。

特定非営利活動法人日本医療ネットワーク協会について

日本医療ネットワーク協会が集めたデータは千年カルテという国内医療情報のデータベース事業として集約されていました。協会と医療機関の関係でみると、医療機関が協会にデータを提供することと、協会が集めた診療情報を医療機関に提供するということで連携しています。データ提供の基礎である患者に対しては、患者が協会のデータを閲覧できるようにしているということです。ちなみにこの事業が始まったのは2015年。AMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)の研究公募事業で採択されました。
AMEDについては次の国会答弁で確認するとわかりやすいです。
「各省庁でばらばらに支援していた国の研究を集約して、そして基礎から実用化まで切れ目ない支援を一体的に実施するということをいたしております。」(第195回国会(特別会)2017年12月5日参院内閣委員会 政府参考人 内閣官房審議官鎌田光明氏の発言より)

各地の医療データが千年カルテに取り込まれる流れの一つとして、各医療機関が利用する電子カルテ業界の国内最大手「PHCメディコム」が提供する電子カルテシステムがあります。旧パナソニックヘルスケア社のこのシステムはシェアNo.1で、2020年時点では24.2%の普及率とのことです。2018年に千年カルテとの連携ができるようになり、より普及が後押しされたことでしょう。
さらに次の段階の「匿名化」を行う事業者との連携も視野に入れているとのことから「次世代医療基盤法」においてはキーとなる企業の一つではないかと思われます。

「プレスリリース:NPO法人 日本医療ネットワーク協会と、 医療データ連携の実証実験に関する業務委託契約を締結 ~診療所向け電子カルテと医療データベース「千年カルテ」との連携を実現~」(2018年6月18日)

次に、データを改変する段階です。この段階で「匿名化」というデータ改変を行うことになります。この段階で「匿名化」するのが「匿名加工医療情報作成事業者」です。法条文第八条で「匿名加工医療情報作成事業を行う者(法人に限る。)は、申請により、匿名加工医療情報作成事業を適正かつ確実に行うことができるものと認められる旨の主務大臣の認定を受けることができる。」と定められています。この認定事業者の一つとして「一般社団法人ライフデータイニシアティブ」があります。

気を付けていただきたいのですが「千年カルテ」事業は医療データの集積であり『次世代医療基盤法』はそのデータを基にデータ利用の組織(医療関連機関や大学、製薬会社、行政等)へ提供するものです。下の図をご覧いただくと全体の流れがわかりやすいでしょう。

NPO法人 日本医療ネットワーク協会と、医療データ連携の実証実験に関する業務委託契約を締結

つまり、PHCメディコムのシステムが医療データベース「千年カルテ」の運用機関である日本医療ネットワーク協会の事業をサポートしています。そして『次世代医療基盤法』で取り扱われる「匿名」医療情報が作成され、データが利活用されるという流れで医療の発展が見込まれる、という医療データの連携が理解していただけるかと思います。

ここまでを理解していただいてから次の記事を読むことで『次世代医療基盤法』についてこれまで説明してきた全体像が理解できるのではないと思います。

誰も使わなくなった「匿名加工」情報

では上掲の記事の主眼となっている「一般社団法人ライフデータイニシアティブ」について確認していきましょう。同社は『次世代医療基盤法』の「認定匿名加工医療情報作成事業者」第一号です。匿名加工医療情報を作成することで、そのデータを研究機関や企業などに有料で提供することができます。実際には株式会社NTTデータにデータ加工の委託を行っています。NTTデータは法条文第二十三条において定められている「認定医療情報等取扱受託事業者」です。

さてここで一度改正法案である『次世代医療基盤法改正法案』について確認してみましょう。実は正式名称自体『医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律』が『医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報及び仮名加工医療情報に関する法律』へと変更となり「仮名加工医療情報」が加わりました。この点から、匿名情報と仮名情報は違うことがお分かりいただけるかと思います。さらに、従来は匿名情報だけでしたが改正にあたり仮名情報が加わるということが分かります。匿名情報だけではうまくいかなかったんだな、ということが容易に想像できますね。ひとまず旧法で「匿名加工医療情報」と呼んでいたデータはどのようなものだったのでしょうか。

匿名化技術にはさまざまな形態が考えられます。データベースにとってはいくつかの要素がひとかたまりのデータになっていることが重要です。ひとかたまりになったデータに含まれるさまざまな側面からのデータの解析ができるからです。

例えば「あなた」の名前がキーとなるデータのかたまりを想像してみてください。「あなた」の名前に紐づいた、生年月日、性別、身長、症状、などを含んだかたまりがあります。個人情報というと、大抵このように複数のデータを含みます。特に氏名によってすべてのデータが紐づけられているある人の情報の場合は、名前がキーとなるデータから他のデータもすべて芋づる式に見えてしまうということがあります。そのため、個人情報に関するデータについては名前の部分を消す(匿名加工をする)ことにより、あなたの秘密情報が他の人に流出しないよう改変する必要があるのです。しかし、データとしての利用を考えた場合には、ある個性を持った一つのデータのかたまりを維持していないといけないのです。

あなたはクレジットカードを持っていますか? 例えば、下記に示すページにあるデータはクレジットの利用データなのですが「個人属性のデータと購買データは互いが紐づけるように顧客ID(仮ID)が付されています。個人属性データのもとに複数の購買データが記録されており、それぞれが固有の顧客IDで紐づけされます。「親」となる個人属性データを削除すると、購買データとの関係性が不明となります。ですから個人属性データの顧客IDを書き換えた場合(匿名化)は、当該購買データも同じ顧客IDへの書き換えが同時に行われなければなりません」として、全くアトランダムにデータを書き換えればよいということではなく、必ず元のデータと同じように紐づけられた状態は残したまま、個人情報を消さなくてはならないということです。

しかし、結果として医療情報として匿名加工されたデータの利用は進みませんでした。
その理由は『次世代医療基盤法』ができた時点で、すでに日本は医療ビッグデータの基盤構築から大きく出遅れていたからです。下に示した図では医療機関に統一された電子カルテが導入されていることや、患者が自分の電子カルテ等を閲覧できるか、国家的な電子カルテ等のインフラ整備や標準化の取組みがあるかといった横軸の指標と、データの二次利用が国家戦略として扱われているか、医療データベース利活用の取組があるかといった縦軸で評価されていますが、日本は最も左下。最下位となってしまっています

令和4年4月13日 医療分野における仮名加工情報の保護と利活用に関する検討会(第2 回)資料:日本製薬工業協会 産業政策委員会 イノベーション政策提言推進WT作成 p9

また、先進的な新薬開発における医療データベースの活用例として挙げられているデータベースはほとんどが米国のデータベースであり、しかも米国で3種、英国で1種が活用されているというデータが示されました。この様子からはすでに研究者の間では国内のデータベースよりも海外のデータベースや別のデータベースを利用して研究開発が行われていたことを伺わせます。

(なお、これ以上のデータに興味がある方には2022年2月15日に開催された第3回次世代医療基盤ワーキンググループに提出された『医療データに関する海外事例調査』野村総合研究所作成に各国の各種データベースが紹介されており、上記データベースの概要を見ることができますのでご覧ください。)

pdfファイル:医療データに関する海外事例調査

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/data_rikatsuyou/jisedai_iryokiban_wg/dai3/siryou4.pdf


【前編】はここまでです。あなたから「あなた」を抜いた情報を取り扱うための法律はどのような変化を遂げるのでしょうか。【後編】では具体的な審議内容などから法改正の内容をご紹介しながら、日本の医療データベース運用の未来について一緒に考えていけるよう、書いてみたいと思います。

【後編】はこちらから。


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