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ブレックファースト

一日の始まりにみんなどんなものを食べているのだろう。のぞいてみたい。

子供ができる前、つまりニューヨークに住んでいた頃、朝ごはんは外で買い食いするものだった。早朝からカフェは開店し、道の至る所にベーグルとコーヒーを売る屋台が立ちしのぐ。みな行く先々で気に入りの店があり、授業や仕事が始まる前に買ってサクッと食べていた。私が通ったESLや大学では、生徒や先生もヨーグルトやらリンゴやらを教室に持ち込んで開始ギリギリまで齧っていた。「真面目に授業を聞きなさい」が授業だと思っていた私は最初こそ面食らったが、すぐに授業中にスムージーをすするくらいの厚顔は手に入れ、これが自由だとかなんとか…勘違いした。

子供ができて日本に戻ると、朝ごはんを作るようになった。慣れていないので何を作っていいかもわからず、洋風ならスクランブルエッグとベーコンやソーセージ、ヨーグルトにトースト、フルーツまで付け、和風ならサケを焼き、味噌汁を炊き、ブロッコリーを茹でて、納豆まで出した。つまり、教科書に出てくるような『ザ・ブレックファースト』に固執したわけだ。それは若さ所以の「妻とは、母とは、家庭とは」を演じなくてはいけないという固定概念、でなければ自分を評価してやることができない未熟さからくるものだった。しかし元よりない習慣を捻り出すのはかなりのストレスである。朝は食が細く、こんなに食べられるはずもない幼児に対してムキになって強要するが、結局ゴミ箱行きが多かった。本当にもったいない。

そんな固定概念朝ごはんも、徐々に品数は減ったが5年ほど続いたと思う。ついに夫と子供に「朝ごはんはこんなにいらない」と正式に申し出された。次女出産のタイミングも重なって、それなら勝手にしてと、最初はいじけていたが、拍子抜けするほど気が楽になった。ヨーグルトとか、シリアルとか、ココアで済むこともあれば、食べたいときは各々勝手に卵を茹でたり、スクランブルエッグにしたり、目玉焼きにしたりして食べる。休みの朝はちょっと頑張ってフレンチトーストやパンケーキを焼く。小学校5年生になった長女の料理の腕前もだんだんと上がり、休日の朝ごはんを担当してくれたりもする。

今はこのほとんどないような朝ごはんが、しっくりくる。自分も元はそうだったからだ。ずっと共働きだった両親は、私が中学生になって電車通学で朝が早くなった頃から、朝ごはんを出さなくなった。会社を立ち上げ、軌道に乗り、夜遅くまで忙しかったので、私が登校する時間帯はまだ寝ていたのだ。パンやヨーグルトを買って置いてあることもあれば、自分で買うことも多かった。昼食も給食がないので、コンビニ弁当や学校で売られるパンを自分で買って食べた。文句を言っているのではない。その当時は新たに手に入った選択の自由と自己責任を気に入っていた。でもね、お昼時間、同級生達の机に広がる可愛らしい愛情いっぱいの手作り弁当がちっとも羨ましくなかったといえばウソになる。だから私が『ザ・ブレックファースト』に固執したのは自己完結型の両親への当て付けでもあったと思う。自分が与えられなかった物を与えたかったのだ。でも自分にも家族にもストレスでしかなかった固定観念ブレックファーストなど、ないに越したことはない。フードロス的にもその方が絶対いい。

そんなこんなで、自宅の朝ごはんがさもしいわけだけど、テーブルいっぱいに並ぶ朝食が嫌いなわけでは、もちろんない。国内外に名声高い日本の旅館の「ジャパニーズブレックファースト」に心躍るし、ホテルのビュッフェ式の朝ごはんだってついつい食べ過ぎちゃう。でもやっぱり一番好きなのは上海の朝ごはん。上海でも経済成長すると共に生活習慣が変わり、朝ごはんの習慣も大きく変わったが、少なくとも私達の親世代はまだ朝市に行く。その日食べる新鮮な野菜、肉、水産物を厳しい目で選び抜き買って帰るのだ。そしてもう一つの目的は朝ごはんを買うこと。市場の周りにはさまざまな朝ごはんを売る小店や屋台が立ち並ぶ。

  • 饅頭屋には各種肉まん、野菜まん、具なしの饅頭など10種類ほどがうず高く積み上げられた大きな蒸籠内でそれぞれ蒸されており、熱熱を買う。

  • 豆乳屋では豆乳、咸豆花という醤油味のだし汁がかかったおぼろ豆腐が買える。

  • 油条屋では細い棒状の生地を2本ねじって揚げてあるサクサクした甘くない揚げパンを買い、

  • 锅贴屋では焼き餃子や、生煎包という小振な肉まんを底だけ揚げ焼きしたものを買う。

  • 煎饼屋は上海風クレープを作ってくれる。丸いクレーププレートにまず小麦生地を広げその上に直接卵を割りあける、黄身を潰すようにさっと混ぜたらしばらく焼き、半熟のところに甜麺醤、豆板醤を少し、たくあん、香菜、小口ネギをぱらりとまぶし、先ほど買った油条を入れてもらってクレープをたたむ手際でパタパタと四角くまとめた物に紙を巻いて手渡される。

そうやって集められた朝ごはんがテーブルにドーン・ド・ドーンと出され。それに家で作った薄めの粥、各種漬物、アヒル卵の塩漬け、豚肉そぼろのふりかけ、醤油をかけた茹で卵などが並べられていく。祖母は子供達のリクエストで甘いお汁に浮かんだ黒胡麻餡入りの白玉団子を作ってくれる時もあった。テーブルの上はいっぱいいっぱいだ。それが夏休みの祖母の家での朝ごはんであった。当時祖母の家には祖父母、叔父夫婦、従姉妹、私で6人。リビングのテレビでは、仙人仙女が空中を飛びカンフーを繰り広げる中国の時代劇が流れ、日課である祖母との朝の体操を終えて公園から帰った私を、テーブルいっぱいの朝ごはんが迎えてくれる。これが今も心を温めてくれる私の朝ごはんの原風景である。

時間的には私の過去の大部分であるはずの日本での朝ごはんの記憶があまりない。いやあるな。MILO、大好きだった。テレビのコマーシャルで見て母にねだって買ってもらい、毎日飲んでいたな。今年の夏コンビニでMILOのチョコレートスナックバーを見つけて、懐かしさがブワッと全身を包み、思わず買って食べたのだけど、一口食べてこんな味だったっけ?と首を捻った。なーんの特徴もない、美味しくも不味くもなかった。飲み物の方はまだ買って味の変化を確かめてはいない。


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