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トナカイが牧場に来るまで

日本に一箇所しかないトナカイ牧場のある町があります。

その町こそ、北海道の北部にある町、幌延町です。

幌延町の歴史を語るのにトナカイの存在が無くては語れません。

そんな、幌延町の歴史を遡って見ていきましょう。

歴史

幌延町の歴史は幌延問題に20年もの間悩まされてきた歴史があります。

色々な問題を解決した後に、トナカイをフィンランドから迎え入れたことによって、トナカイを中心として観光産業が盛んになります。

そんな歴史を辿ってきた幌延町の歴史を、年代ごとに主な出来事を見ていきます。

年表

1878年 天塩国に、幌延村、天塩村、沙流村が誕生します。

1890年 トイカンベツの天塩川沿いが御料地となります。

御料地とは、天皇(皇室)及び幕府などのいわゆる「公儀」と称される公権力が直接支配した土地(直轄地)です。

1899年 下サロベツ原野に福井県団体15戸が入植します。本願寺、天塩、法華宗の各農場が設置され、この年を幌延町の開基とします。

1912年 国有林2万2700町歩が、東北帝国大学農科大学(後の北海道大学農学部)移管されて、トイカベツ演習林(天塩研究林の前身)が設置されます。

天塩研究林は、森林とその構成員(動植物)の機能の解明とそれらを考慮した山地利用・保全方法の確立を目指し、 様々な試験・研究が行われている、日本で最も北に位置する大学所有の深林です。

1919年 二級町村制を施行して、幌延、沙流を併せて、天塩郡幌延村となります。

1923年〜1935年 天塩線・天塩南線・が各所で開通します。

1938年 酪連幌延(現:雪印メグミルク)幌延工場の前身)の創業が開始されます。

1952年 簡易軌道問寒別線を村が買収して村営化します。

1957年 天塩大橋が竣工します。

1960年 町政が施行されて、天塩郡幌延町となります。

1970年 サロベツ展望台が完成します。

1980年 町長、助役、議員一行が原子力施設を視察します。
    「幌延問題」の幕開けとなります。

幌延問題
1980年(昭和55年)ころ、町議会などの誘致を受け動力炉・核燃料開発事業(動燃)は、高レベル放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設を計画。いわゆる「幌延問題」として、地元や周辺市町村はもとより、全道で長きにわたり議論を呼んだ。2000年(平成12年)11月16日に北海道・幌延町及び核燃料サイクル開発機構の三者で「幌延町における深地層の研究に関する協定書」を締結し、2001年(平成13年)に幌延深地層研究センターが核抜きの地層処分研究施設として設置されたことにより、幌延問題は一応の終止符を打った。

Wikipedia 幌延町

1985年 ふるさとの森森林公園が完成します。

1989年 トナカイをフィンランドから迎え入れて、市街東町で飼育を開始します。 民営のトナカイファーム開場です。 幌延ビジターセンターが開設します。

1990年 金田心象書道美術館が開館します。

1995年 トナカイ観光牧場が市街東町に開場します。
    町営施設で、上問寒へ移転したトナカイファーム施設跡を流用しました。

1997年 マスコットキャラクター「ホロベー」が誕生します。

1999年 トナカイ観光牧場が現在地である北進に移転します。

2001年 幌延地層研究センターが開所します。

日本原子力研究開発機構(JAEA) が管理運営する、地下350m以上の深さへの放射性廃棄物の地方処分に関する研究を行う施設です。
研究管理棟・試験棟・PR施設「ゆめ地創館」などからなる地上施設、東立坑・西立坑・換気立坑と排水処理設備からなる地下施設、および掘削土置場で構成されています。

住所:北海道天塩郡幌延町北進432番地2

2003年 オトンルイ風力発電所が稼働します。
    幌延地園環境研究所が開設します。

2005年 サロベツ原野がラムサール条約に指定されます。

2007年 幌延深地層研究センターのPR施設「ゆめ地創館」が、北進のセンターの敷地内に開館します。

2010年 マスコットキャラクター「ブルピー」が誕生します。

いかがだったでしょか。

幌延町が、トナカイ牧場の町として観光産業が盛んになるまでの過程を見てきましたが、大きな問題を解決して今があるのが分かります。

歴史を辿ってみることで、幌延町のいろいろな側面が見えてきますよね。

それでは、またどこかの土地の歴史でお会いしましょう。

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