小説家は幸せになれない?!

よく聞くのですが、小説家は不幸じゃないと小説が書けない。と言う。
文豪はだいたい病んでる代わりに名作を書いてる。

私もそうなのだろうか?

思い返すと、幸せではない、楽しくない恋愛の時はノリに乗っ小説が書ける。ハワイの大海原をノリノリ波乗りするサーファーみたいな感じで、文章という大海原の中をパソコン片手に波乗りしてる訳。
辛い片思いとか、恋人と別れた、恋人を忘れられない!みたいな時程筆が進む進む進む進むよどこまでも。
恋愛じゃなくても全体的に不幸な時程良い小説が書けるし、どんどん書けるんだなこれが。

「素敵な人と付き合ってるね、幸せそうだね」と言われている時はどうだろう・・・大学生の時、めちゃくちゃ楽しい恋愛をしていた時期があった。一年ぐらい。あの頃は、全然書けなかった。彼と付き合っていた期間=、全く小説が書けないスランプ。彼は優しいし甘やかしてくれるし、デートは毎回楽しいし・・・って思ってたんだけど、その代わりに全く小説が書けない。

私は小説書くために生きているような女だから、幸せで書けないというのはめちゃくちゃショックだった。

女としての幸せを取るなら、そりゃ幸せで楽しい恋愛して生きていくのがよっぽどいいよね。いい恋愛をして充実してさ。

だが、人間としてはどうか?私の人間としての幸せとは?

小説家としての幸せ=人間としての幸せ。小説を沢山書ける事が自分という人間としての幸せだから、書けない限り自分は幸せだと思えない。

女としては恋愛して結婚して妊娠出産・・・かもしれない。
でも小説家としての私は、結婚もせず子供も産まず一生小説だけ書いて生きていく人生を求めてる。

10代の頃は結婚なんか一ミリも考えてないから好きなだけ書けた。
大人になるにつれてこれらについて考える事が増えて行ったし、今の夫と出会って結婚する時にもものすごく悩んだ。

最近の私は執筆活動に少し疲れてきて、スランプじゃないけどちょっともうどうしたらいいのか。

結婚生活は幸せだけど、このままずっと幸せだったら小説書けないんじゃないの?いくら家庭が幸せでも、小説書けないんだったら生きてる意味無いしさ、それって幸せとは言えなくない?別居とかして自分を不幸に追い込んでまで小説書き続けた方がいいんでないの?

小説家は自分の中に毒がある人でないとなれないと聞いた事がある。

私の中には毒も闇もドラゴンもあるよ。このままずっと幸せだったら、幸せ過ぎて、子供産んでるうちにドラゴンが消えちゃって、小説書けなくなるんじゃないの?

私は小説家なの。骨の髄まで小説家として、自分が欲しいものを求める。私が欲しいものは、チャンス。名声。お金。成功。女としての人生は、もうこれ以上特に何もいらない。成功したい。ただそれだけ。

かといって太宰治みたいに不倫して心中するのは倫理的に違反してるし、小説書くために不倫するのも馬鹿馬鹿しいじゃない?

結婚したのは正解だったのだろうか?悩む。

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