何年経とうと、痛む古傷もあるらしい。
14歳のとき、人生で初めて「こうなりたい」と思う人に出会って、その人の背中を追いたかった時間があった。
世界に色がつくとはこういうことだったのだろうかと思うほど、あの頃から私の人生が動き出したとも言える気がするほどに、キラキラと瞬いたのを覚えている。
傍から見れば、吹けば飛ぶようなとても小さな夢にも見えるかもしれないけれど、あのときの自分にとっては、とても大事なエネルギーとなってくれた時間だった。
足が悪い自分ができることなんてたかが知れていたけれど、それでも、「なりたい」と決めたらそれについて何かをしていないと落ち着かない質だった私は、
自分の手元にあるスマホで、
同じような夢を持つ仲間を探し、ともに練習したり、研究をする日々を続けた。
それからわずか1年2年が過ぎたある日、
自分自身で「その夢は諦めなければいけないのだ」と自分を律した。
当時、志望していた高校でさえ通学の困難さを理由に諦めた自分が、健常の人でさえ狭き門をくぐれるわけがないと思ったからだった。
あれから時間が経った今は、
あの時間さえも、自分に必要なものだったと思えているが、当時はすべてが無に帰したような絶望感と不安が私にとって隣人だった。
数年間、死に物狂いで生きて、
現実逃避、遠回りを何度も繰り返しながら、
自分なりにその時間を自分の武器にすることを決めて、自分なりに楽しく毎日を生きられるようになった今年。
あの頃、夢をきっかけに巡り合った友人が、
その夢の世界への、はじめの1歩を踏み出すことが決まった。
「おめでとう!これから頑張って。ずっと応援してるから」
この言葉は嘘じゃない。本当だ。
なのにどうしてだろう。
私が勝手に、友人へ1枚の壁を隔ててしまう。
「諦めたのはお前だろ?」と、壁の向こうにいる私が問う。
「あぁそうだ」と、壁の中で私は答えた。
「後悔は?」と問われれば「無いはずだ」と答えた。
『冷静に考えて、こんな体じゃ、挑戦さえ許されないんだから』と続けると、
かつての私が「それを理由に諦めたのも、自分だもんね。」と言って、まるで嘲笑うような顔でほくそ笑んできた。
理性的だとか、合理的だとか、私の選択はいつだってそちら側で、自分自身のやりたいを優先できた時間とは、一体どれほどだろう。
そうやって生き延びた自分を否定し、嫌うことは少なくなったほどには、自分を受け入れているけれどね。
今、唯一自分の中で対立しているのは
心から「諦めよう」と戦ったあの日々にいる自分と
「何か別の形で自分のやりたいを叶えられないか」とアンテナを立てている今の自分だ。
かつての自分が恐れていた、もし応援できなかったらどうしようという不安は杞憂に消えたけれど、この対立している自分がいつか友人を攻撃してしまいそうで怖い
なんて、新しい不安が生まれてしまった。
はて、一体どうしたものか。
なんにしたって、
障害の有無にかかわらず、一人の人間として関わり続けてくれている友人が好きで、出会えたことが幸せだ。とても感謝している、とても大好きな友人。
同じラインに立っていたあの頃、友人は確かに、一人のライバルとして私を見てくれた。
障害があるからどうなんて言わず、アドバイスをしあってくれた。情報交換をしあってくれた。
その時間が愛おしいから、もっともっと同じ場所にいたかったのも、私の本心らしい。
友人は諦めずに、夢を叶えるために行動を起こし、私はその逆にいるという簡単な図式。
ただ、その図式では測りきれないものがあるように感じるのも事実で、日々、その消化に苦戦するから、かつての傷跡が再び疼いている。
痛みは随分に減ったけれど、それでも、
どこか、悲しい。どこか、苦しい。悔しい。
耳を塞ぎたくなる。涙が出そうになる。
それほど本気で、あの夢に手を伸ばしたかったとも言えるし、たとえスタートラインに立っていなくても、立っていなかったもの同士、
本気で仲間でいた証であることをわかっているから、もう無理やりこれらの感情を消そうなんてことはしない。
そんなことをしてはいけないと思うほどには、
かつて一人で諦めようとしていた頃とは違う感情が自分にあるから。
故に、消えなくてもいいから、せめて静かにしていてほしい、とは思う。それは私のわがままだろうか…。
剥がれてしまったかさぶたの修復には時間がかかる。その時間に負けたくなければ、なんとかして、未来で「いいスパイスになってくれた」と言えるようにするしかない。
大丈夫、あの絶望感と不安が隣人だった頃に比べればとても小さなかさぶたなんだ。
あの頃の傷を昇華出来ている自分なら、
絶対、どこかで昇華できるはずだ。
そう、自分に言えるくらいには、あの絶望が私を強くした。
だからこそ、あの絶望の中にいた自分を支えてくれていた一人である友人を応援したいのも本心だ。
複雑な応援しか、今はできないかもしれないけれど…その複雑な応援でも、私にとっては嘘じゃない。
本当に頑張ってほしいというこの気持ちは、
今の自分よりも、あの、ライバルとしていた頃の自分から出ている言葉だから。
今の自分、すなわちライバルという壇上を降りた私からの応援は、もう少し先になりそうだからもう少し待ってもらう他ないらしい。
さて、ここまで見てくださった方には、この文章、言葉はどう写ったでしょう。
今回はただ浮かんだ言葉をそのままに書いて、
とてもチグハグかもしれませんし、下手したらあとになって恥ずかしくなって消してしまうかもわかりません。
あとから消すくらいなら書くなよ…とも思うかもしれませんが、
私は、どこの誰に届くかわからない場所に投げて、反応がなくとも、見てもらえるだけでなんだかとても落ち着くような、そんな人間なんです。
そんな拙い私の言葉をここまで聞いてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。
ではまた、何かのご縁がありましたら。
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