わたしが本を読む理由
わたしが、本を読む理由。
ひたすらに、頭を空っぽにしたいとき。
昔は違っていた。
親に勧められた小説がとても面白かったから。
特に何の変哲もない現実の世界で、何でもないただの小さなこどもだったわたしに、たくさんの物語の世界を教えてくれたから。
もっと、知りたい。
ただそれだけだった。
だけど、時間が過ぎれば人は変化する。
わたしも例に漏れず変化した。
大学生になったわたしは、目に見えて本を読む時間が減った。
妙に心地好いざらざらした紙の感触は、つるりと指を滑らせる液晶画面に取って代わった。
突然、いとも簡単に、安直にわたしの世界は広がった。
広がりすぎてしまった、と気づいたのは、本を読むということから遠ざかって、2年半ほどたったころだった。
常に繋がりっぱなしのSNS。
真偽の定かでない情報が溢れるインターネット。
見たくもないし必要もないものが、次から次へと嫌でもわたしを支配していく。
身を委ねれば、ある程度馴染むことはできたかもしれない。
でもわたしには、どうしようもない疲労と、虚無感しか残らなかった。
毎日の細事に忙殺され、時間が無いと言い訳を並べ、いつかはやるさ、と放置して、
大好きだった小説を、書けなくなった。
我慢し続けた結果上手くいかなくて、張り詰めていた糸が切れた。
何を頑張ればいいのか、わからなくなった。
至極簡単に言うと病んだ。
そこで久しぶりに、小説を読んだ。
驚いた。
頭の中で、ずっとずっと鳴り止まない音楽や、渦巻き続ける雑多な思考が、その間だけ、すっと止まるのだ。
想像の世界へ放り投げられて、身を委ねることができるのだ。
ごちゃごちゃと、がらくただらけの脳みそを、巨大な箒で一掃きしたような。
ぐわんぐわんと、荒々しくうねっていた海が、突然凪いだような。
この、静かになる瞬間が、没頭できる時間が、じわりとわたしを満たした。
鈍りきって、乾いた感性が、研ぎ澄まされて潤っていく感覚。
周囲に馴染めず図書室が防空壕と化していた小学校時代、いじめられ図書室に行かない日はなく職業体験まで市立の図書館に行った中学校時代、それなりに楽しんでいたけどやっぱり図書室に入り浸っていた高校時代。
わたしはいつも、本のそばにいたのだ。
そんなことも、忘れかけていた。
わたしが通う大学の図書館は、約42万冊も本がある。
今まで生きてきて、出会った中で一番多くの本がある場所。
足を踏み入れた瞬間、どうしようもなくわくわくするあの気持ちを、これからも持ち続けていたい。
読書は、頭が空っぽになる魔法。
想像の世界に頭までどっぷり浸かる、至福のひととき。
さあ、今日はどんなものに出会えるだろう?
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