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忘れん坊将軍の異名を欲しいがままにする忘れっぷり

昔から、口裂け女やツチノコなどと同じように語り継がれている話題の一つに「歳をとると忘れっぽくなる」という都市伝説があるが、あれはどうやら本当の話だ。
そう断言するのにはちゃんとした根拠だってあるのだが、えっと、なんだっけ、忘れてしまった。

とにかく、人間の記憶力というものは、ある一定の年齢に到達すると、そこからは下降の一途をたどるようだ。
子供の頃を思い出してみてほしい。えっ? もう忘れている? いや、違う違う。この場合の思い出してほしいは、ただのお話の導入部だからすっと思い出してもらわないと。

子供のときは記憶力よかったのにな、と嘆く大人の人数たるやすごい数になるだろう。以下の数式で求めてみよう。
日本国内の大人の人数×1.2+授業中にお腹が鳴るのを恐れ唾を飲み込んで空腹をしのいだ回数
いや、元の人数より増えてるわ。
正しい計算式も忘れたようだ。違う。そんな計算式なんて、そろばん学部りんごはいくつかな学科を卒業した私だって習っていない。

いつになったら子供の頃の話ができるのか。

私は幼少期から空想癖があり、頭の中でいくつもお話を作ってはそれを全て脳内本棚にストックするという習慣をもっていた。
少年勇者が魔王に立ち向かう一大サーガにいたっては、第867話くらいまで続き、「じゃあ第369話はどんなお話?」と訊かれても(それを訊くのも私自身しかいないのだが)しっかりと説明できるほど、全てのお話を記憶していた。

それゆえ、記憶力が優れている子供のうちにしっかりと基礎教育を施すというのは大切なことだろう。小学校で習った漢字はどれも重要なものばかりで、いまでもなにひとつとしてわすれているかんじなどない。ほんとうにない。もちろんぜんぶおぼえているよ。

それがいつからか物忘れが激しくなり、物の名前が出てこなくなり、人の顔を覚えられなくなり、自分が誰だったかもよくわからなくなってくる。私の記憶に間違いがなければ、たしか大富豪の家に生まれ、幼少期からおもちゃ屋さんで「何が欲しい?」「この店にあるもの全部」という会話を繰り返し、大人になった今ではベンツを五台も所有しているはずなのだが、家の外に出てみると、駐車場には軽自動車がとまっている。これもまた私の記憶違いか。


経年劣化という言葉があるように、時の流れとともに能力が衰えていくのは仕方がないことかもしれない。だが、建物の老朽化や電化製品の故障とは違う側面が人間にはある。人間は、技術の習得によって能力の劣化を補うことができるのだ。
若い頃には剛速球で打者を圧倒していた投手が、年を重ねるごとに巧みな投球術を駆使した軟投派のスタイルに変化するように。
若い頃にはがむしゃらに体を動かすことで仕事をこなしていた人が、経験を重ねて得た人脈や知識を駆使し、電話一本で仕事を獲得できるようになるように。

記憶力の低下もそうやってカバーするしかない。
なくした記憶力の代わりに人類が手にするものは、指示語だ。

「あれってあれでいいんだっけ?」

この場合、一つ目の「あれ」は「来週の予定」で、二つ目の「あれ」は「井戸に落っことしたコンタクトレンズを探す」に決まっている。

で、返答がこちら。
「いやぁ、あれはあれのほうがあれだわ」

この場合、一つ目の「あれ」は「コンタクトレンズ」で、二つ目の「あれ」は「カラコン」、三つ目の「あれ」が「イメチェンにもなるし、井戸に落としたコンタクトレンズなんか汚いからやめたほうがいいんじゃない」を示す。
誰がわかるか、こんなもん。


さらにこの先、究極進化系は指示語すらなしの会話だ。
先ほどの会話をもとに考えてみよう。

「あれってあれでいいんだっけ?」→「いいんだっけ?」
「いやあ、あれはあれのほうがあれだわ」→「いやぁだわ」

ここまでくると、こういったコミュニケーション術自体を無形文化遺産に申請したくなってくる。いつかきっとそうしよう。忘れないように紙にメモしておこう。そのメモをどこに置いたか絶対忘れるから、いっそ、手の甲に書いておこう。なんて? なんだっけ? 忘れた。

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