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手が届くのは自分だけ
嫌われる人生は生きづらい。だから好かれたいと思った。
故に、いつも他人の評価を気にしていた。
なるべく他人に良い評価がもらえるように。
なるべく自分が良い人としてみられるように。
見栄を張って、カッコつけて。
愛想良く、取り繕って。
私は八方美人だった。
誰しもの味方でありたかった。
そこあるのはおそらく善意などではない。
全ては自分が嫌われないため、ひいては好いてもらうため。
そうやって他人の評価基準で、性格も何もかも作り替えてきた。
人の目を気にせずにはいられなかった。
何をするにも相手の出方を待った。顔色を伺った。
優しさとか、そんなご大層なものじゃあない。
全ては他人からいい評価を得たいがためのものであって、偽善とも言える。
自分があまり納得してなくても、意見することなく他人に合わせることがよくあるし、心の中で悪態をつくこともある。
なんて不安定な人生なんだろう。
自分の人生で一番時間を共にするのは、他の誰でもない自分自信なのに。
全てのマイナスを取り払うようにして生きるのは疲れる。
だってマイナスは、きっと無くなることがないのだ。
それに、自分は他者のことなどコントロールすることができない。
では、他者から自分へ対するマイナスを必死で取り払うことは、ほとんど意味がない。
でも、自分のことはコントロールができるのだ。
なぜなら、自分は自分だから。
それなら、自分自身のマイナスを取り払うことに注力してもいいんじゃないか。
いや、マイナスじゃなくてプラスを増やして行ってもいいんじゃないか。
せめて、自分の手が届く自分のことくらいは。
ただワガママに生きるという意味ではなくて。
自分の評価基準で生きようと思った。
何億人といる他者からの、いつ変わってしまうかもわからない評価に依存するのは、極めて不安定で危険だから。
自分で自分を「私がこう思ったのだからそれでいい」と評価できるようになれば、とても安定するし落ち着く。
簡単なことじゃないだろう。
理想論だし、綺麗事だけど。
でも、本当の意味で自分を幸せにしてあげられるのは。
「幸せ」と感じることができるのは自分しかいないから。
私は本気でそう思ったし、そうありたい、そうあろうと思った。
みんながそうやって自分で自分を満たせたら。
落としどころが見つけられたら。
きっと他者にも優しくなれる。
優しくなれたらいいな。
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