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【短編】「someone to watch over me」

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“someone to watch over me”、直訳で私を見つめる誰か、という意味合いになる。ジャズのポピュラーソングであり、歌詞が無いバージョンのものもバーなどでよく耳にする。

昔、当時付き合っていた彼に熱海に連れて行って貰った時、入った喫茶店で流れていたのが懐かしい。
どこでだって流れている古典的なポピュラーソングだが、大衆演劇のポスターやら提灯やらが壁に並び、パーマヘアにくっきりルージュを引いた店主のマダムが道楽で作ったらしい手さげ袋を、店の隅で売っているような剽軽さのある喫茶で流れていたのが、シナトラの歌う憂愁のメロディとミスマッチな感じがして何となく微笑ましかった。

その時は、小雨が降っていたのでこの喫茶店に軒を借りていたのだ。寒かった。2人でココアを頼んで煙草を吸いながら外を眺めていた。カーテンは漁網のような格子のレースで、透明な硝子の灰皿はミルククラウンの形だった。燻る煙、コーヒーの香り、そこに、シナトラ。色褪せた空間に不釣り合いな若い二人。思い返してみると、視界を狭く保てば中々ムーディーな空間であったのだ。

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シナトラは歌う。

There's a saying old says that love is blind
「恋は盲目」 という言葉があるけれど

Still we're often told "seek and ye shall find"
「求めよ、さらば与えられん」 とも言うものね

So I'm going to seek a certain lad
だから私は探し求めようと思うの

I've had in mind
心に思い描く運命の人を

Looking everywhereI haven't found him yet
でも簡単じゃないわね 私はまだそんな人を見つけられないみたい

He's the big affair I can't forget
彼とはとても大切な存在で 忘れることなんてできないの

Only man I ever think of with regret
ただ唯一の人よ 出会えなかったら一生後悔するのね

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やがて運ばれてきたココアには薄い牛乳の膜が張っており、その上には上品に絞り出された生クリームが綺麗に座っていた。
「これ、ラムスデン現象って言うのよね。」
「え?なんて…?」
「ううん。大したことじゃないの。」

この頃は、私の過度な恥じらいと彼の偶然の眠気が鉢合わせをすることが多々あり、なかなか会話らしい会話が続かない関係の拙さがあった。それでも、我々は黙って読み物を読んだり煙草をふかしたりしながらゆっくりココアを啜り、時々ゆっくりと顔を見合わせて微笑み合ったりしていたのだ。ただそれだけで何の不安もなく、幸せだった。去年の12月、私の誕生日の頃のことである。

                               (蒔田)



(あとがき)
いかがでしたでしょうか。
こちらは蒔田が以前、個人的に書いた習作に「someone to watch over me」の歌詞の独自の和訳を加え、手直ししたものです。

L.Lマガジンでは「煙草とエロス」を基本テーマにしながら、素敵なメンバーと共にこんなテイストの小説作品やエッセイ、企画を連載していきます。

ぜひ、2週間後をお楽しみに。

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