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稼ぐに追いつく貧乏なし

今日、判決を貰いました。

懲役2年、執行猶予4年だそうです。

僕はこれから4年間、品行方正に生活する必要があります。

4年に限らず、これから先、命が尽きるまで。

朝は希望を持って目覚め、昼は勤勉に働き、夜は感謝をもって床に就くのです。




どうも、僕です。

そろそろ涼しくなるのかなと思って天気予報を覗くと、威圧的な晴れマークに、返り血で赤く染まった30℃を超える数字、全国で一番暑い県はどこかと聞くと「秋田」だそうです。

そんな馬鹿な。


秋田の良さって何ですかね。


こんな殺人級の暑さが続いては、高齢化止まらない秋田の人口は更に減るばかりです。

若い者は低賃金で食い潰され、年老いた者は焼き殺される。

処刑場の名は「秋田」。

冬は雪が積もり止むことがなく、渇いた風が肌を突き刺す。

若い者は食べる事ができず雪を寄せる力もなく、年老いた者は埋もれるのみ。

流刑の地、その名は「秋田」。


言い過ぎました。




僕の好きな言葉を一つ紹介したいと思います。


稼ぐに追いつく貧乏なし(かせぐにおいつくびんぼうなし)」
いつも一生懸命働いていれば、貧しい生活を送る事はない。


暇があると人は余計な事を考えたり、余計な事に時間を浪費し、余計なモノにお金を使ってしまうのです。

しかし暇なく働き続けていれば、余計な出費をする事もなく、貧乏とは無縁の生活を送れるという古い教えです。


僕は数年前、自殺を考える程に貧乏で、本当に苦しい生活をしていました。

しかし今思えば、身の丈にあった生活をする訳でもなく、規則正しい生活でもなく、必死に働いていた訳でもなく、切り詰める事もせず、ただただ楽をして望み羨むだけの日々だったと言えます。


自分にできる事を探し、自分ができる事を考え、必死に働く事を覚えたのはつい最近の話です。

そして、これまでの生活を全て変え、自分と向き合い、働くという事に全力になったのも、つい最近の話です。


僕は今誰かに何か偉そうな事を言える立場にありません。

これから頑張らないといけない立場で、これからどう生きていくかを家族や友人、大切な人たちに見せる必要がある立場です。

そこに暇などありません。




貧乏というのはきっと、心や時間の隙間に入って来る寂しさを例える時に使う比喩なのかなと思います。

確かに誰かと比較し、誰かと見比べる事で貧乏という言葉を使う事はあるのかも知れません。

でも本来の貧乏は、貧しいと感じた瞬間、貧しいと思うその時にやって来るものであって、きっと誰かと比べたりするものではない。

そう思うのです。




僕には貧乏になるような暇はありません。

さあ、働きましょう。


サポートして頂いた方の事は一生忘れません。 靴ぐらいなら喜んで舐めます。