見出し画像

とっさの一言と育ちの話

友人と出かけてお店に並んでいた時、そばを通り抜ける人に通り抜けざまに「邪魔!」って言われて唖然としてしまった。
まぁ、勿論私も荷物が幅をとっていたため邪魔だったのは認めるし素直に申し訳なかったな……とは思う。
ちょっと避ければ難なく通れる場所もあったけど、そうやってムカつくからといって回り道をさせようとするのはいけませんね。
素直に幅とってごめんなさい……。

とはいえ、あの人ちゃんと避けて行ってくれたし、根は悪い人でもないんだろうし、なんで邪魔だといったんだろう?
と思った。
私的には「そういった言葉を咄嗟に人に浴びせかけるのはよくないし、もう少し言葉を選んだほうがいいのでは?」とは思う。

しかし、あの人はヘッドホンをつけて歩いていた。
経験則耳が塞がると自分と音楽だけの世界になってしまうと、独り言がわりとポロリと出てしまう。
よくオタクがブツブツいってたりするやつって「自分の世界に入ってる」って言うし。
もしかしたら、あの人も心の中で言ったつもりだったのかもしれないな。
自分も体積と道を塞ぐのとその辺気をつけよう……。

帰宅して風呂に入ってて更に思ったことがある。
口に出てしまったのはまぁ置いておいても、人に対して咄嗟に邪魔!と言える人はなかなかいないと思う。
それを考えると、もしかしてあの人、家の中で言い慣れてるまたは言われ慣れてるのかもしれない。
結構家族間で使われる言葉って気軽に他人に使ったりする家庭もあると思う。
それに言われ慣れてるとやり返す人なら自分も使うことがあると思う。
更に友人関係で「その言葉を言い合う」「それいいなと思って使う」「こういう時使ってもいいんだ」って思ってしまうことはよくあると思う。ここまでくると地域的な話にもなるけど。

そこでふと、ある書籍の名前を思い出した。あれ、2巻も出てる育ちがいい人が云々のやつ。名前だけね。読んでないし。
育ちの良さって所作とか気遣いとかだけでなく言葉やイントネーションにでてくる。
その咄嗟に出てくるというところもおそらく育て方・育ち方なのでは?と思う。
良いものも悪いものも結局家庭での育て方育ち方なんだなって。
だから「教育書」とか「育て方」とかを必要とする人が出てきて、それが本になってるんだな。
まぁ親も本人も悪いのかよっていうとそうでもないと思う。
あとは想像力と他人への慈悲の心、認知の歪みからの脱却がもたらされるか否かはあると思うけど!
そうでなければ親が毒々しくても立派に育つ子がいたり、親が良い人であっても毒々しく育つ子がいたりするはずがないし。
そもそも人の家の教育理念の良し悪しはまぁ首突っ込むのはよくないね。


まぁ正直「なんだあの関わっちゃいけないタイプのクソオタ女みたいななりしやがって(超絶な偏見)もっと言い方あるだろクソが!申し訳なさがすっ飛ぶわ!!」って思ってたけど、こうして【育ち】というものは案外何処にでも出てしまうものなのだなと気づきを得た。
しかも先程の育ちの良い人云々の本を読んでも良かれ悪しかれ一切変えることができないだろうものがあるのだと。
彼女だけではなく、私も、皆さんも連綿と続いてきた命として受け継ぐものの一つが「育ち(教育)」なんでしょうな。ちょっと大袈裟かな。
まぁというわけで、思考とネタをいただいたので彼女もそれに見合うプチ幸せあると良いね。


ま〜「育った環境を一切見せることがない人」がいたら、そりゃスパイみたいな特殊訓練受けたような人くらいよな。 

この記事が参加している募集

#最近の学び

180,924件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?