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奪われていたけどもらっていた自由・その4<最終話>

<これはこちらの記事の続きです>

もらっている「自由」が、
通学に関しては
これ以上見つからなくて、
探す範囲を
さらに広げることに。


そこで、
不自由を感じていた『移動』に
無くてはならない車に注目。

そこで見つかったのは、
こんなことだった。

(参考になるように、
 ささいなことだけど、
 見つかったことを
 一つ一つ挙げていくね)


車を路駐する自由

もちろん
どこでもとめていいというわけでは
ないけど、
(ちょっと縁石にタイヤが
 載っていたために
 キップを切られたこともあった)

例えば、
病院の前とか、
塾の前とか、
駅の前とか、
必要なときには
とめることができていたの。

移動に時間と労力が
ひとよりも余計にかかる
という制約に対して、
そうした手間を減らす
自由をもらっていたの。


車が必須だから
ガソリン代がかかってしまう
という金銭的な不自由に対しても、

一時的に路駐することで
駐車場での駐車時間が短くなって
料金が安くなるという金銭的自由を
もらっていた…。


駐車場で身障者用スペースにとめる自由

車というキーワードで
芋づる式に見つかったのがこれ。

スーパーやショッピングモールなどの
駐車場って、
曜日や時間帯によっては
とても混むよね。

空いてるスペースを探して
ぐるぐるすることも。


でも、
息子と一緒であれば、
比較的空いていることが多くて
入り口にも近い
専用スペースにとめることができて、
時間的自由をもらっていたの。


車の維持費が軽減される金銭的自由

車にかかる税金が
安くなっていたことにも氣づいた。

出かけるために車が必需品だから
どうしても経費がかかるけど、
実はそれが軽減されていたことを、
私はそれまですっかり
忘れていたの。

車の維持費って結構かかるのに。



出かけるというキーワードで
見つかったのが、

美術館や映画館などで
身障者割引が受けられる

美術館によっては
付き添い者まで無料のところも
あるの。

『こどもには
 いろんな刺激に触れさせたい!』
と思うものだけど、
正規の料金は
結構いいお値段なのよね。

親子や家族で行くとなおさら。

移動が楽ではないから
腰が重たくなりがちだけど、
その腰を押し上げてくれる
金銭的自由を
もらっていたの。

小さい頃は行けていた
アスレチックなどに行くことは
できなくなっていたけど、
別の分野で
家族で一緒に楽しむ機会を
プレゼントしてもらっていた。


乗り物の運賃が割引される

電車を利用するときに、
本人と付き添い者の運賃を
割引く制度があるの。

一人だけで電車に乗って
出かけることが難しいから、
付き添いが必要。

となると、
付き添う側の
手間も時間もかかるけど、
本人と付き添い者の二人で利用して、
一人分の運賃で済むこともあるの。


それから、
タクシーを利用する場合、
乗車賃を補助するタクシー券を
使えることもあったの。

傘を差して滑りやすい道を歩くのは
とても大変だから、
タクシーを気楽に使えることは、
出かける億劫さを
減らしてくれていた。


普通ならなんてことのない
移動が大仕事で、
自由に行動できない
って思っていたけれど、
その分、
【金銭的な自由】を
もらっていた…。


こうやって
小さなことでも
一つ二つと挙げていったら、

だんだん、

だんだん、

だんだん、

私の氣持ちが
変わってきたの。

水の一滴一滴が岩をも砕くように。


私、不自由だったよね?


あれ?
私、不自由だった?


ん?
私、不自由じゃないのか??


私、不自由じゃないかも!


げげ、なんてこった・・・

この大発見に、
もう
最後には、
椅子からずり落ちそうだった。

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私、
あんなに不自由だと
思っていたけど、

こんなに

こんなに

たくさんの自由も

もらっていた・・・


別の形で。


ものすご〜く
被害者感満載だったけど、
事実は、
全然そんなことなかった。


何を
勘違いしてたんだろう。


意地悪だけじゃなく、
ちゃあんと、
優しくされてもいたじゃん!


この世界は
不公平じゃなかった。

この世界は
私にも公平だった。


私は等しく愛されていた。
  ・
  ・
  ・

ただただ涙がだーーーーっと。

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大変なこともあれば、

楽しいこともある。

これ、
いたって普通のことよね。


そう、
いつだって両面があるんだよね。


それが見えなくて、
何かを憎んでいるだけの
状態では
実は、
自分が一番傷ついてた。

だから本当に苦しかった。


ただね、
私がここで伝えたいのはね、

病氣は悪くない!

病氣など悪いことの
いい面を見ましょう!

ポジティブシンキングで
いきましょう!

ということではないよ。

↑↑↑↑↑↑↑
ここ、誤解しやすいところ


そうじゃなくてね、

なんだって
いい面も悪い面も
どっちも同じだけあるよ、

どっちにも偏ってないよ、

ということなの。


私の場合、

息子の病氣は
私(と息子)の自由を奪う
面がある

それと同時に

息子の病氣は
私(と息子)に自由をくれている
面がある

ということ。

光


さて、
このワークで
人生の大発見をしてから7年。

緩やかだけれども、
息子の病氣は進行。

昨年まで
階段を這って登れていたけど、
今は登れない。


治療法が見つかるまで
せめて
進行をゆっくりにできれば、
と思って、

私はこの7年間、
手当たり次第に(笑)
からだのことや心のことなど、
いろんなことを学んだり、
やったりしてきたのだけど、
いやいや学んだわけではないの。

私自身が興味があって
学んだことだったの。

息子のためという
大義名分があって
学びやすかった。

息子の病氣のおかげ。

そして、
病氣が治らないからこそ
いろんなことを学べた。

その分、
時間もお金もかかった〜!!笑
(時間もお金もかけているものが
 自分にとって大切なもの、
 という法則どおり)

病氣がわかってから
辛いことは多かったけど、
でも、
私が得たものも本当に大きかった。

か弱かった私も
ちょっとやそっとじゃ
へこたれなくなったしね(笑)


その経験が、
息子以外の方たちの
役に立つようになってきててね、

私が得てきたものが
どなたかの元氣のお役に立ち、
そのかたの元氣が
さらにその周りへと波及していったら
とんでもなく嬉しいなぁぁぁぁ
と思うようになり、

それが
私の使命なのかもしれないと、
大それたことも感じていたり♡。


病氣の被害者のままだったら、
こんな世界は見えてないだろうな。

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あなたの目の前に起こることは、
間違いでもないし、
無駄でもないし、
あなたをいじめるものでもないし、
ましてや、
あなたが悪いからでもないよ。

あなたが被害者のように
思っていることがあれば、
それは
あなたにとって
とっても大切なことに繋がっているかも。

でもね、
渦中にあると、
自分ではそれがわかりにくいの。
(経験者談w)

だから、
自分一人で頑張ろうとせずに、
ぜひ、
まわりの人の助けを借りてみて。

問いかけてもらって。

問いかけてもらうと、
ひとって答えを探すのよ。

私も喜んでお手伝いする♪

椅子からずり落ちそうになることが
見つかるかも!

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