見出し画像

奪われていたけどもらっていた自由・その3

<これはこちらの記事の続きです>

◆だって、○○ができない

これで病氣に対する見方が
ガラッと変わった
・・なわけない。

一つ見つかったくらいで、
私の筋金入りの
被害者満載の意識は
変わりませぬ(`_´)ゞ


病氣に自由を奪われているという
氣持ちはまだまだあった。


だって、
病氣のせいで
あれができない、
これができない、と
「だって、○○ができない」
でいっぱいだったのね。


例えば、
息子が当たり前のように
走って遊ぶこと。

息子は、
走るみんなにはついていけず、
自分のできる範囲のことで
参加してた。

少し離れたところで
にこにこ笑って見ていたり、

一人でドラえもんを読んでいたり。

本人は
それで別に
平気だったかもしれないけど、
私は辛かった。

息子は、
【ひとに合わせなくていい自由】
を得ていたのにね。


◆私は時間に縛られて窮屈だったのに

すでに書いたことだけど、

息子の登校の付き添いに
時間がかかるから、
そのあとに自分の予定を
入れていると、
それに間に合うかイライラしたし、

下校時刻には
戻って来ないといけないから、
用事を切り上げて
帰ってきたりで、

私は、
時間に縛られた窮屈さで
いっぱいだった。

時計3

愛に溢れる
優しいお母さんにはほど遠い、
自己中で文句ばっかりな私。


でも、
【遅刻する自由】を
もらっていたことに氣づいてから、
(まだのかたは前の記事
 お読みくださいね)

よくよく考えてみたら、
 ・
 ・
 ・

息子の送り迎えが大義名分となって、
遅刻しても
責められることはなかったし、

氣の進まない集まりを
早々に抜け出せたり、
そもそも参加せずに済んだりして、

【好きなようにする自由】を
私はもらっていたことに
氣づいてしまった。


夕方早くに帰宅するから、
そこから夜までの時間に
余裕も生まれていたし。


さらには、
登校に付き添うため
うちを出るまでの時間に、
高速で家事を済ませる
段取りや時短のテクニックも
身につけてた。


時間に縛られた反面、
時間の余裕ももらっていたことに
氣づいたの。

桜

◆付き添っていたから得たもの

さらに氣づきは繋がる。

ゆっくりゆっくりと
一緒に通学路を進むあいだに、

「木の冬芽が育ってきたね」
とか、

「あ、梅の花が一つ咲いた!」
とか、

「こんなところにも
 セミの抜け殻があるよ!」
とか、

「こんなところで
 ボウフラがわいてる〜。
 ぎゃ〜!」
とか、

季節や自然を
一緒に感じて楽しむことも
できていたの。

画像3

さっさと歩いていたら
氣づかずに
通り過ぎてしまっただろう
いろんなことを、
私は息子と楽しむことが
できていた。

小学5年生ともなれば、
母親なんて見向きもしなくなる
時期なのにね。


それは、
遅刻する自由がもたらしてくれた、
私にとっては珠玉の時間だった。

(息子にとっては
 そうじゃなかったかもしれないけど、
 そんなことはどうでもいいの。
 私が幸せを感じる。
 これが私にとっての真実だから)


◆まだまだ探す

与えられていたものの大きさに
氣づいたとき、
愕然としてしまった。

奪われてるだけだと
思っていたのに、

こんなに大切なものを
与えられてもいたなんて。


そんなことあるはずなかったのに。


でもね、
ここに氣づいてもなお、

私の中には正直なところ、
まだ、
病氣のせいで
不自由になっている氣持ちや、
自由を奪われているという感情が
残っていたの。


まだ、
病氣の悪い面と良い面が
私の中で同じだけに
なっていなかった。

それほどまでに、
私の中には被害者意識が
積もり積もっていたのね。


なので、
さらに、
日々の様子をもっと丁寧に追って、
見落としているものがないか
探してみることに。

あまりに当たり前になっていて、
氣づいていないものが
あるかもしれない、と。


◆そして見つかったこと

え、こんなこと?
って思うようなことだけど、
そんなことでいいの。

小さなことも
たくさんまとまれば
大きな質量になるから。

挙げてみるので
探すときの参考にしてみてね。


学校の中でエレベーターを使う自由

先生や親と一緒という
条件はあったけれど、
エレベーターを使って
校内を移動できたの。

一般の児童は、
骨折でもしない限り、
どんなに疲れていても、
荷物が重くても、
階段を上り下り
しなくちゃいけなかったのに。

階段

しかも、
エレベーターから
一番近い教室になるように
配慮してもらっていて。

移動に時間がかかるという
縛りと同時に、
移動が短くなるような配慮
もらっていたの。
画像6


教科書を置いて帰る自由

うちで使いもしない教科書を、
なんで毎日重い思いをして
持って帰らないといけないの、
ってずっと思ってた。

上の息子もよく文句を言ってた。


でも、
息子は重い荷物を持てなかったので、
必要なものだけを持って
登下校することを許されたの。

そうすると、
できるだけ置いてきたくなるのが
人情(笑)。

頻繁に、
宿題に必要なノートまで
置いてきてた…


そういう時は、
別のノートの
一番後ろのページに宿題をやって
提出したり、
そのページをちぎって
本来のノートに貼ったりしてた。

残念なことに、
通知表には
「臨機応変で素晴らしい」
ではなく、
「忘れ物が多い」
というコメントだったけど!


ちなみに、
必要な時のために、
教科書はもう1セット買って
うちに置いてあったのよ、
一応ね。画像7


決められた上履きを履かない自由

小学校って
上履きが指定されていることが
多いよね。

画像4

色やデザインの好みや、
足の形の違いなど
個人の都合は考慮されずに。

でも、
上履きって、
履いたり脱いだりが楽だけど、
その分、
上履きの中で
足がグラグラしてしまう。

そのため歩きにくいという
理由から、
もっと歩きやすいスニーカーを
上履きとして
使うことができていたの。

もちろん息子は、
色も自分の好みのものを選んでた。

息子はここでも
自分の好みや主張を大事にする自由
をもらっていたのね。

そして、
私は
そういう息子の意志を
尊重するというサポートが
できていた。


だいぶ
「自由」が見つかってきた。


それでもまだ、
私の中には
被害者という感情が残っていてね、
(どんだけ〜!)

もらっている「自由」が、
通学に関しては
これ以上見つからなくて、
追っかけ再生する範囲を
さらに広げることに。

そして、
たくさんのことが
見つかってしまう。

>>>次の記事に続く


この記事をおもしろいと思ってくださったら、サポートしていただけると嬉しいです。すごく勇気づけられます♡ いただいたサポートでやってみたことが、次の記事を書くもとになります!