見出し画像

奪われていたけどもらっていた自由・その2

<これはこちらの記事の続きです>

◆私は奪ってない

ディマティーニ・メソッドでは、
問題となっていることを
いろんな面からみるため、
ワークシートに沿って、
視点の異なる問いに
答えていくのだけど、

最初の問いがこれ↓だったの。

あなた自身が、
いつ、
誰に対して、
自由を奪う行動をしましたか


そう問いかけられて、
まず
「は?なに言ってんの?」
って思ったよ。


私は誰かの自由を奪うなんて
してない。

私はこの病氣とは違う。

自由を奪われているのはこっち!

こう思ったよ。


でも、
ファシリテーターによると、

私が自由を奪われていると思うなら、
同時に
私が誰かの自由を奪っているはず
だというの。


誰にでも
すべての特性があることが
宇宙の法則だから、と。


「え、そうなの? ほんとに?」
と、自分の氣持ちと抵抗しながらも、

ファシリテーターから
探しかたのヒントをもらいながら
同じことを
なんども問いかけられてたら、

氣づき始めちゃったの。


あ、私、
両親の自由を奪ってたことあったな。
いっぱい我慢してもらった。
いっぱいやってもらってた。

私は
夫の自由を奪うことがあったな。
お互いさまだけど、
確かに夫を縛ることをしていた。


そして、
なんといっても、
子供たち。

自由にさせていなかったことが、
そりゃもう、
たくさん。

片付けなさい、だの、
食べなさい、だの、
起きなさい、だの、
寝なさい、だの、
お風呂に入りなさい、だの
もうお風呂から出なさい、だの。

笑っちゃうよね。

どんだけ
自由を奪っていたことか。

がっくり

親だから仕方ないんだけど、
でも、
こどもたちが
自分の好きなようにする自由を
奪ってはいたの。


病氣が私と息子の自由を奪う
って思っていて、
被害者意識しかなかったけど、
『げ、
 私も自由を奪ってた…のか。
 私、加害者でもあった…』
と、ちょっとざわざわし始めた。

画像1

◆自由をくれているわけがない

さらにワークは進み、

この問いに。

病氣が
どんな自由を
私たちにくれているか


こう問いかけられて、
まず
「そんなこと、あるわけない」
って思ったよ。

だから
「そんなのありません」
って即答。

でも、
そういう反応は想定内の
ファシリテーター。

辛抱強く、
問いかけ続けてくれたの。

「今、どんな自由をもらってますか」
って。


「毎日の行動を
 思い出してみましょうか。

 どこかで
 自由をもらっているはずですよ」

ってヒントを出し続けてくれた。


それでも、
「私が病氣から
 自由をもらってるなんて
 そんなのありえない」
と思ったよ。

「そんなのが見つかったら、
 被害者だったはずの私はどうなる」
という葛藤も
奥底にあったと思う。


被害者でいることは
私にとって甘い蜜だった。

自分の不幸に甘んじていられる
甘い蜜。

かわいそうと言ってもらえる
戦略。


ファシリテーターはさらに、

「なにを自由にやれていますか?」

「好きなようにやれていることは
 何ですか?」

「どんな強制を免れていますか?」

と言い回しを替えながら
問い続けてくれてね。


そしたらね、
おかしいことに、
悔しいことに(笑)、
ポツポツと見つかってきた・・・


◆通学に時間がかかっていたから

まずは、
【学校に遅刻する自由】

何それって感じよね。

一般的に、
遅刻っていいことではない。

ここ数年で、
登校する・しないとか、
登校のしかたとかに関する
社会の許容範囲や選択肢は
かなり広がってきたけど、
そのころはまだまだ。

でも、
息子には、
速く歩けない、
歩くのが大変、
という大義名分があったの。

頑張って歩いている子に、
「遅刻だぞ」なんて
言えないでしょ。

ルールを守らせることが使命
のような先生でも、
そこは諦めてくださった。

ただ、
遅刻としてはカウントされたので、
息子の通知表の「遅刻」欄には、
私がそれまでの人生で
みたことがない数字が記入されてた。

プレゼンテーション1

もちろんね、
車で送り迎えをするという手も
あったの。

車椅子にするという手も。

一般的には
車椅子に乗っている年齢だったしね。


でも、
その時はまだ歩けていたし、
私は歩くという全身運動が
とっても大事だと思っていたので、

時間を守ることよりも、
歩くことを
リハビリとして優先したいことを
先生方に何度も話をして
理解していただいたの。

走れば5分の距離を、
1時間かけて
ゆっくりと通ってた。

もっと早起きしたら
間に合わせることはできたよ。


でも、
もうすでに頑張って
かなりの早起きをしていた息子に、
それ以上の早起きを強いるなんて
できなかった。


「ルールは守るもの」
というがんじがらめの
枠の中で育てられた私が、
「ルールなんて」
になってた。

こういうことを見ていって、
私は氣づいたの。

自分たちの意志を優先し、
必要なだけゆっくり、
自分のペースで
登校することができてる。

遅刻する自由を得ていたんだ。

健常のお子さんからしたら、
ずるいって思えたかもしれないよね。

だって、
みんな遅刻しないように、
頑張って起きて、
支度して、
時間に間に合わせて
登校していたはずだから。

ルールよりも
『自分』を優先する自由を得ている

これは、
昭和という時代に
両親から厳しく育てられた
子供のころの私には
許されないような自由だった。

画像4

こうやって、
私は、
私と息子が
病氣からもらっていた自由に
氣づいてしまった。


そして、
これで病氣に対する見方が
ガラッと変わった
・・なわけない。

>>>次の記事に続く



この記事をおもしろいと思ってくださったら、サポートしていただけると嬉しいです。すごく勇気づけられます♡ いただいたサポートでやってみたことが、次の記事を書くもとになります!