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「批判」の解剖


 社会面でもプライベートでも、世の中で生きていく上で避けては通ることのできない「批判」

これを受けること無く生きられれば、どれほど楽だろうか。
しかし、これが無ければ世の中の技術や文明、更には自分自身の発展は起こり得るのだろうか、とも並行して考えさせられる。
 今回は、この「批判」という事象について私なりに解剖してみたい。

 まず、“批判”というものの定義として

良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること

https://languages.oup.com/google-dictionary-ja

とある。
ここでは、この定義に基づいて論じたい。

 現代で目立っている題といえば、SNSなどのインターネット上における“誹謗中傷”だ。
その中にも、筋の通った“批判”は存在する。

 例えば、フォロワー50万人以上のインフルエンサーが美容クリニックのPRとしてSNSで発信したとする。そのインフルエンサーを元々知っていて、よくSNSをチェックしているだとか、その方のファンであれば

「◯◯さん、かわいい!」
「私も使ってみようかな」

など、高確率で肯定的な受け取り方をするかもしれない。

しかし反対に、その人物を知らない人からすると、まず興味の有無という観点から判断することになる。

「この人、誰?」

例えばエジソンや大谷翔平選手など、どれほど名の知れた著名人であっても“その人の存在を知らない人”という人は必ずしも存在するわけで。

そのPRを含む投稿に対し、このようなコメントを残す行為自体はユーザーの自由であるため、これにおいては“批判”でも“誹謗中傷”でも無く「個人の意見・感想」になる。

ただ、人の好き・嫌いの観点から、

「この人、嫌い!」

などをコメントする場合は、同様に「個人の意見・感想」とも捉えられるが同時に「誹謗中傷」と受け取られる可能性があることを想像しておいたほうが良いだろう。

 次に、人物における認知度は関係無く、その人の行動や商品の中身に対して、受け手が判定する場合。“行動”というのはここでは「インフルエンサーのPR投稿」である。

SNS内での広告で有りがちなものが、

「モニターが足りてません!◯◯円分の商品券をプレゼントするので助けてください」

といった、人の慈悲の心を揺さぶってくるような宣伝動画。
これは個人的な意見であるが、このようなお店は10人、50人のモニターが来たとしても「足りてません!」と言いそうである。

 広告とは、その商品を売るためにより良く見せるための手段であるため、発信側が商品の“良い部分”を多く伝えるのはごく自然なことである。
故に、インフルエンサーがその美容クリニックを実際に利用し、肯定的な感想を言うことは何も悪いことでは無い。“胡散臭い”と感じられたとしてもむしろ“良い仕事をしている”のが事実だ。
 どんな仕事であっても、取引間で金銭的なやりとりが生じている以上は責任や制約というものは避けられない。その上で、発信側がどのような形で受信側に伝えるかは自由なのである。また、その発信された情報をどのように受け取るかは、受信側の自由なのである。

「継続して通ったけれども効果は無かった」
「1万円で済むと広告では謳っていたのにそれ以上の費用を請求された」

 このように受け手が自ら判断し、批評することは歴とした「批判」である。このような反対意見は、単なる“悪口”ではなくその経営を改善するためのヒントにもなる。
私は、経営者になった経験は無いけれど、「批判」をどう受け取るかによって、その事業が発展するかどうかということも変わるのかもしれないと感じた。

 簡単に変えることのできない既存の基準が膨大に存在するため、このような見極めは本当に難しい。

 また、個人的な考えであるが、
「5分で変えることができないもの」や「本人がその状態で納得しているもの」に関しては、わざわざ口にする必要は無いと思っている。
自戒を込めて例えると、体型的に太り気味な人に「痩せたら?」と直接伝えてもあまり効果は無く、ただ相手に不快な印象を与えるだけなのである。
良かれと思って伝えたのであっても、その本人が“痩せよう”と決意するまでは本当の意味では変わることはできないからだ。
生命に関わるドクターストップなどはまた別の話である。

 批判と誹謗中傷と、意見や感想。

 これらは区別されているようで、大きな集合体になっている。
人によって基準は様々であり、受け取り方も様々。
1つ言えることは、やはり受け手がどう感じたかという点は大きく影響するということ。

 今回の記事を書いていて私が感じたのは、人間関係において心掛けたほうが良いことは「他人から好かれるかどうか」や「他人を傷付けるかどうか」などではなく「いかに他人を不快にしないか」ということではないかということ。
最もらしく書き綴っている私も、実現できているかどうかは分からない。しかし、そう考えられる人間ではありたい。

 発展が生まれる“批判”が増えますように。

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