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「写真」をなぜ撮りたくなるのか


 私は写真を撮ることが趣味だ。そこで、人との会話の中で趣味の話をしたときに決まって訊かれることが

「何を撮っているの?」

ということ。

そりゃあ、“写真が趣味”という人がどのような写真を撮るのかは最も気になる点。

 ジャンルに分けると人物や風景、食べ物、ファッションなど細かく分類される。また、カメラの種類においてもデジタル一眼レフやフィルムカメラ、コンパクトデジタルカメラ、もしくはスマホなど、写真を撮るための手段も様々ある。

 私は主に、SONYのデジタル一眼レフとNikonのフィルムカメラとiPhone14を使って写真を撮っている。
一眼レフは旅行時のメイン機や友達とレンタルスペースを借りて撮影の練習をする際によく使っており、フィルムは日常記録用のような感覚。iPhoneは旅行時のサブ用とSNSに気軽に投稿したいとき用という風に、それぞれ使いたいシーンがあり、主に風景や人物を撮ることが多い。

 そこでふと、“何を撮っているのか”と人から訊かれた際に疑問に思ったことが

「自分はなぜ写真を撮るのか」

ということ。

 なぜ自分はその写真を撮りたかったのか。自分の目で見るだけでなく、記録として残る画にしたかったのか。
常に考えていそうで漠然としていたこの思考を深めてみるのも面白そうだと思い、今回の記事のテーマとした。

 まず最初に思い付いたのは、シンプルに「良いな」と感じたとき。

旅行先で見た自然や街の景色、建築物の美しさを瞬間的に感じたときに、記憶だけでなく記録として残しておきたくなる。
自分の目で見た記憶というものは、ずっと覚えていられるものではなく忘れてしまうことが多いため、長く記憶しておけるように“写真”という手段で記録しておきたいと感じる。

これはおそらく、自分のための行動。

 次に思い付いたものが、人と共有したいと感じたとき。

いわゆる「シェアハピ」。ポッキーみたいな気軽さで、この“物”や“人”の良さを広めたいなと感じたときにも写真を撮りたくなる。

1つ目の理由と通ずる部分もあるが、旅行先で見た綺麗な景色を自分で覚えておくというためだけでなく、そこへ行っていない人にもこの感動を少しでも伝えたいときにシャッターを切ることも多いかもしれない。お土産のようなもの。

 個人的に、私はこの理由が大半なのかもしれない。人に喜んでもらえたときが自分も1番嬉しいからだ。それが自分の力によって返された反応ならば尚更。

おしゃれなカフェで食べたスイーツや、自己表現をする人など、自分以外の人にもこの魅力が伝われば良いなと感じたときに、微力ながらも協力できればと思い、人に伝える手段として“写真”を撮る。

 どちらの理由にも共通するのは「感動」した瞬間だということ。
自分の感情が動いたら、どんなに些細なものでも撮ってみれば良い。
ただ、それはビジュアル的に綺麗だからというだけとは限らない。

家族で生活している一瞬を切り取ったものでも良いし、友達と遊んでいるときの一瞬でも良い。子供の成長記録としても、ペットの思い出記録でも良い。

“日常”を繰り返しているとどうしてもマンネリのような飽きはくる。そこで、新しい視点を広げるように“写真”を利用してみてはどうだろう。
普段気付いていなかった瞬間に気付くことができるかもしれないし、生活を少し丁寧にしてみようと思えるきっかけにもなるかもしれない。

 そうは言っても日々は忙しなく過ぎていくもので、余裕を持つことは意外と難しいのだけれども。

毎日じゃなくて良い。気が向いたときで良い。

1回“止まってみる”という行為は、停滞のように感じるかもしれないけれども実は結構大事なもので、歩き続けているうちに見落としていたものに気付けるきっかけにもなり得る。

自分が時々感じる焦燥感の正体はもしかすると将来への不安感なのかもしれない、と考えたとき、この“写真”を撮る行動は一時停止の役割となり、無意識のうちに助けられていたように思う。

目の前に映っているものを回避せず、向き合ってみる。
意外と見落としがちなこと。

 人が視覚から得る情報が半分以上の割合を占めるというのならば、出来るだけ綺麗なものを見ていて欲しい。
決してこれは現実逃避という訳では無く、綺麗なものが存在するということも現実だからだ。
おそらく、そうでないものを見つけることの方が簡単である。そちらのほうが多いからだ。個人的にはそう感じている。

そこで敢えて、難しいことに挑戦してみたいとも思う。

 自分自身が「良いな」と感じれば撮る、一見それは作業のようで、ちゃんと血の通った行動である。
そんな小さな動機で気軽にシャッターを切れば良い。

日々の小さな幸せにちゃんと気付けるように、時々カメラを片手に外へ出て視野を広げるのも面白いかもしれない。

「こんなものあったよ」

と、誰かに見せたいものがあるから写真を撮る。

私はそんな風に、日々発見を増やしていきたい。

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