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桜が舞う前に、大人に

お兄ちゃんは去年の5月、受験のために、かなえちゃんと別れた。それが功を奏したのか、希望していた京都の大学にストレートで合格した。

高校の終業式を終えてしまった今は、京都へ送る引っ越しの荷物をのんびりと詰めながら、時々手を止めて目を細め、空を眺めている。縁側には、薄く光る日差しと冷たい風がごちゃごちゃに入り混じる、春一番が押しかけて、雑誌をバタバタとめくりシャツを庭に吹き飛ばし、うっとおしいったらない。でも、焦ることなしに、のんびりと荷物を仕分けて、段ボールにしまう。

いい気なもんだな、とお兄ちゃんの様子を見ながら、私は奥の畳の部屋で、ふとんにはいったまま、二度寝をしそうになっている。

お兄ちゃんが出ていっても、地元で家業の佃煮屋さんを継ぐことになったかなえちゃんには、お店に行けばいつでも会える。二人がつきあっている間と同じように、今でも、私には話しかけてくれるしソフトクリームをサービスしてくれたりもする。なんで別れたのか、全然ピンとこない。ほんとうは、もうよりを戻しているんじゃないかと思うくらいだ。

「おい、すず」

「はいよー」

「これ、かなえに返しといて」

「自分で返さないの」

「お前毎週、佃煮屋にいくじゃないか。仲いいんだろ、頼むよ」

なんでかなえちゃんと別れちゃったのかなあ。一度も理由をきかずにいたのだが、今なら聞けるかもしれない。

「お兄ちゃん、かなえちゃんと別れなかったら、本当に大学受からなかったと思う?」

「だって、京都に行こうって思えないもんな。かなえを置いて」

「大学卒業したら、戻ってきて佃煮屋さんにならないの」

「え養子?跡取り?大学行くのが楽しみだから、そこまで先の事考えられない」

ぶわあああっと、また風が吹いて、遠くから佃煮を煮る甘い匂いがした気がした。

「楽しみでワクワクしているから、何も怖くないんだなあ。去年は三人で桜を見に行って、地面に寝転んでピンク色の中で泳いでいるようだった。あの思い出は私だけが、やけに大事に思っているのかなあ。わたしはまだ、4月になっても、小学6年生になるだけだからつまらない」

二人が仲良しでいてくれるなら、安心だ、とお兄ちゃんはいう。

かなえちゃんがいつも味見させてくれる佃煮の種類は、この10か月でどんどん変わった。新作はいつもかなえちゃんとかなえちゃんのお父さんが研究して決めているらしい。かなえちゃんは、これからも地元にいることになったけど、新しいことに挑戦をしていつもがんばっている。

私はおいしいおいしい、といって、いつも試食をするけど、本当は、お兄ちゃんにかなえちゃんの味を、お店に行って本人の目の前で褒めてほしいと思う。

お兄ちゃんだって、新しいことを勉強して、いい成績をとったときに、かなえちゃんに褒めてもらった方がいいのにと思う。

二人とも、そのことは考えたのだろうか。それに気づいていて、このまま別の人生を歩いていってしまうのだろうか。

恋人がいたこともないし、受験をしたこともない、私にはふとんの中で色々と想像をしてみても、全然わからない。

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