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他人の人生    ガスキ

他人の人生が好きです。

noteでスキしてくれた人の記事を読んでみます。

そこにはその人の人生の片鱗が、ともするとその空気感ごと、あたかも空気缶のように込められており、ひとたびパカリを蓋を開ければ、にわかにブワリ強烈な素敵パワーがわたしを押し返し、圧倒し、のけのぞらせ、それでも歩みを進めながらその雰囲気を浴びながら中を覗けば、そこに宿る幸福がお裾分けされることによって、わたしは心に穏やかなものを加算するのです。

長い上に、ダジャレとは、なかなか攻めてますね。
こんなことを自分で書くのも、攻めてます。
攻めてませんか?
これは、責めてます。

他人の人生は素晴らしいです。

そこには自分の世界とは全く異なる波長、カラーパレット、リズムがあり、缶を開けて中身を覗かなければ得られないも視野角、視座というものがあります。

他人の人生は素晴らしいです。

わたしはわたしの記事にスキしてくれた方の記事をとりあえず読んでみています。

わたしがnoteを始めた昨日、わたしの記事にスキしてくださった方々は、素敵な人生"缶"をわたしに齎しました。

わたしはその空気と中身の光を浴びて、成仏したのです。

などと書くと仏教関係の方に怒られそうなので訂正します。

心穏やかになり、静かなZENのような境地へと至ったのです…。

などと書くと禅宗関係者に怒られそうなので訂正します。

とにかく、よかったんだ。
それだけだよ。

抽象的な話をし過ぎですか?

勿論、わたしはわたしにスキしてくれた方の記事を紹介したいです。

それが素敵だったので。

ですが考えてもみてください。

"スキしたら自分の記事が晒された"

そう感じる方もいらっしゃるかもしれません。

中にはわたしが缶を開けてそれをスキすること自体「うおっ」となる方もいらっしゃるかもしれません。

だからわたしは、なるべく、たるたけ、わたしにスキしてくれた方の記事は紹介したくないのです。

それだので、抽象的な話をしましょう。

ひとの人生に触れるのは面白いです。

興味深いです。

時に感動があります。

大いに感慨があります。

ひとの日常には美しい花が咲いており、わたしはその花を見て綺麗だな思う。

だから世界は素晴らしい。

わたしはこの世界が大好きなのに、これだからこの世界はやめられない、病みつきだ!とわたしをもっとこの世界のファンにしたてあげる、末恐ろしきその手法!

まったく、忿懣やる方ないですよ。
とまるで激怒してるような表現を意図的に用いることでわたしのこの感慨では足りない体の芯に添加されたエネルギーを示そうとしましたが、それは失敗に終わりましたか?
それならそれで、学びを得ました。

この世界は素晴らしいです。
そして他人の人生は素晴らしいです。

願わくはこの感慨を以て普く一切に及ぼし我等と規範と皆共に求道を成ぜん。

本当に怒られそうだ…。
決して、断じて、悪気はありません。
なんならわたしは毎日空の教えについて考えその華の音キョーを誦じるほどには真面目ですから、許してください。許してくださいってば!

というわけで、他人の人生は素晴らしいよね、という話でした。
それを知ることは好ましいです。
素敵な人々よ、どうか果てなく栄え給え。
この世界と共に。

ララワでした。


いろいろと むつかしい デスね

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