読蜥蜴の毒読日記 24/5/18 ①
小説番外地 5
例えばこんなスタージョン 2
蟻塚とかげ@爬虫類館出版局
“Strike Three”
“Contact!”
“The Call”
by Theodore Sturgeon
のネタバレレビュー
5月19日 蟻塚とかげは文学フリマ東京38 F-36で
翻訳同人誌『天空精気体(エーテル・ブリーザー) シオドア・スタージョン怪作集』を頒布します。
「天空精気体 シオドア・スタージョン怪作集」爬虫類館出版局@文学フリマ東京38 - 文学フリマWebカタログ+エントリー (bunfree.net)
そこで発刊記念として再び、スタージョン短編全集第1巻から未訳作品
三作をレヴューします。
このスタージョン短編全集第1巻の魅力は、スタージョンが若き日に書いて没になったり埋め草的に新聞雑誌に掲載された若書きの作品が読めることです。
そういった作品は正直、スタージョンの才能が発揮されているとか、完成度が高いとか、そういうことはさすがにない。
ただ、凡庸な小話かコントの様な作品でも、これがスタージョンの作品だと思って読むと、その独特の刻印が見えるような気がしてくるのです。
それは気のせいだと言われたらそうかもしらんのですが(笑)
そこでそんな若書きの小作品三作をネタバレ前提でレビューします。
最後の落ちまで書きますので、お嫌な方はここまでのお付き合いで。
たとえばこんな作品をスタージョンは書いていました。
“Strike Three”
好きな女の子二人と二股をかけているんだけど、最近三人目の気になる女の子が出てきたんだ、どうしたらいい? と息子が父に尋ねます。
父は答えます。よくぞ聞いてくれた、わしも若いころ同じことで悩んだのだ、と。
父曰く、自分もAnnaとBettyという二人の女の子に気があった、そこで二人に声をかけ、その子たちのためにソネットを書き、送ったのだ。それが効いて二人と付き合うようになった。ただ、自分の詩嚢が枯れてしまったので、二人に同じソネットを送ったのだが。
ただ、それだけでは終わらなかった。ここでAnnaとBettyの共通の友人Celiaが急浮上してきたのだ。そこでまたCeliaにも同じソネットを送った。するとCeliaはソネットを読み「これはとてもよく書けているわ、これと同じくらいね」とバッグの中からAnna宛のソネットとBetty宛のソネットを取り出して見せたんだ・・・
本作の最後の段は「参考になったかな? まったくならない? そうだろう。この話でわかることはな――自分の答えは自分で見つけにゃならんということだ!」とヤケクソ感が満載で、まあ正直ひどいもんだと思います。
この作は売れなかったそうで、編集者からは“この作品のどこに筋が、読者の興味を惹くものが、意外な落ちが、オリジナリティがあるのか?“とのコメント付きで断られたそうです。まあ納得ですな。
ただ、本作の“女の子を口説き落とす決め手がソネットだった”というのはスタージョンらしい。編者の後記によると、スタージョン本人が高校時代ソネットを作りまくっては女の子に渡していたらしいのです。これはまさかの自伝作品なのでしょうか(笑)
“Contact!”
職場の相談役、マリガン夫人に元メガネっ子のPeggyが泣きつきます。
いい感じになっていたRoy Bellの様子が最近おかしい。三日前には自分をデートに誘いキスまでしたのに、それから自分に話しかけてこなくなり、変な目で私の顔を見るようになり、私と目をあわせなくなった、どうしてかしら…
そこでマリガン夫人がのりだし、Royに直接問いただします。
すると、Royが勘違いをしていたのが発覚します。三日前RoyがぼうっとPeggyの顔を眺めていると、彼女の眼が義眼だったことにRoyが気付いた、というのです。それでPeggyに気を使ったのだと。
そこでマリガン夫人が教えます。Peggyは夫人の忠告でコンタクトレンズというものを嵌めているのよ、と。
めでたしめでたし。
まあこのプロットや落ちへのコメントは差し控えます。ただ、肉体改造により、コミュニケーション不全に陥る恋人たちというテーマはスタージョンらしいな、と思います……そんなことない?
“The Call”
スタージョン作品とか言いながら、SFがないじゃないか、とおっしゃる方、お待たせしました。本作のネタはテレパシーです。
語り手が切り出します。あなたは30分もテレパシーについて話しているのに、テラパシーの実例をまったくあげない。私は実例を知っている、それを話そう。
それは新婚ほやほやのカップル、Bert ColleyとSelmaに起きたこと。ご主人のBertは会社に仕事に出かけ、奥様のSelmaは新居でお寝坊中。ところがおなかのすいたSelmaは寝ぼけ眼でフライパンをガス台にかけますが、ガスに火をつけないままでまた寝てしまいます。ガス台からしゅうしゅう漏れるガス!
そんなことをつゆ知らぬBertはタクシーを会社にはしらせています。ところが何故か嫌な予感を感じます。そして彼の頭の中でSelmaの声が聞こえてくるのです! 「Bert,Bert,帰って来て」と
そこでBertはタクシーをUターンさせ、自宅へ駆け戻る! 玄関を開けたらガスの臭い! Bertは慌ててガス台のガスを止めました。これこそテレパーシーでしょ。
それでSelmaは助かったのかって? 勿論、全然平気でしたよ。新居はエアコンディショニングが完備されてたので、一日中ガス漏れしたままSelamaが寝ていても全く平気だったの。
「だからこれはテレパシーの話で、ガスの話じゃないの!」
なんとも言いようがない落ちなんですが、カットバックを使って散々盛り上げておいて、実はちゃんちゃん、とという落ちをつけるという姿勢には、ジャンル小説のフォーミュラに対するスタージョンの批判精神を見て取ることが出来る、と無理矢理擁護しておきます(笑)。
以上の三作品は1939年に書かれています。
“なるほど幾ら鬼才とはいえ、若い日は凡庸な作品を書いていたのね”
とおもわれるかもしれませんが、同じ1939にスタージョンはあの傑作『ビアンカの手』を書いています。若書きだから凡庸である、とは言えないのです。
(因みに『天空精気体』に訳出した二作も1939と1940の同時期に執筆されています)
そして今レビューした三作についても、プロットや落ちを中心に紹介しましたが、実は一番特徴的なのはそのスタイルなのです。筋や結末が三文以下でも、あまりにも文章が特異なので印象に残る、若書き時代のスタージョンの、そこが特徴だと思います。
そしてそんな若書きのなかでも、埋草的ジャンルに埋没するのではなく、も少しスタージョンの特質が内容に反映された作品もあるのです。
それはまた後程レビューします。