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イスラム教徒になったから出来た私服の制服化

 【ビフォームスリムの頃】

正直に言うと、かつてアジアを旅していたころ、イスラム教徒の女性達のファッションにいい印象はまるでなかった。「あんなほっかむりして大変だよね」なんて思っていた。

インドに留学していた頃、あちらの女性達が着ていたパンジャビドレスは何枚も仕立てて楽しんではいたけれど、ムスリム女性の服装を真似しようなんて思ってもみなかった。というか、興味もなかったので、しっかり見ることもなかった。

しかも他のアジアの国から来たクラスメートと一緒になって、イランから来た学生の服のセンスや暑いのに毎日同じ服を着てくる女子学生を陰で笑ってた嫌なオンナだった。本当にアスタグフィルッラー(神様ごめんなさい)。

一般的なムスリマ(イスラム教徒の女性をこう呼ぶ)の服装は、髪の毛を隠す→ヒジャーブ(頭にスカーフみたいなものを被る🧕)、耳、首も隠して、長袖を着て、ロングスカートを履くというスタイルが多いと思う。

つまり、外から見えるのは、顔、手首から先くらい!人によっては手袋したり、顔を全部隠したりもある。私の夫の家族だとかの国の気候が暑いし、文化的な背景もあるのだろうけど、首も腕も背中までも結構出してたりして、本当に色々。もう、人の数だけ色々あるってくらいに違う。だから私みたいな改宗者は困るし悩む。どこがデフォルトなの?!と。

ちなみにカラダの線がはっきりと分かるのが良くないとされているので、スケスケやピタピタっとしたタイトなズボン👖もよくないとされているし、お尻がマルッと見えるような着こなしも良くないと教えられて、改宗したばかりの頃は「もーーーーー、なにを着りゃいいんだよーーー」と結構、キーーーーってなってたりもしていた。好きで改宗したくせに、ルールがありすぎる!って思ってた。早く、「ちゃんとした」ムスリムっぽくならなきゃ!みたいな焦りもあったのかもしれない。

【悩める中年】

イスラムに改宗したころ、流行に敏感なわたくしは(流されやすい、乗せられやすいともいう…)「ミニマリスト」とか「お片付け」「断捨離」にもハマっていたから(今もだけど)、その流れで「私服の制服化」ってことにも当然ながら行き着いた。しかも年齢的に「何を着ても似合わない!今までの服は全部ダメ!」という時代に突入していた。さらに、まだ子どもは小さかったから激しく汚されることもあるしで、やたらと「おしゃれに着こなす」的な本を片っ端から読んで服を断捨離しては買い、断捨離しては買いを繰り返してた。

【受け入れたら、見えてきた】

イスラム教徒になって数年、サボりサボりだけどイスラム教についてのお勉強もするし、イスラム教徒同士のお付き合いも増えたり、イスラム教徒である今の夫と結婚したりと自分の中に占めるイスラム度みたいなものが濃くなってきたのかもしれないが、イスラム的ルールに則った着こなしというのは、「実は楽チンじゃね?」ってことに気がついた。

例えば、私は子どもの頃からアトピー性皮膚炎が酷くて、みんなと同じように夏に半袖やノースリーブ、ミニスカートなどを着ることに抵抗があった。じゃ、長袖着りゃいいじゃん、って思うでしょうけど、昔は「みんなと同じがいい教徒」だったから、やっぱり半袖やノースリーブが着たかった。それにそういう服装が可愛いと思っていた。

でも、今はおばさんになって、他人の視線なんてある程度どうでもよくなったってこともあるし、「イスラム教徒なんで」というエクスキューズが出来て堂々と真夏でも長袖を着ていられる。

ボトムスも、「みんなと同じがいい教徒」の若い頃は無理して太い足を出してみたり、いかに細く見せるかに苦心したり、寒いのに生足で頑張ったり、は〜、何やってたんだかと今では思うが、当時は真剣だった(泣)。

ルッキズムに洗脳されて育った若い子は、見た目が命。(若い子だけじゃないけど…)イスラム教徒の今は、服を選ぶ基準もとにかく足とお尻が隠せる!!これが第一条件。服を選ぶのが本当に簡単になった。

こうなってくると、ほぼ一年中、「着るものは同じでよくね?」ってなってきた。寒ければ羽織りものを増やす、下に履くものを追加で調節すればよくなってきて、着るものがほぼ制服化されてきた!だから、洋服の断捨離もズバーっと進んだのだ!

イスラム教徒は1日5回お祈りをする。(私はさぼりがち…)その時に、ウドゥーといって、手や足を清めないといけないという決まりがある。その時にタイツ履いてたら全部脱がなきゃ洗えないし、ヒジまで洗うから腕まくり出来ない袖の服は着たくないし、首も洗うから、ハイネックだと洗ったあとが面倒だし…となってくるから、この条件に合わないものはどんどん却下されるというわけで、服の選び方がかなり変わった。(←ムスリマ向けに服を売りたい人はこういうことを要チェックすると売れる…と思う)勿論、お洒落のために面倒なことも厭わないという人もいるから、これはあくまでも私の基準。

【結果】

今の私の制服はロングスカート2枚とワンピース2〜3枚で一年を回している。あとはトップスを数枚。寒い今は夏も着てるものにセーターを重ねる。クローゼット(なんて持ってないけど、こう書いてみたかった…服は壁に立てかけるタイプのハンガーを利用している)がスカスカ。

去年、2回、突然海外に出る用事があったのだが、自分の荷造りは本当に感動するくらい簡単だった。なぜなら持ってる服がこれしかないから選びようがない(笑)しかも、この制服達は手洗いしてもすぐに乾くというタイプの素材で、小さくたたんでもシワにもならず、ちょっとよそ行き風にしたい時にも、使えるという優れもの(おばさん御用達のプリーツプリーズシリーズ)暑いアフリカでも、朝晩の気温差が激しかった冬のサウジアラビアでも大活躍だった。

流されやすくて、フラフラしがちな私には「自分で基準を作る」ってことが簡単じゃなかったのだけれど、イスラムに改宗したら、「ハイ、もうルールはこれこれこうですからね」と枠が与えられた方が楽になれた。

それは思考停止じゃないの?って思うかもしれない。私もそう思ってた。

しかし、どうしてそのような服装の規定があるのか、なんでその規定を守った方がいいのかということが、少しずつ分かってきて、イスラム教徒っぽい服装をすることのメリットや意味が私なりに理解出来るようになったことで、ただ闇雲にルールを守っているわけではないという状態になってきた。

さらに、頭にはヒジャーブを被ってしまうから、髪の毛の寝癖やセットが決まらないとか、そんなのどうでもよくなるという、ヒジャーブはフルタイムで仕事をしている私の強い味方である。

美容院でパーマをかけたり、髪を切る回数もものすごく減って節約になっている。だからたまに美容院に行く時はケチらずに色々やってもらって極楽時間を味わうようになったのも新しい楽しみ方だ。

時々、「被り物は家でも被ってるの?」って聞かれる。それは人にによると思う。私は夫や息子の前では被らないが、義兄さんとかの前では被る。誰かの家に行ったり、私の家だったり室内で、そこにいるのがムスリマだけのときは被らないときもある。

そして、ヒジャーブ被らないムスリマだって沢山いる。ヒジャーブ被ってないから信仰深くないとか、そういうことはない。同じように、ヒジャーブ被ってるからといって信仰深いというわけでもない。

ただヒジャーブをしてるとイスラム教徒だと簡単に認識される故、街の中で全く知らないムスリマさんと擦れ違う時に「アッサラームアライクム!」(あなたに平安あれ)と挨拶して笑顔を交わせる瞬間があるのだが、これってなんか素敵なことではないか?!って思う。やっぱり挨拶と笑顔っていい気分になるし、元気になる。

【誤算】

やはり、物事には一長一短があるものだ。イスラム教徒的服装は体型カバーに最適過ぎて、どんどんカラダが緩む=太る。

食べすぎても、服がゆるいので困らず、どんどん食べることが可能…。

せっかく断捨離、私服の制服化に成功したかのように見えたのだが、夫の姉達からたくさんアフリカンドレスを仕立ててもらって、どんどん服が増えつつある…。

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テーラーに採寸してもらって作ったものだから、極端に太らない限りは着れるし、デザインもどれも可愛いくて、これは断捨離できそうにもない。ただ着て行ける場所はあまり多そうにない。

以上が、私の私服の制服化の話。

最後までお読みいただきありがとうございました。









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