オーストラリア 大学2年生編 一時期ホームレスになる

前回書いたクソルームメイトと住んでいた家を離れ、大学近くに引っ越した私の家のオーナーはレンガ職人(レンガを積み立てる仕事)でかなりの収入がある模様。(←これよ、オーストラリアのお給料がいいと言われているのは。きちんとお金が払われる)

10年生(高1)で勉強をやめてから職人の道に行ったオーナーで寡黙ながら良い人だった(のだけどこれが最後に大どんでん返し)。

私がご飯を作ってあまりそうなら(これが重要で、作ってあげた、になるとお互い負担になる)分けてあげるとかオーナーも発泡酒を家で作っていたので、余計にできたら分けてくれたり最高のシェアメイトだった。

ある時、家族が家に来てローストビーフを作ると言う。私は当時なぜか牛肉を食べない生活をしていて、家族だけで楽しみなというと、君もここに住んでいるんだから一緒に食べよう、となった。
そしてローストチキンにしてくれると言うではないか。なんて優しいのだろう。

優しいお兄ちゃんだった。オーナーの好きな女の子も会ったことあるし、やっぱり恋心抱く人っていうのはワクワクドキドキが止まらないんだな、って側から応援したくなる人だった。

大学終わって家に戻ると既にディナーを食べ終えるオーナーがいて、私は夕飯を作りながら一緒にシンプソンズを観て、1日を終える。
職人さんで4時起きとかだから結果私も早寝(若干)早起きになる。なぜなら6時に起きると既に仕事に行っていて窓からの森の景色を独り占めしながら朝ごはんを食べられるから。ハタチそこそこの私には都会暮らしがしたかったけど贅沢って高級ブランドを買い漁るとか、高級レストランでご飯を食べるとかではなくて、自然を目の当たりにすることなんだと、41歳になった今は思える。

全てうまく行っていたのだけど、やっぱりシェアハウスにどっちかの友人、家族が泊まるとうまく行かなくなる時もある。私の場合はそれだった。

ある日、オーナーのお兄ちゃんが結婚することになって、独身最後のパーティー(Bachelor party)をどっかのバーを借りてするとのことになった。
めでたい、楽しんでくれと思っていたのだけど、そのパーティー後家にパーティー参加者ご一行で戻ってきて、もちろん私の部屋に入ってくるし、私のクローゼットにしまっておいた布団もバラバラにされるしで、再びのプライバシーの侵害!となった。なぜオージーは人の部屋に入るのが好きなんだ?

次の日、パーティーご一行たちはそそくさと朝何事もなかったかのように逃げていったのだ。
謝ってよ、って思ったけど他人に期待をしても無駄なので、私は出ることにした。
「I will be moving out by next weekend(来週末までには出るから)」
という置き手紙を置いてからマットレスとか机とかあったので、まずは貸し倉庫探しから。
当時はまだインターネットが発達していなかったので、イエローページ(街の電話帳)で番号を調べて車で持って行ける距離で探す。その日から借りられて1ヶ月90ドル。ってかこれなら、家なくても良くないと思えてきた。
とりあえずそこに重たくて嵩張る荷物を運び入れる。
その後は、新たに家探し。とりあえずすぐ入れる家を探したんだけど、入居した所が女2人のシェアハウスで私いれて3人のところ。3ヶ月くらいの予定で入居することに。
レンガ職人の家に戻り鍵を家に置いて、最後に「ありがとうございました」と置き手紙をする。最後、残念な終わり方だったけどあの窓が恋しいと思うんだからあそこに住めたのは良かったと今でも思える。

そして新しいシェアハウスに車で向かうんだけど、私はなぜかそこを好きになることはないと思っていて、それが的中する。2人が仲良いのは良いんだけど、会話もしてくれないし、心地が悪くて2週間で出た。

荷物は倉庫に入っているし、別にシャワーが浴びられればどこでも良いかーと思えてきて、私は少しホームレス生活をすることに決めた。変なところに入ってまたすぐ出るのは避けたかったから。
これは仕事探しにも似ていると思う。とりあえず見つかったから入社だと結局長く続かない。長く続くのが良いとは言わないけど、数ヶ月で辞めるのはお互い時間の無駄になる。

車があったのがありがたかった。車でも屋根がある生活って本当にありがたい。
車に着替えやシャワー道具をいれて、私は友人宅でご飯を食べてから大学のシャワー室を使わせてもらう。このシャワー室も『SHOWER』って書いてあるからシャワーなんだろう、って思ってたけど、まさか自分が使うことになるなんて大学1年の時思っただろうか。
大学のシャワー生活も何日か経ったら、その後友達も一緒にシャワーを浴びにくるようになった。若いって面白くて素晴らしい。
徹夜組はいるんだけど、静かになったキャンパスに徹夜をするわけではなくシャワー道具を持っているのはなんだか背徳感さえ感じるものだった。

車で寝るのは正直体が痛くなるから、今はできないけど、寝れれば良いと思って車の中で寝てたんだからやっぱり若いって素晴らしい!車は大学の駐車場に停めて窓をカバーして、椅子を倒して寝る。友達を頼れば良かったのに、と言われるけど友達の部屋だってもう一人泊まるスペースはないし、気を遣うストレスは昔から不要と思っていた私だったので、車生活もできたのかな。

家なき子生活が終わりを迎えるのは、友人が「あの家空くよ」と教えてくれたから。それからというもの、全てが紆余曲折ありながら好転していくのである。

つづく

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