きっかけのバトン

最近、「今の自分を作ってきたもの」を振り返る中で気付いたことがあって。

私が「お金の勉強」を始めたきっかけはカンボジアでホテルの運営に関わったから、オーナーにきっかけを貰ったから。だとずっと思っていたのだけど、

私は「お金の勉強」ともっと前にすれ違ってたという事に気付いた。

時は青春そっちのけでスーパーアルバイターをしてた高校生の頃、進路は心理系か国際系に進みたくて。
学力、内申は進路を選べないってことはないくらいで
先生は色々な進学先を提案してくれたけど、
唯一学費の問題で夜間学部に進学する事を決めた時。

ある先生に「亀井の価値観は今のところお金の問題が人生を占めてる。やりたい事がある亀井だからこそ、がむしゃらに働く事に時間を費やすだけじゃなくて、これから社会のお金の仕組みについてしっかり学んで欲しい。
と放課後の教室で2人きり、銀行と利息、投資について教えてくれた。

「一生懸命働いたお金、箪笥貯金にしてちゃ駄目だよ。」
と言われて興奮して帰ってすぐに銀行の利息を調べたのを覚えている。
しかしそこに出てきたのは1%にも満たない数字。

やっぱりそんな世界、自分には関係ないものなんだ。って、絶望を感じてまた何も考えずがむしゃらにバイトする生活に戻ってしまった。

大学生になって、高校生の時より増えた自由な時間もまた、全て働く事に費やした。

「バイトをしたら、働いた時間分のお金が貰える」
というより、
「寝てしまったら遊んでしまったら、働いてないその時間のお金がマイナスである」
というとても危険な思考にまで陥っていた。

そんなアルバイター時代にも、
ゆうきちゃんは好奇心旺盛、やりたい事を叶える人だから、今後きっと人に従うんじゃなくて自分で成し遂げて行くと思う。だから教えなくていい業務だけど、商売のお金の流れを知ることは今後のあなたの為になるはずだから。
と、お店の締め作業(仕入れや売上計算など)を教えてくれて、やらせてくれた人も居た。

勉強になるな、とは思ったけど、
自分ごととして入ってくるものは全く何も無かった。


あの時に、あの歳で、ちゃんとこの考え方の大事さに気付いて違う行動をしていたら、人生なにか変わってたかな?

と思う反面、その大事さに気付いて行動していたら
一文ナシで海外に出る決断なんて出来なくて、今の自分も居なかったんだと思う。

高校生、大学生の時にはちっとも響かなかったことが、
大学も辞めてからカンボジアに行って
「もう想像してた日本社会のレールには戻れないんだ」という気持ちがあったからこそ、きっかけは「ホテルの運営」だったけど、そのお金や将来に関する考え方が自分ごととして響いて、掴みに行けたんだと思う。

でも、掴めた自分のその下地には、確かに今まで出会って少しのエッセンスをくれた人の影響も少なからずあって。

人間って、人生って、本当に縁とタイミングでできてるんだな、って。

同じことを言われても、自分のタイミングによって違うことのように聞こえる。
時間が経って振り返ってみると、あの時にも聞いてたんだな、って点と点が繋がる。

結局いま振り返ってみると、海外の経験を持っていて、たくさんの人の話を聞いて寄り添う、という
高校生の時、国際系に進みたかった自分と、心理系に進みたかった自分のやりたかった事はある程度出来ていて、一片の悔いもない。

これを叶えるまでに、たくさんのきっかけを貰って、拾って、今がある。
本当に周りの人には感謝しかない。

だから、私のこれからのミッションは、
この貰ってきたきっかけをばら撒いていくこと。

誰かの人生を変える大きなきっかけを渡すほどまだ自分は出来上がった人間じゃないけど、

でも、自分が得てきたものはダダ漏れのように共有して、
それが未来に振り返ったときに、誰かの何かを変える本当に小さな小さな、記憶にも残らないくらいでも良いので、きっかけになれてたら、嬉しいな。

って、今はそんな風に思います。

あの時の先生。
あのあと、何も変わらないなこいつ、なんて思ってたかな。笑
あの時はもっと青春を大事にしたほうが良いとか、後から後悔するよ、とか、そんなこと言ってくる先生ばっかだった。そんなの分かってる。やっぱり何にも分かってくれないんだな、大人は。って思ってた。
でもああやって私のことを見て小さなきっかけをくれた先生もいたんだな。今になって気付きました。今は感謝の気持ちを伝えに行きたいし、教えて貰った事を、また誰かに伝えて行きたい。


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