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Vol.21 周りに頼ることを学ぶために私はフランスへ飛んだのかもしれない

bonjour! 毎週金曜日配信のフランス滞在記をお届けします🇫🇷

私たちがフランスへ渡ったのは去年のちょうどこの時期。
何だか本当、「これでもか!」というほど超絶いろいろあった渡仏(笑)。
今までは昔話を振り返っているように書いていたフランス滞在記ですが、最近では当時の感覚と連動して書いている感じがします。

今日は時間軸を整えるために、渡仏した時のことをもう一度振り返ってみようと思います。


・フランス大使館に私だけ呼び出される
フランス大使館へ家族全員で行ってビザの申請をした際、なぜか私の指紋だけ読み取れていなかったらしく、後日もう一度指紋を取るからと電話で呼び出しをくらう。友人からは「あぁやっぱりね、地球人じゃないから指紋とかないでしょ」などと揶揄されながら(笑)、出国を控えただでさえ忙しい夫に娘を託して朝一人で向かったフランス大使館。
せっかく東京へ来たのに、大使館の用が済むと後ろ髪ひかれながら速攻帰りの電車に飛び乗った。窮屈で酸欠状態。すごく不快な車内だったけれど、隣にいた20代くらいの女性を見ていたらなんだか懐かしい気持ちが押し寄せてきた。眉間に皺寄せて、吊り革に捕まり、窓の外を朧げな表情で見つめる彼女はまるでかつての自分のように見えたのです。
「子供が生まれてからすっかり忘れていたけれど、私、毎日こうして電車に揺られて職場に通ったよなぁ」。そんなことを考えていたら、窓越しに彼女とチラリと目があった。

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・関東に大型台風直撃&両親のお誕生日
夫がフランスへ経つと同時に関東目掛けて近年稀に見るビックサイズの台風がやってくる。フランスへ先入りした夫に「どうしてあなたが日本を離れると台風が来るのよ〜!」などとジョークを飛ばしながら、とりあえず長野県の実家に一時避難。
台風直撃の日は母の誕生日。母よ、やはりあなたは嵐を呼ぶ女・・なんてまたしても冗談を言っていたら、中央道も中央線の線路も断絶されて関東に帰る手段を失った。母は昔からなんだかこういうところがある。
この日、本当は横浜に出かける用があったがもちろん中止。非常用具のセットを確認していざというときの備えを済ませると、せっかくのお誕生日。楽しく母のお誕生日会をすることにした。ケーキと花を前に、母は少女のようにコロコロと笑い、いたく喜んでいた。

交通網の断絶は一向に解消されずに、とうとう11月になってしまった。
そうだ、11月は父の誕生日ではないか。ということで、盛大に父の誕生日パーティをして、70近い父にお誕生日帽子を被せ、くす玉まで割ってもらった(笑)。
こんなふうに誕生日を祝われたことはない、と父は大喜びで、・・あれ?もしかして、両親のお誕生日会をするために台風が来たのか?と思うほど、もうこの先こんなに一緒にいられることってないんだろうな、というぐらい長く濃い実家ライフを満喫した。

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中央道が再開。なんとか出国まで間一髪間に合った。
待ってました、と言わんばかりに、誕生日で英気を蓄えた父が立ち上がる。
彼の鶴の一声により車で茨城県の自宅へ向かうことになった。父は昔からなんだかこういうところがある。無事荷物をピックアップしたのち成田空港へ。ちょっと心許ないような寂しいような気持ちで両親を見送り、空港のロビーで安堵感に浸っている。
・・と、娘が「おしっこ漏れちゃった・・」。まさかの衣類全とっかえである。
まるで、一連のバタバタでやや影が薄くなっていた彼女の「私だってここにいるわ!」という主張のようだった。貴重な着替えを一セット消費し、もう着る日は来ないであろう先程までの服たちを何重にもした袋に入れ固く口を結び、晴々とした気持ちで再びロビーへ。待ち人を待った。

本来なら、先にフランス入りしている夫を追いかけて、母娘二人で渡仏する予定だった。けれど、なんとフランス好きの友人夫婦とお嬢さんが着いてきてくれることになって、経費削減のために直行便よりも安い上海トランジットに挑戦!
トランジットが難解だと噂される上海トランジットに超絶ビビりながら搭乗すると、幸運にも飛行機の隣席の漫画好きなフランス人(救世主)と仲良くなって、この経路に慣れている彼のアテンドでものすごくスムーズにパリに到着!ここまできたら大丈夫。夫がグルノーブルから迎えにきてくれているはずだから。


出国まではここ数年分の受難が一気に集中したではないかというぐらいのカオスっぷりだった。も、もうお腹いっぱいだ。ここからは楽しい楽しいフランス生活が待っている。


・フランス大雪で道路断絶
鼻歌まじりにパリのシャルル・ド・ゴール空港で携帯をWi-Fiに繋いでメッセージアプリを開いた・・ら・・!そこに写っていたのは謎の豪雪風景。
夫より近年稀に見る大雪が降ってパリに向かう高速バスはグルノーブルへ折り返してしまったらしい。電車の電光掲示板は赤色点滅文字ばかり。

またですか?また近年稀に見るレベルによる断絶ってやつですか?

がっくりと肩を落としていたら、心配して一緒にいてくれたフランス人救世主が電車のツアーデスクに掛け合ってくてて、鮮やかに状況確認をしてくれたのち、チケットの手配までしてくれたのです。(なんていい人なんだ・・!)。


・グルノーブルについたら家が水浸し
グルノーブルでやっと夫と再開。時間はかかったけれど、何とか滞在先のグルノーブルに到着。大きな海外サイズのベッドに横たわり、夢心地でいると、リビングから謎の爆発音と夫の叫び声。
「・・な、なんだ!?テロか!?」
びっくりして飛び起きて、恐る恐るリビングに向かうと、給湯器から水がジャージャー溢れ出している。どうやら、セントラルヒーティングシステム(※ヨーロッパの家では中央の給湯器で作ったお湯で全ての部屋を温める暖房システムがある)が壊れたらしい。


私が一体何をしたというのだ?


途方に暮れていても仕方がないので、ひたすら水を捨て続けると下の階の住民のアシストによって大家さんが来てくれた。状況を確認して「今日はホテルをとってそちらへ泊まってください」と大家さんが荷物をまとめてそそくさと帰ろうとした際、寝室に誰もいないことに気づいた娘が雄叫び。
「ママァーーーーーー!!!!!」


「Oh! Bebe!!!」
子供に優しいフランス人。車で荷物と一緒にホテルまで送ってくれたのでした。


あくる日、ニュースをつけるとこの時期、私たちが住むエリアをぐるっと囲むように洪水が起こっていることを知る。それが何かの象徴のようにも思えて、何かとんでもない時期に来てしまったのでは・・なんて感じていたことを、つい昨日のことのように思い出します。

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書き出してみると何だか受難続きのような私のフランス滞在。でも、何かトラブルが起こった時は必ず助けてくれる人が現れたり、何かしらのサポートが入っていたことも事実。

日本だったら何とか自分で凌いで、何とかできていたことも、ことごとく「降参です・・」と白旗をあげ続けた毎日。
でも、そうしたら有難いことに周りの人がどんどんサポートしてくれて、日本にいたとき、いかに自分があらゆることに対して独りよがりだったのか、よくわかりました。

このあとさらに、ストライキ、コロナと次々、近年稀に見る系のケースが続いていきます(笑)。私一人だったら「こんな時動いても無駄」と閉じこもるところですが、夫と娘はこういう時、動きます(笑)。
我を捨てて、周りに委ねざるを得なくなった時、初めは自分が壊れていく感じがしてとても辛い。けれど、そこを持ち堪えると奥で大きく開いてくる何かがあるということを、私はフランス滞在で学んだ気がします。

もし、自分が人生を作り上げている、という視点と同時に、人生の方が自分に語りかけているという視点があるのならば、私の人生は「フランスに行くことで周りに委ねることをちょっとは知りなさい」と語りかけてきていた気がします。

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フランス滞在が決まった当時、初めは「飛ばされた」という感覚でいて、
「育児疲労真っ只中、ただでさえしんどいのに、何故よりにもよって海外・・?」なんて思ったものですが、それが自分が数年前新婚旅行で初めて降り立った際に「いつかここに住んでみたい」と願った国、フランスだという点が心憎い。人生は本当によくできている。



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