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077. 奥の院の黒マリア|オーベルニュ編

bonsoir!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。
前号に引き続き、今号もLe Puyル・ピュイ-enアン-Velayブレで出会ったマリアについて。

前号では、街のシンボルとなっている大きな岩山の上に立つ赤マリアのことを書きましたが、今号では、その麓に位置するノートルダム・ド・アノンシアション大聖堂の中へと入って行きます。その中にいるという黒マリアに会いに行ったのですが、私がシンパシーを感じる存在はそのさらに先にいらっしゃったのでした。


まだキリスト教が広まる前の、土着の神様や地母神を信仰していた香りが残るLe Puyル・ピュイ-enアン-Velayブレという街。この街に入ってくるときにまず目を引くのは街の間を裂け目から隆起したかのような巨石の上で幼子イエスを抱く赤マリアの存在だった。赤マリアに導かれる、その足元にあるノートルダム・ド・アノンシアション大聖堂へと入っていくと、そこには有名な黒マリアがいる。

この大聖堂に入った時の第一印象が「何だかパレードみたい!」だった。まず私の目を引いたのが、ネオンライトに照らされた十字架。

いわゆるキリスト教的な荘厳な雰囲気の中に遊び心が散りばめられていた。そして、祭壇の真ん中にはどどんと黒マリア様の存在。

祭壇の真ん中にいらっしゃる黒マリア様

まるで色とりどりの惑星と一緒に遊んでいるような楽しい感じがした。この黒マリア様には十字軍の時代に持って来られたとか、エジプトのイシスに起源を持つとか、さまざまな説があるようだけれど、紫色の衣装の間からカンガルーのようにぴょっこりと顔を出す幼子イエスのキュートさから、全てのものをまるっと遊び心で包み込む母性という感じがした。

傷ついたイエスを抱く聖母マリア像の下には病を癒す石がある

黒マリア様の左脇には、寝転ぶと病を癒すという石があった。とても有名な石らしいのだけれど、その石の写真を撮っていない(笑)。私はこういう観光で抑えておくようなポイントをよく逃すのだけど、大体そういうところに当時の自分がハッとした感情や思い出が詰まっている(と、言い訳をしておく)。

慈悲に満ちた聖母マリアの表情

この時は石よりも、その傍で傷ついたイエスを抱く何とも言えないマリア様の悲しい表情の方が印象に残ったのだ。

さようなら黒マリア様

もうちょっとこの空間に佇んでいたかったのだけれど、当時3歳だった娘は怖い怖いと言って、早々に夫と退散してしまったので、黒マリア様にさようならを告げて名残おしくもこの場を去ることにした。

しかし、わたしは出口付近にもう一つの不思議な空間を見つけてしまい、中へ入るとそこにはもう一人の黒マリア様がいた。

もう一人の黒マリア

ここはとても不思議な空間だ。西洋的でもありながら、どこか仏教のような東洋的な印象も強く抱かせる。祭壇の中央の黒マリアは朱色の衣装をまとい、どこか仏教の菩薩を感じさせる。だけど、真ん中で抱いている幼子イエスは宇宙人というか、スターウォーズに出てきそうなロボットというか、独特の存在感を放っていた。そして先ほどのぴょっこりとお腹の中から顔を出していたイエスとは違って、堂々と、まるで母親を扇動するかのように膝の上に乗っている。

しかし、ここは静かすぎるほど静かだ。もしかして懺悔室なのだろうか。多くの人が囲みシャッターを切っていた先ほどの黒マリアのいる場所とは違って、この空間にはわたし以外誰もいなくて、ちょっと怖いなとさえ思った。そして、感覚的にここが奥の院だと気づいた。

ちょうど例の感染症が猛威を古い初めていた時期だったので、「どうか子どもたちの健康と平和をお守りください」と願って、しばらく祭壇の前に座ってじっと自分の感覚に耳を傾けていた。すると、「わたしが大事なことを見落としそうになった時にそっと教えてください」という二つ目の願いがふっと湧いてきて、それに対して「わたしは変わらず、ずっとここにいる。行きなさい」と黒マリア様が答えてくださった気がして、じんわりと心の頬をつたうものがあった。

それはまるで、わたし自身が母に一番言って欲しかった言葉を代弁してもらったかのようだった。

帰ろう。
家族の元へ。


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