114. お誕生日プレゼントは、むすめの卒園証書だった
bonsoir!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。今号はタイムラインを現在に戻して、昨日あった娘の卒園式のこと。偶然にも式の日程がわたしの誕生日と重なって、忘れられない一日となったのでした。
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2023年3月16日。
昨日は、娘の幼稚園卒園式。そして、わたしの誕生日でした。毎年わたしの誕生日といえば卒業式の周辺の日といった感じで、卒業や進級、春休みのどさくさに紛れて暮れていくということが常でした。なので誕生日当日が卒業(卒園)式というのは考えてみたら生まれて初めての経験。娘にとっては幼児期を終える日、わたしにとっては幼児のお母さんを卒業する日、という節目感もあいまって、何だかとても感慨深い気持ちで当日を迎えたのでした。
ちなみに、遡ること3年前2020年の誕生日プレゼントは、マクロン大統領からのロックダウン宣言だった。
それから急いで帰国し、コロナ禍に住み慣れた田舎から少し都会に大断捨離をしながら引っ越し。しかし、引っ越したはいいが幼稚園にも保育園にも入れず蜜月育児期間一年を経たのちに、満を持して4歳から幼稚園へ・・。
幼稚園に入るまでは永遠にも感じた長ーい時間が、幼稚園に入ってからは瞬く間に過ぎ去っていき、親としての気持ちが全く追いつかぬままとうとう卒園式だ。
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2023年3月15日・卒園式前日。
小さな幼稚園バッグを背負って胸元に名札をつけて出かけていく娘を下駄箱で見送る。「あぁ、この姿も見納めなのか」と思ったら切なくなった。明日には胸元に園長先生が作ってくださったコサージュをつけて、セレモニー用の綺麗な洋服を身にまとい、ちょっとお姉さんな顔でこの敷居を跨ぐのだろう。あーあ、こういう日常の姿として彼女をここで見送れるのはこれで最後なんだ…と思ったら込み上げてくるものがあった。
「え、あやさん。卒園式はあしただよ!?」
娘に見つかったらそんな風に突っ込まれそうだ。わたしは悟られないように、そっとその場を後にした。今日はどんな時間を過ごすのかな。
明けて翌日。
まだ新しく上がったばかりのお日様がまぶしい朝。早起きして美容師の友人宅に向かう。卒園式には着物を着ていくことにしていたのだ。
子どもがまだ赤ちゃんだった頃。
「よかったらこれ、娘さんの入園式に着てください」と人形作家さんから譲り受けた着物。しかし、入園時は忙しすぎて、袖を通さないままタンスの肥やしになってしまっていた。虫干しで着物と長襦袢が風にたなびくのを見るたびに、「結局入園式には着れなかったな、卒園式には着てみようかな…」という密かな思いをいつも胸に抱いていたのだけれど、やっと日の目を浴びる時が来た。
また、卒業証書授与の際に、証書を受け取った子どもの前に親が立つ、という演出があるとお便りに書いてあったのもある。せっかくならやっぱり着物を着て彼女の前に立ちたいと思ったのだ。しかしなんて心憎い演出なのだろう。主役はあくまでも子どもたちだけれど、「お母さん、あなた達の卒園でもあるのですよ」という意図を自分勝手にも汲んでしまう。
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朝の9時ちょっとすぎ。受付は9時半からなので門の前で待つのかな、と思ったらすでに門は開いていて、玄関の受付に立っている先生たちがわたし達を遠くから声をかけてくれる。せっかく人もいないので、と三脚を取り出し門の前で記念撮影をしようと夫が言うけれど、この後少し離れた駐車場に車を停めなくてはならないし、娘は早く中に入りたいしでなんだかソワソワしてきて、心ここに在らずという状態だった。ごめんね、夫。
カーテン越しに「おめでとうございます!」という声が聞こ、一人また一人と親御さんが遊戯室に入って来た。なんとなくいつもと違う雰囲気に談笑もできないまま開会の時間になった。園長先生の力作・スライドショーの上映に始まり、わたしはこの時点ですでに泣きそうなのだけれど、そんなところに園児たちが入場してくる。
泣かない。
まだ泣かないぞ。
入園時はあどけなかった子どもたちが胸に花をつけ、背筋と一緒に肩が少し上がって、少しぎこちない足取りで、前を歩くお友達と間をとりながらレッドカーペットの上を歩いていく。あぁ、もうだめだ。だめかもしれない。
時間は10時を回った頃でしょうか。いよいよ卒園証書授与が始まる。自分の子供が呼ばれるとその親も立ち上がり、レッドカーペットの脇に立った。立派に証書を受け取り、レッドカーペットを歩いて戻ってくる子供から「ありがとう」という言葉と共に卒園証書を手渡される。
時間は多分。10時半ごろ。偶然にも、ちょうどわたしが生まれた時間に差し掛かった頃、娘の晩になった。わたしは立ち上がり、レッドカーペットの脇まで歩いていく。
お辞儀を忘れないかな。
ちゃんと歩けるかな。
とソワソワして見つめるけれど、今日わたしはこの位置からは動けない。見守るしかないのだ。彼女が一歩一歩緊張した面持ちでこちらへ歩いてくるのを見ながら、「あぁわたしって本当にいつもこうやって心配して先回りしようとばかりしていたな」と思った。でも、堂々とわたしの前に立つ娘はちゃんと一人の女性で、びっくりした。そして嬉しさと切なさと寂しさと今まで味わったことのない感情が複雑に入り混じってものが込み上げて来た。幸いに、感情の処理が追いつかなくって、泣かずに済んだ。
「ありがとう」
小さな声で娘が言った。
「がんばったね」
自然と言葉が出た。
この場で頭を撫でて、抱きしめてあげたい気持ちをグッと引いて背筋を正し、自分の席に帰っていく彼女を見送った。持ち帰った卒園証書はずしりと重みがあった。
頑張ってこらえていたけれど、式の最後、お別れの言葉の時に歌ってくれた「ありがとうこころをこめて」が始まるともうだめだった。決壊したように涙が出てくるのだけれど、マスクで受け止めて真っ直ぐに子どもたちをみた。彼らの存在を本当に誇りに思った。
きっと小学校に行ったら楽しいことも思い出もたくさんできるでしょう。
けれど、今はこのまま。
新しい春の風が馴染んで行くまで。
複雑な思いのままでいたい。
娘、そして子供たちへ。
最高のお誕生日になりました。本当にありがとう。
心をこめて。
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