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元の世界には戻らない|回復期の重要性


ゆるデジタルデトックスもいよいよ大詰めで、今日から22時スタートの最後のPhaseです。

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デジタル・デトックスプログラムを組む上で、私が最も大事にしたのは『回復期』のフェーズ。

準備期を経て徐々にオンラインタイムを減らし、完全にオフラインの日を経たのちにやってくる、オンラインタイムを増やしていく「新月から満月に向かう」フェーズです。


そして立案段階でまず参考にしたのは禁酒や禁煙など、依存症の医療的な治療。
これらは、

・まず行動観察をしトリガーを突き止めること
・流されそうになった時の代替手段を考えておく

という【準備段階の設定】にはものすごく参考になりました。でも、私が求めるものとはちょっと違うなぁと思いました。そのとき、私がネットやデジタル環境そのものを断つ、ということは目的にしておらず、「適切な関係性を結び直してまた戻っていく」のを前提としていることに気がつきました。

また、高額な費用を払って宿泊リトリートに参加する、みたいなのも私が求めるものとは違うな、と思いました。そのとき、「デジタル・デトックスを大掛かりなハレのイベントではなく、ケのイベントとして日常づかいレベルに落とし込みたい」と意図している自分に気がつきました。


そうやって、これは違う、これも違う、というのを繰り返していくうちに、自分による自分のためのプログラムが出来上がっていき、そして、核にあった思いに気がついたのです。

『はい、スッキリしました。
 では、翌日から元の世界に戻ります』という、
コントラストのはっきりした変容を、私は求めていない。

ということ。


グラデーションを描くようにしていく変容の方が、心身への負荷が少なく、自分にはよくあっているのです。


そこで、元々12月25日の完全デジタル・デトックスデイをもって終了予定だったプログラムに【回復期】をつけて、来た道の逆の行程を歩むことにしたのでした。

登山をする時だって、山に登ったらそこから飛び降りて戻ったりしませんものね(笑)。来た道をゆっくりと降りながら地上へ戻りますよね。運動したらクールダウンが必要だし、ファスティングをする方は回復食をとりますよね。


そして今、回復期の最後にさしかかって感じるのは、元の世界に戻るわけではないのだな、ということ。

デトックスを経験すると、自分には想像できないほど多くの時間があったんだなということに気がつきます。そして、回復期にはその時間を「元のデジタル機器依存の自分に戻るまい」と、最初に設定した、デジタル機器を触りすぎているがゆえにできていなかったこと(読書や、丁寧に料理する時間や、散歩する時間などなど)で『埋めたく』なります。

回復期という下り坂を降りながら、そんな風に立てたスケジュールは、とても『充実』しているように・・・


見えていたことでしょう。以前の私ならば。


今の私の心の中にかすかには漂う、雲のような儚い感覚は

「生産性の高さで充実度を測ることはできないよ」

と訴えてくるのです。


そうです。

デジタル・デトックスを経験して手に入れたのは、本をじっくりと読む時間でもなく、手紙を丁寧に書く時間でもなく、丁寧に料理をする時間でもなく、散歩をする時間でもなく、良質で自然のサイクルにあった睡眠でもないのかもしれないのです。

車の中で鼻歌を歌ってしまう時間や、なんの匂いでも嗅いでしまう妙な癖、なんでもやたらとラミネート加工し始めるとか、そんな人様から見たらどうでもよく、なんの意味を持たない時間。


私が手に入れたのはそんな時間なのかもしれない。

そして、そのなんの意味を持たない、普段だったら無駄だと省かれてしまう、非生産的な時間の中に、ほんのり「個性」という香りを聞くのでした。


私が戻りたくない世界は、スマホやiPadに依存して生産的な時間を失う世界ではない。


なんにでも生産性を求めずにはいられない無機質な自分のいる世界なのだ。


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