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【ネタバレ】時代とは幻である――「ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉」レビュー&感想

競走馬を擬人化したコンテンツとして大人気を博し、2024年遂に劇場版公開となったウマ娘。名馬ジャングルポケットを主人公に描かれる本作は、「時代」とは何かを問う物語である。



1.時代とは幻である


ウマ娘達がレースを繰り広げる国民的人気スポーツ・エンターティメント「トウィンクル・シリーズ」。最強を目指す駆け出しのウマ娘、ジャングルポケットはある日、フジキセキというウマ娘の走りに魅了され自らもトウィンクル・シリーズにへと足を踏み入れる。ダンツフレーム、マンハッタッンカフェ、そしてアグネスタキオン――名だたるウマ娘がひしめく同世代の中、彼女は果たして己の最強を証明できるのだろうか?

2016年に企画が発表され、ゲームのリリースの遅れなどもありながら一躍人気コンテンツとなった「ウマ娘 プリティーダービー」。初のオリジナル長編映画となる本作の主人公・ジャングルポケットは日本ダービーやジャパンカップで優勝という輝かしい記録を残した名馬であり、そのデビューが2000年というのは否応なく私達に「時代」を意識させる。副題が「新時代の扉」となっているのも納得のところだろう。だが、ここであえて考えてみたい。「時代」とはなんだろうか?

一般的に私達がよく耳にする「時代」とは時間の区切りである。弥生時代、平安時代、江戸時代……区切りが変わる度に世界は大きく様相を変え、人々は先の時代では考えられなかった景色を目にしてきた。だが、実際に時代がいつ変わったのかは案外とあやふやだ。散髪脱刀令が出された瞬間から皆がざんぎり頭になったわけではないし、古き時代を忘れられない人が反動的に動いた事例は数知れない。歳を重る毎に私達が時代に追いつけなくなっていくのは、歴史にたらればは禁句と知っていても「もし、あの時」という思いに――幻に囚われていくためだ。

本作の主人公、ジャングルポケットの前に立ちふさがるもの。それは正しく幻である。2度に渡って自分に完勝し、今度こそ勝つと誓っていたはずの日本ダービーを目前にレースから去ってしまった同世代の強敵、アグネスタキオン……光子の如き圧倒的なその走りをまぶたに焼きつけられたジャングルポケットは、いかに戦績を重ねようとその幻を抜き去れない。日本ダービーにおける激走を目にした世間は彼女を時代の先頭を走るウマ娘と見なしているにも関わらず、当のジャングルポケット自身が新時代を見つけられないねじれがここには生じているのである。

時代を作るのは実績ではない。現実でもない。言ってしまえば、時代などというのは人の心が作り出す幻に過ぎない。では、どうすれば私達は新時代の扉を開くことができるのだろう?

2.時代とは幻である、それ故に


時代などというものは幻であり、ジャングルポケットは己の中に住み着いた幻を振り払うことができない。だが、幻に囚われているのは彼女だけではない。

本作にはジャングルポケットとアグネスタキオンだけでなく、他に3人のウマ娘に大きなスポットライトを当てている。1人は長距離を得意とするマンハッタンカフェ、もう1人はジャングルポケットに比べるといささか押しの弱いダンツフレーム、そしてジャンングルポケットをトゥインクルシリーズに引き込む走りを見せながらも負傷引退を余儀なくされた先輩ウマ娘のフジキセキ……彼女達に共通するものもまた、幻である。

マンハッタンカフェが目指すもの。それは常に自分の先を走る「お友だち」と称するイマジナリーフレンドに追いつくこと。すなわち彼女は常に幻に向かって走っている。
ダンツフレームが目指すもの。それはアグネスタキオンやジャングルポケットに打ち勝つ自分である。己に彼女達ほどの才がないと知りながら、すなわちそんな自分が幻と知りながらもダンツフレームは幻を追いかけている。
そしてフジキセキもまた、引退とジャングルポケットのダービー優勝で新時代の到来を明確に感じながらも己の内に湧き上がったのは走り出したい衝動であった。妹弟子であるジャングルポケットがダービーで優勝してくれても彼女は自分が優勝する幻を振り払えず、結局は現役復帰を決意した。

時代などというものは幻に過ぎず、人は幻に囚われ時代についていけなくなる。ジャングルポケットが陥ったのはそういう落とし穴のはずであった。だが、マンハッタンカフェを始めとした3人にとって幻は壁ではない。むしろ永遠にたどり着けない幻の希求こそは彼女達の原動力であり、推進力であり、走る理由になっている。幻に過ぎないのなら時代に意味は無いのか? 否。幻に囚われれば人は時間に追いつけなくなっていくのか? 否。実績や現実でしか時代を見ない者は単に時代に流されているに過ぎず、そんな者に時代は切り開けない。「新時代の扉」は開けない。

フジキセキの再起がジャングルポケットに与えた気付き。それは幻は恐ろしいものだが否定すべき存在とは限らないということだ。なら、負けず嫌いの彼女にとって幻ほど心強い強敵は存在しない。自分を早く走らせてくれる者はいない。世紀末覇王とも呼ばれる最強ウマ娘・テイエムオペラオーを始めとした世界中の強豪ウマ娘が参加するジャパンカップで、自分こそ最強という言葉がたやすく幻となるその場所で、だからこそジャングルポケットは己の見ていた幻を突き破る。アグネスタキオンにはもう二度と勝てない、自分は最強になれない……その先にある「自分こそ最強」という幻を追いかけ、自分を呪縛する幻を振り払う。それは足の負傷から「ウマ娘の可能性の追求」という夢=幻を物分かりよくジャングルポケットに託したつもりのアグネスタキオンをして、自分がそこにたどり着かねば意味がないという新たな幻……いや、見ないふりをしていた本物の幻に取り憑かれずにはいさせない走りであった。足を止めさせるのも幻なら、再び走り出させるのもまた幻であったのだ。

時代を作るのは実績ではない。現実でもない。言ってしまえば、時代などというのは人の心が作り出す幻に過ぎない。だが、時代とはそういう見果てぬ幻の先に姿を現すものではなかったか。
ジャングルポケット達が切り開いた新時代の扉。それは走り続ける者だけが開くことを許される幻の扉なのである。

感想


以上、映画ウマ娘のレビューでした。ウマ娘は全然触れてこなかったコンテンツでして、正直なところこの映画も当初はスルーする予定でした。が、ファンアートで見かけるウマ娘としてのアグネスタキオンは妙にアンテナに引っかかる部分がありまして。その彼女がスクリーンに登場する本作は、私がウマ娘に触れる最初で最後の機会なのではないか。そんな気付きに加えて諸事情もあり、他にも映画が公開される中で初週に足を運ぶこととなりました。
おかげさまで良い体験ができたように思います。副題に違わぬ映画でした。

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