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〜第5章〜 アルバム全曲解説 (22)D面-5 In the Rapids

歌詞はこちら

いよいよ、ストーリー完結の曲です。必死の思いで助け出した兄の顔を見たら、それは自分の顔だったという最後の結末が歌われる曲です。



【テキスト】【歌詞】とその内容

曲は、ドラマチックな内容が歌われる割に、全体として穏やかなムードで統一されています。特に前半は、まだ急流の中で兄ジョンを助けようと奮闘しているレエルのシーンです。

At first he is thrown onto the rocks, and pulled under the water by a fast moving channel, which takes him right past John, down river. Rael manages to grab a rock, pull himself to the surface and catch his breath. As John is carried past, Rael throws himself in again and catches hold of his arm. He knocks John unconscious and then locking themselves together, he rides the rapids into the slow running water, where he can swim to safety.
最初は岩の上に投げ出されたが、速く流れる水路に引っ張られて水中に潜り、ジョンのすぐ横を通り過ぎ、川を下る。レエルは何とか岩をつかみ、水面に体を引き上げ、息を整える。ジョンの横を通り過ぎると、レエルは再び飛び込み、ジョンの腕を掴む。レエルはジョンを気絶させ、そのまま体を密着させ、急流に乗り、安全に泳げるゆっくりな流れの場所にいく。

【テキスト】

歌詞も冒頭からかなりゆったり歌われているのですが、描写は急流にもまれて兄を助けようとするシーンなのです。

Striking out to reach you
I can't get through to the other side
When you're racing in the rapids
There's only one way, that's to ride
君に届こうと奮闘しているのに
向こう側にたどり着けない
君が激流を下っているとき
道はただ一つ、流れに乗るしかない

【歌詞】

But as he hauls his brother's limp body onto the bank he lies him out and looks hopefully into his eyes for a sign of life. He staggers back in recoil, for staring at him with eyes wide open is not John's face -- but his own.
しかし、ぐったりとした兄の体を土手に担ぎ上げると、彼は兄を横たわらせ、生きている兆候を期待して目を覗き込んだ。彼は反動でよろめいた。目を見開いて彼を見つめるのはジョンの顔ではない-- 自分の顔だったからだ。

【テキスト】

そして、歌は Verse 2 から徐々にテンションを上げていき、【歌詞】の最後に叫びのようなピーターの声でこう歌われるわけです。

Hang on John
We're out of this at last
Something's changed, that's not your face
It's mine, it's mine!
がんばれジョン
僕らはやっと抜け出せたんだ
でも何かが違う、これは君の顔じゃ無い
僕の顔だ! 僕なんだ!

【歌詞】

こうして【歌詞】は終わるわけですが、【テキスト】にはこの続きが存在します。

Rael cannot look away from those eyes, mesmerized by his own image. In a quick movement, his consciousness darts from one face to the other, then back again, until his presence is no longer solidly contained in one or the other.
レエルはその目から視線をそらすことができない、 彼自身のイメージに魅了されてしまったのだ。一瞬の動きの中で、 彼の意識は一方の顔からもう一方の顔に移り、そしてまた戻る、 彼の存在はもはやどちらか一方にしかない。

【テキスト】

In this fluid state he observes both bodies outlined in yellow and the surrounding scenery melting into a purple haze. With a sudden rush of energy up both spinal columns, their bodies, as well, finally dissolve into the haze.
この不安定な状況の中で、彼は二人の身体が黄色く輪郭を描き、周囲の景色が紫のもやに溶け込んでいくのを見る。突然、両方の脊柱にエネルギーがみなぎり、2人の体もついにもやの中に溶けていく。

【テキスト】

こうして、兄を助けたはずなのに、助けたのは自分自身だったというストーリーが完結するわけです。結局兄ジョンとは、レエルのもう1つの人格のことだったわけで、異なる2つの人格が統合し、「紫のもや(purple haze)(*1)」に包まれて消えていくというラストシーンなのです。

そして【テキスト】の最後、結びとなる文章がこれです。

All this takes place without a single sunset, without a single bell ringing and without a single blossom falling from the sky. Yet it fills everything with its mysterious intoxicating presence. It's over to you.
これら全ての出来事は、一度も日が沈むことがなく、一度も鐘がなることもなく、一度も空から花びらが舞い落ちることもない刹那に起きたことだ。それなのに、その神秘的で陶酔的な存在感は全てを満たす。次はあなたの番かもしれない。

【テキスト】

こうしてストーリーは終わるわけです。結局最後レエルはこの後どうなるのかについては、何も触れられていないわけですが、この雰囲気から考えて、作者は、ハッピーエンドを意図していることは間違いないと思います。つまり、「我らがヒーロー」レエルの魂は、長い旅の末に救われたということなのです。そしてこれは、ステージ上と普段の人格の落差で悩んでいたピーター・ガブリエルが、自己を投影した希望的な結末だったのかもしれませんね。

そして最後の、 It's over to you. です。この最後の1文は、上では「次はあなたの番かもしれない」とちょっと意訳しましたが、もともとは、「あなたの身の上にも同じ事が起きる」というような意味でしょう。つまり、レエルの冒険のようなことは、誰にでも起きうるのだというような表現で締めくくられているわけです。


結局このストーリーは何だったのか?

このストーリーは、社会のアウトロー的な人物だったレエルが、様々な精神の旅を経て救われるという一種の神話、Hero's Journey だったわけです。基本的にはハッピーエンドのストーリーなわけです。

そして、実際に主人公、「我らがヒーロー」レエルは、死んだのか、その後はどうなるのか等については、作者は敢えてその部分を記述せずに残しているのだと思います。映画や小説でも、一応の結論までは記述して、その後はそれぞれの人の考えに委ねる的な作品はよくありますよね。この物語がまさにそれだと思います。そして、ここまでわたしの記事を読んできていただいた皆様は、もうすでに皆さん個々人の感想をお持ちではないかと思います。それで良いのです(^^)

以前、 Fly on a Windshield の場面で、わたしは、「この場面ではまだレエルの肉体は死んでいないのではないか」と書きました。ライブ前半のピーターの【MC】などでも、その辺を敢えて曖昧にするような表現がされていたはずです。でも、この解釈はやはりわたし個人のもので、それ以外の解釈もいくらでも許容されるわけです。

つまり、レエルの死は、Fly on a Windshield で雲の壁に飲み込まれた瞬間だったとしても、その直後の事だったと解釈しても、そのしばらく後だったとしても、それどころか、レエルは最後に死なずに、ニューヨークで再び目覚めるのだという解釈ですら否定されていないと思うのです。そして、死後転生するのか、神の元に召されるのか等などについても、物語を味わったリスナーが、それぞれ感じ、考えれば良いのです。それが、The Lamb Lies Down on Broadway なのです。

ただ、一方でピーター・ガブリエルはこんなこともインタビューで言っているのです。

Gabriel's interview in March 1975 also points to an interpretation that goes in the direction of a cosmic vital energy such as the "qi". The singer mentions that he personally does not believe that Rael is dead at the end. Rather, he goes through the "cosmic juice".
1975年3月のガブリエルのインタビューでは、「気」のような宇宙的生命エネルギーという解釈も示されている。この歌手は、個人的にはレエルが最後に死んだとは思っていないと述べている。むしろ、彼は "宇宙のジュース "の中にいるのだ。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

また作者本人がこういうことを言うのでややこしくなるのですが、やはり当時のピーターは、ある特定の思想、つまりチベット密教の影響を相当受けてこのストーリーを書いたのだと思わせる発言です。( "宇宙のジュース "の状態を経て、いずれ転生するのだから「死んでないのだ」と言外に言っているようにわたしは感じます)もしかすると、リリース直後の時点では、物語に深みを与えるために敢えてこういうことを言ったのかもしれませんし、personally(個人的な)と敢えてつけ加えられているのは、作者としてではなく、一読者として、許容された様々な結論のひとつを敢えて披露したものではないかとも思うのです。ですから、肉体の死を生命の死と捉えてる人には、最後レエルは死んだのだという解釈でも何ら問題ないのだと思うのです。


【音楽解説】

マイク・ラザフォードはこのアルバムではMicro-Fretsの6弦ベースとダブルネックとなっていた12弦ギターを多用していましたが、この曲では敢えてリッケンバッカーのセミアコースティックの12弦ギターを使用しています。その12弦ギターのゆったりとしたストロークでスタートする曲です。ピーター・ガブリエルの歌も、歌詞の内容に反して抑え気味に始まり、[1:30〜]のVerse2で、ジョンを助け上げるシーンから徐々にテンションを上げはじめ、最後の「助けた兄は自分だった」のパートを最高潮にするというスタイルです。そして最後はトニー・バンクスのArp ProSoloistで出したポルタメント音で、本当のアルバムラスト曲 it につながるわけです。

かつての Supper's Ready のエンディングのような劇的な盛り上がりを欠いているのは確かで、これまでのジェネシスの方法論からすれば、これだけ長大なストーリーの最後に置く曲としては、ふさわしくないとすら思える楽曲です。

これはまたわたし個人の邪推の類いですが、ピーター・ガブリエルは、ストーリーのエンディングとなるこの曲では、これまでのようなジェネシス的方法論による盛り上がりを敢えて避けて、ストーリーの語り手としてボーカルの声のテンションだけで劇的な幕切れを作るというような意図があったのかもと勘ぐれるほど、これまでとは異なる楽曲なのですね。実際は、最後にもう1曲あるためにこうなったのかなとも思うのですが、結局この構成が、後にトニー・バンクスなどが繰り返し「強い瞬間が無かった」というアルバムD面の特徴ともなってしまったというわけです。

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【注釈】
*1:1967年リリースのジミ・ヘンドリックスの曲、Purple Haze(邦題:紫のけむり)が引用されています。Hazeとは、楽曲の邦題では「けむり」と訳されていますが、元の英語の意味は、人工的な煙ではなく、自然現象として発生する「かすみ」「もや」のようなもののことを指す言葉です。

*2:以前も紹介しましたが、比較的最近になってヒプノシスの会社の倉庫から発見されたピーター・ガブリエル手書きのストーリー資料 "Early Genesisyphian toil"(Headry Grangeでの打ち合わせの際にヒプノシスに手渡されたデザイン依頼資料の一部)には、もう一つのエンディングが書かれていたのです。その内容は下記のようなものでした。

In the ultimately unrealised ending, John drowns in the gushing waters, whereupon Rael passes through the portal-window to a meadow where he finds a large mirror. When he looks into it, the focus shifts to the reflection, his body becomes translucent, becomes reflection. Finally, Rael in this way leaves his physical barriers.
最終的に実現しなかったエンディングでは、ジョンは押し寄せる水の中で溺れ、レエルはポータルウィンドウを通って草原に行き、そこで大きな鏡を見つける。彼が鏡を覗き込むと、焦点は鏡に移った姿に移り、彼の体は半透明になり、反射となる。こうしてレエルは肉体的な障壁を超えるのである。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

結局いずれのエンディングでも、束縛のある状態から解放され、何か超越的な「最終状態」に昇華するイメージであることは変わらないわけで、ストーリー構想の最初期の段階から、この「ハッピーエンド」の結末はきちんと想定されていたということだと思います。ちなみにこの倉庫に眠っていた資料には、こちらのエンディングの記述の上に×印が書きこまれていたそうで、恐らくHeadly Grangeで手渡した際にはまだどちらにするか決めかねていた状態だったのに、後にこちらはボツという情報をピーターがヒプノシス側に伝えたのだと思われます。

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