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〜第5章〜 アルバム全曲解説 (23)D面-6 it

歌詞はこちら

いよいよアルバムのエンディング曲 it (*1)です。この曲は当初バンドメンバーはインストゥルメンタルと思っていたようですが、最後の最後にピーター・ガブリエルが歌詞をのせたため、メンバーと揉めたという曲です。



【テキスト】【歌詞】とその内容

ストーリーは前曲で完結しており、この曲の歌詞は、「 it は○○ 」 という言葉の羅列が中心となって構成されています。歌詞には全部で32の it が表現されているとされています(*2)

つまり、言葉の羅列ばかりで、ここから意味を見いだすのがたいへんに困難な曲なのです。

そして、この曲は、【テキスト】の一番最後の一文、

It's over to you.
次はあなたの番かもしれない。

【テキスト】

に対応した曲なのだろうと思います。

かつて日本版初盤LPのライナーノーツに、立川直樹氏は「舞台でだったら出演者全員が勢ぞろいして歌うにふさわしい "it" で幕となる大作"THE LAMB LIES DOWNON BROADWAY"」と書きました。この解釈も決して間違いではなく、本当にそういう場面の曲の体裁をとっているわけです。また、ピーター・ガブリエルは、当時傾倒していた、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の作品、ホーリー・マウンテンのエンディングシーンのようなものをイメージしていたのかもしれません。

もともとインストゥルメンタルだと信じて作っていたトニー・バンクスは、

The band simply couldn't work out what exactly they wanted to do here.
バンドは自分たちがここで何をしたいのかがはっきりしなかったんだ

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

と後にコメントしたようですが、彼らも何となくアルバム内の他の曲とは全く異なる、陽気なアップビートで、ストーリーのフィナーレっぽい雰囲気の曲を作ったのだと思うのです。ところが、さすがのピーター・ガブリエル、それだけではすまなかったわけです。

ピーター・ガブリエルが Headly Grange でヒプノシスに手渡した手書き資料 "Early Genesisyphian toil" の最後のページには、IT is warm, IT is growing, IT is untied, IT is here, IT is now, IT is RAEL, IT is REALという記述(このときはまだITは大文字だった)があるそうで、ストーリー構想の初期段階から、it が最後のメッセージとして考えられていたことは間違いないのです。だとすると、当初からピーターは、最初からエンディングのこの曲の内容を想定していて歌詞を載せるつもりだったのに、楽器隊との意思疎通がうまくいっておらず、トニー・バンクスらはインストゥルメンタルだと勘違いしていただけなのかもしれません。

いずれにしてもこの曲は、虚構であるレエルのストーリーが終わった後に、「次はあなたかもしれない」と投げかけて、「ストーリー内の様々な出来事、教訓が、あなたのリアルな人生の中で何か意味があるかもしれないよ」という物語の最後のメッセージを発すると同時に、リスナーを現実に引き戻し、「地に足を付ける」という意味があるのだと指摘されています。

これを文学的な用語で言えば、「脱神話化」という言葉で表現されることが多いようです。

歌詞は、The Light Dies Down on Broadway と同様に、三人称視点で書かれており、今度はもちろんピーター・ガブリエルの作です。それだけに、よりストーリーの本質に基づいた、比喩的、暗喩的な言葉が羅列されているのだと指摘されています。

さらには、it とは、フロイトが提唱した精神構造イド( id )と同一のもの、もしくは何か関係があるのではないかとか、またピーターが興味を持っていたESTセミナー(*3)との関連があるとか、Watcher of The Skies のコードと関連がある(後述)ということから、地球外生命体が暗示されているとか、はてまた、道教で言われる「気」(英語表記は"qi" 逆から読むと it に似てるとの主張…w)のような精神的な生命エネルギーを指しているのだとかとか、もう様々なことが言われてきているのですが、さすがにこの辺りの議論になると、ついて行けません(笑)

まあそこまで深掘りせずとも、一般的には、虚構の世界に浸った読者・リスナーを、現実世界に戻すという役割を負った曲であると理解すれば良いのだと思います。そして、"it" とは何かと問われれば、絶対的なものではなく、リスナーひとりひとりの心の中で初めて形になり、実態を持つことになる「何か」のことであり、ストーリーの最後に It's over to you.  と呼びかけたことと同じ意味を持つ言葉であるということなのでしょう。


It's only knock and know all  But l like it の意味するもの

このフレーズは、曲のエンディングで、6回も繰り返されています。

It's only knock and know all
But l like it
ノックをすれば、すべてを知ることができる
でも僕はそれが好きだ

【歌詞】

日本語に訳すと、なんのこっちゃ?ではありますが、これがローリング・ストーンズのヒット曲、It's only rock'n'roll(but I like it)をもじったダジャレであることは有名です。ローリング・ストーンズのこの曲は、同名アルバムからの先行シングルとして1974年7月26日、ちょうどピーターの長女の誕生日にリリースされています。ピーターは Glaspant Manor と妻が出産した病院を往復する車のラジオでこの曲を聞いたに違いないと思います。これをピーターが後で引用したというわけですね。

実際良く聴くと、ピーターは only knock and know all と発音しているようではあるのですが、やはりこのフレーズですから、普通に聞くと  It's only rock'n'roll と聞こえてしまうんですね。つまり、彼はここで、「ノックをすればすべて知ることができる」なんて事よりも、そのまま It's only rock'n'roll(but I like it)と言いたかったのではないかと思うのです。ただ、それではあまりにもストレートすぎるために、こういうダジャレをひねり出したのではないでしょうか。この部分の意図については、いくつか言われているのですが、やはり、先の「脱神話化」という考えが主流のようです。要するに、深遠なストーリーを語ってきて、「次はあなたにも起きるかもしれない」といいつつも、一方でこれは音楽、「ただのロック」なんだぜ、みたいな現実をリスナーに印象づけるということなのでしょう。さらに、当時ジェネシスには彼らの歌詞の意図や背後をやたらと詮索する狂信的なファンが多くいたそうで、ピーター・ガブリエルは、そういうファンに対して「あまり深刻になるな、ただのロックだぞ」というメッセージを送ったのだという指摘もあるのです。

One has to bear in mind that at that time there were quite a few "faithful or devout fans" who believed that they could derive some kind of spiritual doctrine or at least philosophy of life from the lyrics of bands like YES, JETHRO TULL and also GENESIS.
当時、イエス、ジェスロ・タル、そしてジェネシスのようなバンドの歌詞から、ある種の精神的な教義や、少なくとも人生哲学を導き出せると信じていた「忠実な、あるいは敬虔なファン」がかなりいたことを念頭に置かなければならない。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

わたしは個人的に、メンバー、特にスティーブ・ハケットとトニー・バンクスがピーターと揉めた一番の原因になったのがこのフレーズだったのではないかと感じることがあります。だって、これまでとにかくピーター・ガブリエルの言う通り、意味が分からなくても彼が語るストーリーに併せて、メンバーは必死に真面目に音楽を作ってきたわけです。それが、Supper's Ready のときと同じく、最後の最後にインストゥルメンタルだと思っていたところに歌詞が載せられて、「またかよ」と思ったら、あろうことかその最後のメッセージが「It's only rock'n'roll のダジャレ」なんですよね。これだけ難解なストーリーで周囲を振り回してきて、最後の最後に「たかがロックンロールさ、でもオレはそれが好きだ」なんて茶化されると、真面目な人ほど「これまでのは、一体何だったんだよ(怒)」となっちゃうんじゃないかなぁと…. まあ個人の妄想ですが(^^)


【音楽解説】

前曲最後の、シンセサイザーのポルタメント音に導かれて、マイク・ラザフォードが The Who を彷彿とさせるような早引きコードストロークを披露します。そしてバックのフィル・コリンズの弾けるリズムに乗せて、ハケットとバンクスのギターとシンセがメインのメロディーをユニゾンで何度も奏でます。この、ハケットとバンクスがユニゾンでソロを弾くそのバックで使われる2つのコードが、  Foxtrot(1972年)収録のあの Watcher of The Skies 冒頭のコードの再演なのです。

ただ、トニー・バンクスは、曲のオープニングが不満だったとして以下のようにコメントしています。

…it starts off with a solo as the verse, which is a bit odd.
The basic riff is nice but it could have been better, we shouldn't really have started off with the instrumental.
ヴァースとしてソロから始まるが、これは少し奇妙だった。
基本的なリフは素晴らしいが、もっと良くできたはずだ。インストゥルメンタルで始めるべきじゃなかった。

The Lamb Lies Down on Broadway (Genesis 1974-1975): History of the Enigmatic Cult Album

ただ、この曲がいきなりな感じで始まるのは、制作時点で、D面が長くなりすぎているのではないかと感じていたメンバーが、短めの曲を作ったとされていて、いきなりインストゥルメンタルでメインメロディが出てくることは、制作時点では妥当な判断だったのではないかと思うのですが。

つづく

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【注釈】

1*:曲名の it については、「イタリック体の小文字で、最後にピリオドを打つのが正しい」という記述が海外の資料にありました。(noteはイタリック体使えないんですよね…)調べてみたのですが、日本版初版のLPでは、ジャケットの裏の曲名表記は「大文字のイタリック体(ピリオド無し)」、LP盤のセンターラベル部分は「小文字のイタリック体(ピリオド無し)」で、LP盤が収められていた歌詞が書いてあるスリーブでだけ it.(イタリック体) との表記でした。確かに、歌詞カード上の表記が、ピーター・ガブリエルの真意に一番近くて、ジャケットやセンターラベルは別の人が勝手にやったことだという解釈は成り立ちます。ここでピリオドを敢えて打つというのも、何となく意味はわかるのですが、この件もピーター・ガブリエル自身が後に「これが正しい」みたいな話をしていないようですので、そこまでこだわらなくても良いんじゃないでしょうか…。

2*:数えてみました(^^) 

  1. cold

  2. warm

  3. here

  4. now

  5. cooking in your town

  6. chicken

  7. eggs

  8. in between your legs

  9. walking on the moon

  10. jigsaw

  11. purple haze

  12. never stays in one place

  13. not a passing phase

  14. in the singles bar

  15. in between the cages

  16. always in a space

  17. here

  18. now

  19. has no home

  20. hope and dope

  21. shaken, not stirred

  22. inside spirit

  23. here

  24. now

  25. real

  26. Rael

  27. only knock and know all

  28. only knock and know all

  29. only knock and know all

  30. only knock and know all

  31. only knock and know all

  32. only knock and know all

here と now がそれぞれ3回、only knock and know all に至っては6回出てきてまして、これを全部足せば32個です。もちろん、歌詞の中で目的語として使われている it は除外する必要があります。32といえば、The Chamber of 32 Doors でも解説しましたが、ユダヤ教のカバラ由来の数とされているものですね。ただ、本当にピーター・ガブリエルがここまでこだわったのかどうかは謎です。

3*:ピーター・ガブリエルは、1975年のジェネシス脱退直後に、チャーターハウスの級友であり、Foxtrotツアーまでジェネシスのツアーマネージャーを務めたリチャード・マクファイルとともに、EST(Erhard Seminars Training)というセミナーに参加しています。このプログラムは、60年代のヒッピームーブメントの際に提唱されたヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントをバックグラウンドに開発されたもののようですが、後に一部からマインドコントロールであるとか、カルトであると批判され、運営していた団体は1984年に解散しています。ピーターは、リチャード・マクファイルとその彼女、また妻のジルの4人でこのセミナーに参加したそうです。リチャード・マクファイルは自伝 My book of Genesis で「自分は多大な影響を受けた」と告白しているのですが、ピーター・ガブリエルがどのような感想を持ったのか、影響を受けたのかについては記述されていません。


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