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中学生のときに聴いた洋楽③1974年

 1974年、中学3年になって、いよいよ本格的にビートルズ以外の洋楽も聴き始めた年です。やはり73年からの洋楽豊作は続いています。特にこの年は、アバ、クイーンが初めてヒットチャートに登場した年でもありますね。またこの頃から日本でもソウルミュージックブームがあり、ディスコなんかがだんだんポピュラーになっていった時代だったと思います。まあディスコなんてプログレ少年には全く関係ありませんでしたけど(笑)

 時代的には、いよいよベトナム戦争が終わり、アメリカではニクソン大統領が辞任。ベトナム戦争の兵役拒否によりメダルを剥奪されたモハメド・アリが再びチャンピオンを奪還する等、戦争を脱して、次の時代に変わっていくような雰囲気が感じられる時期だったのでしょうか。まあ、例によって中学生には全くそういう感覚などなかったのですが。

1974年(昭和49年)の出来事

  • 3月 フィリピン・ルバング島で小野田元少尉発見

  • 8月 ウォーターゲート事件で米ニクソン大統領辞任

  • 9月 日本赤軍がオランダのフランス大使館を占拠(ハーグ事件)

  • 10月 佐藤栄作前首相にノーベル平和賞

  • 10月 モハメド・アリが7年ぶりにチャンピオン奪還

  • 11月 東京湾でタンカーが炎上し漂流。自衛隊が出動して魚雷で撃沈

1974年の洋楽ヒットソング

Sugar Baby Love / Rubettes

74年最大の洋楽ヒット曲はこれかもしれません。彼らはこの曲をリリースするために集まったスタジオミュージシャンだったらしく、そもそも最初から「一発」狙いだったのですね(笑)。当時まだ「一発屋」なんて言葉は無かったと思いますが、まさに「一発屋」の先駆者。あのMy Sharonaは1978年ですから(^^)

Love's Theme(邦題:愛のテーマ) / Love Unlimited Orchestra

この頃、歌の入ってないインストゥルメンタルの曲がヒットチャートにランクインするというのは、よくあったのですね。ポールモーリアなんかもけっこうヒットチャートでかかっていたような記憶があります。当時何気なく聴いていて、この曲は黒人ミュージシャンのものだという意識はほとんどなかったですね。

The Way We Were(邦題:追憶) / Barbra Streisand

この曲はこの年のビルボードの年間1位の大ヒット曲なのですが、日本ではラジオの洋楽ヒットチャートより、テレビCMで聴いた回数の方が多かったような気もします。これもネスカフェですねえ。

Jet / Paul McCartney & Wings

あの名盤Band On The Runからのシングルカットで、大ヒットしましたね。アルバムからはタイトル曲もカットされてヒットしました。ジョージ・ハリスンはこの年はヒットソングが無かったと思います。

Photograph(邦題:思い出のフォトグラフ) / Ringo Starr

リンゴ・スターが73年暮れにリリースしたアルバム RINGO からのシングルカットで、日本では74年になってからのヒットだったと思います。このアルバムには、バラバラだけど元ビートルズのメンバーが全員参加していて、「ビートルズ再結成?」みたいな話がよく語られていたと思います。このアルバムからは、もう1曲 You're Sixteen という曲もヒットしました。

Burn(邦題:紫の炎) / Deep Purple

ファンが期待する内容をそのまんま曲にしたみたいな感じで、これも大ヒットしましたねぇ。ただ、この後イマイチなアルバムをリリースして、挙げ句にリッチー・ブラックモアが脱退してしまって、みんなでテンションダダ下がりするのですが。

The Loco-Motion / Grand Funk Railroad

グランドファンクも相変わらず売れてました。こういうカバー曲までヒットさせちゃうってのが、勢いなんじゃないかと思います。

Bennie and the Jets / Elton John

エルトン・ジョンも前年の勢いのままこの年も売れてました。この年2回目の来日公演をしているのですが、初日にやる気が無くて酷いライブをやったらしく、怒った客が帰らないで運営と揉めるとかになったそうですね。(2日目以降は初日がウソみたいなすごいライブをしたらしいですが…)
この頃既にだいぶ前髪が後退していますが、まだエルトン・ジョンも若かったんですね(笑)

Whatever Gets You thru the Night(邦題:真夜中を突っ走れ) / John Lennon

この年リリースされたアルバムWalles And Bridges(邦題:心の壁、愛の橋)からのシングルカット曲。この曲は当時売れまくっていたエルトン・ジョンが参加したということでも話題になって、結構ヒットしました。ただ、アルバムもちゃんと聴いて、前作よりは良いなとは思ったのでしたが、結局ポールのBand On The Runに遠く及ばない出来だと思ってしまったのですよね…。

Sunshine on My Shoulders(邦題:太陽を背に受けて) / John Denver

ディープパープルとか、グランドファンクとか、けっこうハードなロックもヒットチャートを賑わせていた時代に、突然こういう曲をヒットさせるジョン・デンバー。日本にはカントリー&ウェスタンという音楽を好む人はそんなに多くなかったと思うのですが、この人だけは別格に人気があったと思います。

Waterloo(邦題:恋のウォータールー) / ABBA

ついにアバがヒットチャートに登場します。実はこの前年あたりに、ビヨルン&ベニー名義でちょっと売れた曲があったと思うんです。その人たちが改めてアバというグループを組んだといって紹介されたのをラジオで聞いた覚えがあります。この曲はかなりヒットしましたが、それでもこのとき、後にあれほど化けるのを想像した人はいなかったんじゃないでしょうか。当時スウェーデンというと、日本では「フリーセックスの国」みたいな変なイメージで語られることが多く、「中学生はスウェーデンなんて興味をもってはいけない」(笑)みたいな風潮があったような気がするのですが、アバはそんなイメージをずいぶん変えたのではないでしょうか(^^)

Hooked on a Feeling(邦題:ウガ・チャカ) / Blue Swede

この人たちもまあ一発屋ですね。ルベッツほどではなかったですが、この印象的なイントロで結構売れたと思います。さっきまで知らなかったのですが、この人たちもスウェーデン出身だったんですね。

I Honestly Love You(邦題:愛の告白) / Olivia Newton-John

オリビア・ニュートンジョンがはじめて大ヒットしたのもこの年でしたね。ここからヒットが続きあっという間にトップスターという感じになりました。グリースの映画出演は1978年です。

Please Mr. Postman / Carpenters

カーペンターズも相変わらず売れ続けてたというか、だんだんヒットの度合いが大きくなっていった印象でした。ビートルズもカバーしてたけど、こんな曲がなんでこんなにヒットするのよ…と当時はけっこう冷ややかに見てたりしましたが…。この年2度目の来日公演をするのですが、2回の武道館公演のチケット抽選を申し込むハガキが38万枚来たとか。とんでもない大騒ぎになりましたね。

Killer Queen / Queen

クイーンというバンドを初めて認識したのはこの曲のヒットでして、ミュージックライフ誌がアイドルっぽく騒いだのもこの頃からですね。初来日は翌75年ですからね。この曲はあんまりハードロックとも思えず、ロックと言うよりポップスバンドなのか?という印象を持ってしまい、その後もあんまり積極的に聴かなかったのですね。当時のわたしは「アイドルバンドなんて興味ないぜ、ケッ!」という態度でした。すいません。すいません。クイーンについては、改めてどこかで書きたいと思ってます。

Theme From Enter The Dragon(邦題:燃えよドラゴンのテーマ) 

日本では73年12月に公開されたこの映画、そのテーマソングも大ヒットしましたね。いわゆるカンフーブームというのはここから始まったわけですね。映画音楽だと「スティング」のテーマソングがヒットしたのもこの年ですね。エマニエル婦人のヒットは多分翌75年です。

Machine Gun / The Commodoers

ライオネル・リッチーが在籍したコモドアーズの最初のヒットは何とインストルメンタルのこの曲でした。後に、ライオネル・リッチーがソロでヒットしたときに、元コモドアーズと聞いて、コモドアーズとはインストグループでは無かったのだということに初めて気づいたのでした(笑)

When Will I See You Again(邦題:天使のささやき) / Three Degrees

スリーディグリーズもこの頃かなり勢いありました。ちなみにキャンディーズは、和製スリーディグリーズを目指して結成されたという話は割と知られてる話なのでしょうか。わたしはつい最近まで知らなかったのですが…。確かにキャンディーズのデビュー曲とか、言われてみるとそういう雰囲気かなりありますよね。(どうでも良いのですが、リンク先のキャンディーズの後ろでトランペット吹いてるのは、後にスペクトラムを作る新田一郎ですねぇ〜)

YOU MAKE ME FEEL BRAND NEW(邦題:誓い) / THE STYLISTICS

スタイリスティックスもこの頃からよくラジオでかかっていたと思います。ソウルミュージックブームを牽引したグループのひとつだったと思います。

The Show Must Go On / Three Dog Night

Show Must Go On といえば、今はクイーンの曲の方がずっと有名ですが、それよりずっと前に、Three Dog Night が同名異曲を歌ってました。このちょっと悪趣味なアルバムのアートワークと一緒にけっこう日本でも話題となってヒットしたと思います。ちなみにこの曲は、当時まだ無名だったレオ・セイヤーの曲のカバーだったんですね。

I Shot The Sheriff / Eric Clapton

クラプトンのヒット曲をラジオで聴いたのは、これが初めてだったと思います。これが彼の初の全米No.1ヒットなのですね。10月に初の日本公演がありましたが、この頃のクラプトンはまだだいぶすさんでいたのか、かなり物議をかもすコンサートを各地でやったようですね。実は武道館に見に行った友達がいて、彼が帰ってきて激怒していたのを見たり、そもそもこのアルバムのレイドバックというのもあんまりピンと来なかったし、またさらにわたしはレゲエが全然ダメでしたので、この頃はまったくクラプトンには興味沸かなかったのでした…。

You Ain't Seen Nothing Yet / Bachman-Turner Overdrive

カナダのロックバンド、バックマン-ターナー・オーバードライブ唯一の全米No.1ソング。日本で当時英米以外のバンドがOAされるのは珍しくて、妙に印象に残ってました。80年代にカナダに旅行して、現地の人にこのバンドを知ってると言ったら、驚かれたことがあります(^^)

 この年の日本でのレコード売上ランキングがありました。これを見ると邦楽はまだまだ演歌とムード歌謡的な歌の売上が圧倒的なんです。73年の邦楽シングルのベストヒットはぴんからトリオでしたが、この年は殿様キングスですからね。圧倒的に演歌とムード歌謡みたいなものがまだ強く、その中にちょこちょこアイドルやフォークソング系が混じってきてるような印象です。やっと47位にカーペーンターズが1曲だけランクインしてますよね。これが当時の日本での音楽マーケットの現実だったのです。ところが、自分の通っていた東京の私立中高では、周囲は洋楽聴く連中ばかりでした。フォークソング好きは多少いましたが、洋楽ロック系より少数派だったのです。さらに、アイドル歌謡曲聴いてるなんてのは、極めて希な存在でして、当時の自分の周囲はまったく世の中とは異なった環境だったのですね。

 これでも、当時の日本は洋楽を聴く人が今よりたくさんいた時代だったと思うのです。こんなマーケットですから、日本でロックをやろうとしても、だいたいが「そんな音楽やっても売れないから」とかレコード会社の人に言われたんでしょうね。

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