〜第6章〜 ジャケットのアートワーク (2)ストーリー繰り返しの謎
さて、わたしが永年疑問に思っていたことが1つ残っています。それは、インナージャケットのあのストーリーの最後の部分が、アルバムクレジットの後に、冒頭から再度繰り返して、途中でブツッと終了しているということについての解釈です。
安部公房作品との偶然の類似
わたしはこのアルバムを初めて手にした高校生の頃、このストーリーの繰り返しについては、まさに「出来事の周期性を表現するため」にピーター・ガブリエルが仕込んだものだと完全に思い込んでいました(ストーリーはほとんど読めなかったにもかかわらず…w)。というのは、わたしは The Lamb を聞いた時期にちょうど前後して、安部公房の「燃え尽きた地図」という作品を読んでいたのですね。この作品の終盤に、冒頭とほとんど同じ描写が繰り返すシーンがあるのです。安部公房の作品では、冒頭から一字一句繰り返すわけではなく、冒頭部分の風景描写が再び最終盤で全く同じ表現で出てきます。これは、読者に物語がループしているというか、ストーリーを経た後に結局また同じところに戻ってきてしまったという印象を与えるということを意図した手法だと思うのです。海外でも広く翻訳書が出版され、ノーベル文学賞の噂すらあった安部公房ですが、さすがにピーター・ガブリエルが安部公房を読んでいたなんてことは聞いたこともありませんし、さらに「燃え尽きた地図」に関して言えば、当時安部公房の最新作で、まだ英語での翻訳は出版されていなかったはずです。ですから、これは偶然の一致であることは間違いないのです。でも、 リリースされたばかりの The Lamb に浸っていた当時、こういう「繰り返し」を使うというのは、何か文学的な表現手法としてあり得るのだと信じ切っていたんです。そして、これも The Lamb という作品の奥深さのひとつではないかと、勝手に信じていたというわけなのです。つまらないことですが、わたしのこだわりの原点はここにもあるのです(笑)
これは、「恥ずかしいミス」なのか?
ところが、このストーリーの繰り返しは、アナログレコード(*1)だけで行われていて、後に再発されたCDでは消されているのですね。わたしも、後の再発CDを見て、これがカットされていることに疑問を持っていたのです。というのも、後のCDでカットされるのなら、これはピーター・ガブリエルの意向ではなかったのだろうと思えるからです。
ところが、この部分の「繰り返し」については、これまで一度もその事に触れた記事などを読んだ記憶がありません。そしてついに、今回初めてある書籍にこういう記述を見つけたのです。
ようやく見つけた記事なのですが、「見落とし」とか「恥ずかしいミス」ってのは、どうにも納得できません。「ミス」かもしれないのですが、そんな単純なものではないだろうと思うのですね。
単純ミスは起こりえない印刷事情
では、ちょっと視点を変えて、この時代の印刷物の制作工程を考えてみましょう。ちょうど74年頃の商業印刷というのは、活版印刷から写植を使ったオフセット印刷への過渡期の時代です。ただ、インナースリーブの写真とテキストのデザインを見ると、丸や三角形にトリミングされた写真の周囲にテキストが回り込んでいるようなデザインは、活版で作るとなると相当大変な作業になるはずで、このときヒプノシスは、当時最新のオフセット印刷を使ったのだと考えて、間違いないでしょう。
活版印刷に比べて自由なレイアウトが作りやすくなったオフセット印刷ですが、それにしても、この制作工程を考えると、うっかりしたミスでこんなことが起きるはずがないのです。最後の部分のテキストと、冒頭のテキストは、内容は一緒でも、改行位置は全く異なるレイアウトです。この時期、文字の原稿を制作する際は、デザイナーが原稿の全文字数を数えて、フォント、文字サイズ、文字間、行間を決定し、さらに改行位置、単語間のスペース等をすべて指定して、写植のキーパンチャーがその通りに文字を打つというのが、必須の作業だったのです。つまり、【テキスト】冒頭と、最後の繰り返し部分の文章は、別の指示できちんとキーパンチャーが入力した結果の文章(写植版下)がそこに置かれているということなのです。これは誰かが意図的にやらなければあり得ないデザインなのです。
考えられる可能性
そしてここから先は、完全にわたしの推理です。上記の印刷事情から考えると、直接手を下したのはヒプノシス以外に考えられません。ただ、ヒプノシスが何故そうしたのかについては、いくつかの可能性が考えられるのではないかと思うのです。
おそらく1974年9月〜10月頃のヒプノシスの作業場ではこのようなことがあったのではないかと思うわけです。
これ以外にも、単純にヒプノシスが写植の文字組を発注する際に行間やフォントサイズの指定を間違えて、上がってきてみたら余白ができてしまった…という可能性も排除できないのですが、かつて印刷物を作る仕事をしたことがあるわたしには、その可能性は低いと思えるのです。というのも、日本語の本でもそうなのですが、印刷物を扱うデザイナーにとって、「文字組み」、つまりフォントの選択、文字間、行間のサイズというのは、最もこだわりのある部分なのです。エディトリアルデザイナーというのは、そういう人種なのです。従って、ヒプノシスほどのデザイナー集団において、写植を発注したのがたまたまアルバイトのデザイナーであったとしても、そんな基本のキを外すようなことはないと思うのです。そして、このこだわりが、実際のピーター・ガブリエルの原稿文字数が少なかったにもかかわらず、安易に文字サイズや行間で調整せずに、余白を手元にあるテキスト内容で強引に埋めてしまうという行為に出た理由ではないかと思うのです。
こうして出来上がったジャケットのデザインのこの繰り返しについては、もともとピーター・ガブリエルの発案では無いにしろ、そもそもの遠因は自分の原稿にあるわけで、その後本人も特に何も語ることなく、半世紀が経過するわけです。そして、CDとして再発される際は、もはやヒプノシスが関わることもないので、別のデザイナーによってあっさりと削除されたのでしょう。ただ、アナログ盤として再発する際は、この部分のデザインを変えてしまうと、さらにおかしな事になるために、そのまま踏襲したということなのだと思うのです。知らんけど(笑)
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【注釈】
*1:2024年に、アトランティックレコード75周年記念として再度リリースされた、45回転4枚組のアナログ盤LPのジャケットでもこの繰り返しは再現されていました。
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